3月4日は、ゴロ合わせで「ミシンの日」だが、作家、有島武郎の誕生日でもある。
有島武郎は、1878年、で生まれた。東京で生まれた。父親は元薩摩藩士で大蔵省の役人だった。
父親の教育方針で、子どものころ、米国人家庭に預けられて育った武郎は、学習院の中等科を卒業すると、19歳のころ、北海道の札幌農学校に入学した。
農学校では、新渡戸稲造の薫陶を受け、キリスト教に入信した。卒業後は、軍隊生活をへて、渡米。ハーヴァード大学に留学。
29歳のとき、帰国。英語の講師などをしていたが、作家の志賀直哉、武者小路実篤らと知り合い、同人誌『白樺』に参加。小説や童話を発表しだし、38歳のころから本格的に作家生活に入った。
44歳のとき、父親から相続した北海道の有島農場を、私有財産を否定する思想から、農場小作人全員に無償で譲り渡した。
45歳のとき、雑誌の女性編集者と知り合い、恋仲となった。当時、有島は妻と死別していて独身だったが、相手の女性には夫がいた。二人の仲は夫に知られるところとなり、夫側は金銭を要求し、訴訟沙汰にするとおどしてきた。
有島は悩み、不倫相手の女性編集者とともに、1923年6月、軽井沢の別荘で首吊り自殺をとげた。有島は45歳、相手の女性は29歳だった。
小説『カインの末裔』『或る女』『生れ出づる悩み』『小さき者へ』、評論『惜みなく愛は奪ふ』、童話『一房の葡萄』などがある。
白樺派の作家が好きで、中学時代から武者小路実篤、志賀直哉、そしてこの有島武郎の作品をよく読んでいた。『カインの末裔』、童話『一房の葡萄』など、なつかしい。
『一房の葡萄』は、主人公の男の子が、クラスメイトがもっている高価な絵の具がうらやましくて、つい盗んでしまう。でも、すぐにそれは露顕して、同級生たちにつるし上げられ、女教師のところへ連れていかれる。その女教師が、窓の外の葡萄の木からひと房をもぎ取って、彼にくれる。……というような話だった。窓からぶどうを、というのが好きだった。なんともいえない後味のよさがあった。育ちがいいというか、同じ愛人と心中した作家でも、太宰治などとはずいぶんちがう、品のいい人だった。
有島武郎は44歳のころ、アナキストの大杉栄がヨーロッパへ渡ろうとしているとき、お金を工面してやっている。有島はおよそアナキストとは縁遠い人物で、大杉とそう親しいわけでもなかったが、大杉の人物の大きさを見込んで、ぜひ日本を脱出させてやりたいと考えたのだった。
現代日本人にはピンとこないかもしれないが、「無所有」というのは人間にとってとても重要な問題で、コミュニティーについて勉強していてそれを教わった。マハトマ・ガンディーも有島武郎もそれがわかっていた。有島武郎がコミュニティーを企画した気持ちもよくわかるのである。純粋の美を体現した作家だった。
(2024年3月4日)
●おすすめの電子書籍!
『小説家という生き方(村上春樹から夏目漱石へ)』(金原義明)
人はいかにして小説家になるか、をさぐる画期的な作家論。村上龍、村上春樹から、団鬼六、三島由紀夫、川上宗薫、江戸川乱歩らをへて、鏡花、漱石、鴎外などの文豪まで。新しい角度から大作家たちの生き様、作品を検討。読書体験を次の次元へと誘う文芸評論。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
有島武郎は、1878年、で生まれた。東京で生まれた。父親は元薩摩藩士で大蔵省の役人だった。
父親の教育方針で、子どものころ、米国人家庭に預けられて育った武郎は、学習院の中等科を卒業すると、19歳のころ、北海道の札幌農学校に入学した。
農学校では、新渡戸稲造の薫陶を受け、キリスト教に入信した。卒業後は、軍隊生活をへて、渡米。ハーヴァード大学に留学。
29歳のとき、帰国。英語の講師などをしていたが、作家の志賀直哉、武者小路実篤らと知り合い、同人誌『白樺』に参加。小説や童話を発表しだし、38歳のころから本格的に作家生活に入った。
44歳のとき、父親から相続した北海道の有島農場を、私有財産を否定する思想から、農場小作人全員に無償で譲り渡した。
45歳のとき、雑誌の女性編集者と知り合い、恋仲となった。当時、有島は妻と死別していて独身だったが、相手の女性には夫がいた。二人の仲は夫に知られるところとなり、夫側は金銭を要求し、訴訟沙汰にするとおどしてきた。
有島は悩み、不倫相手の女性編集者とともに、1923年6月、軽井沢の別荘で首吊り自殺をとげた。有島は45歳、相手の女性は29歳だった。
小説『カインの末裔』『或る女』『生れ出づる悩み』『小さき者へ』、評論『惜みなく愛は奪ふ』、童話『一房の葡萄』などがある。
白樺派の作家が好きで、中学時代から武者小路実篤、志賀直哉、そしてこの有島武郎の作品をよく読んでいた。『カインの末裔』、童話『一房の葡萄』など、なつかしい。
『一房の葡萄』は、主人公の男の子が、クラスメイトがもっている高価な絵の具がうらやましくて、つい盗んでしまう。でも、すぐにそれは露顕して、同級生たちにつるし上げられ、女教師のところへ連れていかれる。その女教師が、窓の外の葡萄の木からひと房をもぎ取って、彼にくれる。……というような話だった。窓からぶどうを、というのが好きだった。なんともいえない後味のよさがあった。育ちがいいというか、同じ愛人と心中した作家でも、太宰治などとはずいぶんちがう、品のいい人だった。
有島武郎は44歳のころ、アナキストの大杉栄がヨーロッパへ渡ろうとしているとき、お金を工面してやっている。有島はおよそアナキストとは縁遠い人物で、大杉とそう親しいわけでもなかったが、大杉の人物の大きさを見込んで、ぜひ日本を脱出させてやりたいと考えたのだった。
現代日本人にはピンとこないかもしれないが、「無所有」というのは人間にとってとても重要な問題で、コミュニティーについて勉強していてそれを教わった。マハトマ・ガンディーも有島武郎もそれがわかっていた。有島武郎がコミュニティーを企画した気持ちもよくわかるのである。純粋の美を体現した作家だった。
(2024年3月4日)
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