1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月15日・パウル・ハイゼの三昧

2024-03-15 | 文学
3月15日は、合衆国第7代大統領、アンドリュー・ジャクソンが生まれた日(1767年)だが、ノーベル文学賞作家、パウル・ハイゼの誕生日でもある。

パウル・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・ハイゼは、1830年、ドイツのベルリンで生まれた。祖父は文法学者、父親は言語学者という学者の家系で、母親はユダヤ系の金融と音楽関係に縁者の多い裕福な家系の出身でメンデルスゾーンの親戚だった。
文学少年だったパウルは、ハイゼは、18歳で短編『春』で文壇にデビュー。ベルリン大学で学んだ後、19歳のとき、歴史学とロマンス語を勉強するためにボンへ移った。そこで、ロマンス語の権威のもとで論文を執筆中、教授夫人との不倫関係が露顕して、彼はベルリンへ追い返された。
19歳のころ、父親が彼の作品を匿名で出版した。学生兼作家だったハイゼは、22歳のとき、大学の奨学金でイタリアへ研究旅行に出かけた。イタリアに古くから伝わる民謡を発掘するのが目的だったが、教会側から図書館の資料を書写することを禁じられたため、研究旅行はイタリアを楽しむ観光旅行にかわった。
ローマ、ナポリをまわったこの旅行中、ナポリの南にあるソレントの街で、黒髪をおさげにした美少女に出会い、ハイゼは強い印象を受けた。
彼はドイツへ帰ると、短編小説を書いた。そのなかの一編が、ソレントの娘を主人公にした短編『片意地娘(ララビアータ)』だった。
24歳のとき、ハイゼは、バイエルン王に招かれてミュンヘンへ移り、文学愛好者だった王から、なんの職業上の義務も負わない芸術家年金を与えられて、創作三昧の生活に没頭した。『高嶺の乙女』『ぶどう園の番人』『復活』『星の覗く人』『カプリ島の婚礼』などの中短編を含む小説、戯曲を量産した。
80歳のとき、ドイツ人作家として初となるノーベル文学賞を受賞し、1914年4月に没した。84歳だった。

ハイゼは若いときに遊んだイタリアの地を舞台にして、いくつもの小説を書いた。『片意地娘』はそうしたイタリアものの一編で、こんな内容だった。
海ばたの街ソレントに、病気の母親を抱えて二人暮らしをしている、貧しいが、気丈夫な若い娘がいた。他人の憐れみを受けたり、借りを作ったりするのを嫌う彼女は、人の好意をよく断るところから「ララビアータ(片意地娘)」と土地の者にからかわれていた。ある日、僧侶を乗せて島へ渡る小舟に、ララビアータはいっしょに乗り込んだ。小舟をこぐ船頭は土地の若者で、無口な彼は心のうちで娘のことをひそかに……という若い二人の恋物語だった。
若いころにこれを読み、とても感心した。イタリアの海と太陽とオレンジがまぶしくまぶたに浮かぶさわやかな読後感を、いまでもよく覚えている。
ゲーテが寒いワイマールを逃げだして「太陽の国」イタリアを訪ね『イタリア紀行』を書いたように、ハイゼもまた、寒い国の作家だからこそ、明るい太陽の国の風物を鮮やかに描けたのかもしれないけれど、それにしても、よその国の人が、こんな風にイタリアの空気を上手に書くのは、なんだか不思議な気持ちがする。
(2024年3月15日)



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