8月12日は、神秘思想家のブラヴァツキー夫人が生まれた日(1831年)だが、理論物理学者、シュレーディンガーの誕生日でもある。「シュレーディンガー方程式」の天才である。
エルヴィン・ルードルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガーは、1887年、オーストリアのウィーンで生まれた。父親は、遺産相続した蝋布工場の所有者で、余暇を利用して動植物学会で論文を発表する学者肌の資産家だった。母親は科学者の娘だった。裕福で教養の高い家庭で育ったエルヴィンは、両親と家庭教師に教わり、11歳まで学校へ通わなかった。
ウィーン大学に進み、物理学を専攻したシュレーディンガーは、卒業後、講師になったが、第一次世界大戦に際しては、27歳から4年間兵役についた。
戦後、イエナ大学、チューリッヒ大学、ベルリン大学などで教鞭をとり、物理学教授となった。
39歳のとき、量子力学を波動形式でとらえた「波動力学」を提唱。シュレーディンガー方程式を発表し量子力学を一段と発展させた。
46歳の年、ヒトラーがドイツ首相となり、ユダヤ人物理学者が弾圧されるようになると、これを嫌って、ベルリン大学を辞職。英国のオクスフォードへ移った。
同年、英国の理論物理学者ポール・ディラックとともにノーベル物理学賞を受賞。
48歳のとき、思考実験「シュレーディンガーの猫」を発表。
米国、ベルギー、アイルランドなど、さまざまな国の大学で教授職を務めた後、69歳のとき、ウィーン大学へもどり、1961年1月、ウィーンで没した。73歳だった。
ニュートン力学の時代には、初速、空気抵抗、投てき角度がわかれば、投げられた玉は何秒後にこの地点に落下する、と予測ができた。宇宙のすべてのものの未来を計算できた。
しかし、20世紀に入り、相対性理論と量子力学が現れると、予測不能になった。
とくに原子核をまわる電子や中性子といった微細な量子を扱う量子力学の分野では、物体はとつぜん消え、べつの場所に現れるという忍者のような現象があることがわかった。それはいるかもしれないし、いないかもしれない、それを見た人にもよる、という摩訶不思議な世界で、もはや確率でしか表せない、あいまいでよくわからないものになった。
それを風刺したのが「シュレーディンガーの猫」だった。
ここに一個の、ふたで隠された箱を用意して、そのなかにラジウムとガイガーカウンター、青酸ガスの発生装置と、一匹の猫を入れておく。ラジウムから放射能がこぼれれば、仕掛けが反応して、青酸ガスが発生し、猫は死ぬ。けれども、放射能がまだ出ていなくてガスが出なければ、猫は生きている。さて、いま、猫は生きているか死んでいるか? というと、ふたで見えないわけで、つまり、猫は生と死の二つの可能性が重なった二重の状態にある。量子力学とは、そういうものではないか、と、シュレーディンガーは皮肉った。
量子物理学から思想を深めていったシュレーディンガーは、自然の姿に、インドのウパニシャッドに通じるものがあると考えるようになった。シュレーディンガーが57歳のときに出版した『生命とは何か』を読んだけれど、その結論はすごい。
「私は『原子の運動』を自然法則に従って制御する人間である。つまり、私は神である。人と天は一致する」
天才科学者の発言はつねに刺激的だけれど、シュレーディンガーはその最右翼である。
(2022年8月12日)
●おすすめの電子書籍!
『科学者たちの生涯 第二巻』(原鏡介)
宇宙のルール、現代の世界観を創った大科学者たちの生涯、達成をみる人物評伝。ハンセン、コッホから、ファインマン、ホーキングまで。知的感動のドラマ。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
エルヴィン・ルードルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガーは、1887年、オーストリアのウィーンで生まれた。父親は、遺産相続した蝋布工場の所有者で、余暇を利用して動植物学会で論文を発表する学者肌の資産家だった。母親は科学者の娘だった。裕福で教養の高い家庭で育ったエルヴィンは、両親と家庭教師に教わり、11歳まで学校へ通わなかった。
ウィーン大学に進み、物理学を専攻したシュレーディンガーは、卒業後、講師になったが、第一次世界大戦に際しては、27歳から4年間兵役についた。
戦後、イエナ大学、チューリッヒ大学、ベルリン大学などで教鞭をとり、物理学教授となった。
39歳のとき、量子力学を波動形式でとらえた「波動力学」を提唱。シュレーディンガー方程式を発表し量子力学を一段と発展させた。
46歳の年、ヒトラーがドイツ首相となり、ユダヤ人物理学者が弾圧されるようになると、これを嫌って、ベルリン大学を辞職。英国のオクスフォードへ移った。
同年、英国の理論物理学者ポール・ディラックとともにノーベル物理学賞を受賞。
48歳のとき、思考実験「シュレーディンガーの猫」を発表。
米国、ベルギー、アイルランドなど、さまざまな国の大学で教授職を務めた後、69歳のとき、ウィーン大学へもどり、1961年1月、ウィーンで没した。73歳だった。
ニュートン力学の時代には、初速、空気抵抗、投てき角度がわかれば、投げられた玉は何秒後にこの地点に落下する、と予測ができた。宇宙のすべてのものの未来を計算できた。
しかし、20世紀に入り、相対性理論と量子力学が現れると、予測不能になった。
とくに原子核をまわる電子や中性子といった微細な量子を扱う量子力学の分野では、物体はとつぜん消え、べつの場所に現れるという忍者のような現象があることがわかった。それはいるかもしれないし、いないかもしれない、それを見た人にもよる、という摩訶不思議な世界で、もはや確率でしか表せない、あいまいでよくわからないものになった。
それを風刺したのが「シュレーディンガーの猫」だった。
ここに一個の、ふたで隠された箱を用意して、そのなかにラジウムとガイガーカウンター、青酸ガスの発生装置と、一匹の猫を入れておく。ラジウムから放射能がこぼれれば、仕掛けが反応して、青酸ガスが発生し、猫は死ぬ。けれども、放射能がまだ出ていなくてガスが出なければ、猫は生きている。さて、いま、猫は生きているか死んでいるか? というと、ふたで見えないわけで、つまり、猫は生と死の二つの可能性が重なった二重の状態にある。量子力学とは、そういうものではないか、と、シュレーディンガーは皮肉った。
量子物理学から思想を深めていったシュレーディンガーは、自然の姿に、インドのウパニシャッドに通じるものがあると考えるようになった。シュレーディンガーが57歳のときに出版した『生命とは何か』を読んだけれど、その結論はすごい。
「私は『原子の運動』を自然法則に従って制御する人間である。つまり、私は神である。人と天は一致する」
天才科学者の発言はつねに刺激的だけれど、シュレーディンガーはその最右翼である。
(2022年8月12日)
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