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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月10日・フーヴァーの清貧

2021-08-10 | 歴史と人生
8月10日は、大久保利通が生まれた日(文政13年、1830年)だが、米国の第31代大統領、ハーバート・フーヴァーの誕生日でもある。

ハーバート・クラーク・フーヴァーは、1874年、米国アイオワ州のウェストブランチで生まれた。父親はドイツ・スイス系の農夫で、両親ともにクエーカー教徒だった。
ハーバートは、6歳のとき父親が、9歳のときに母親が亡くなり、孤児となった。クエーカー教徒仲間が保護者として指名され、彼は親戚を転々としながら成長した。
スタンフォード大学に入学したフーヴァーは、地質学を専攻し、全米各地の測量のアルバイトをしながら大学に通った。大学卒業後は、金鉱採掘会社に入り、鉱山技術者となった。彼はオーストラリアの金鉱に勤務した後、中国へ転勤。天津の鉱山事務所時代に義和団の乱を体験し、火の海となった天津から生還した。
第一次大戦中、フーヴァーは連合国軍の食糧管理委員会の委員長となり、大戦後は、敗戦国のドイツや、革命後に飢饉に見舞われたロシアへの食糧支援を指揮した。共産主義国ロシアへの支援には批判もあったが、彼は人道主義を優先させ、主張をまげなかった。
フーヴァーは54歳の年に共和党の大統領候補となり、
「すべての鍋にチキンを」
と国民によりよい経済的生活を約束して、圧倒的な勝利をおさめた。しかし、大統領就任直後に「暗黒の木曜日」。ニューヨーク市場の株価が大暴落し、それを引き金に世界大恐慌となった。大恐慌に対し、フーヴァー政権は、保護主義の経済政策をもって応じた。2万品目以上の輸入品に平均40パーセントという高い関税を課して国内産業を守り、国内では賠償金の返済先のばし「フーヴァー・モラトリアム」を打ち出し、フーヴァー・ダム建設など公共事業投資による経済振興策に乗りだしたが、不況は改善されなかった。
米国の保護主義政策以後、世界各国が高い関税を輸入品にかける報復合戦が起き、世界貿易は細り、国際経済の血流は止まった。不況は深刻になった。
フーヴァーは2期目の大統領選では、民主党のフランクリン・ルーズヴェルトに敗北した。第二次世界大戦後は、敗戦後の飢餓状況にあった日本やドイツへの食糧供給の促進に努め、1964年10月、ニューヨークで没し、国葬がとりおこなわれた。90歳だった。

大恐慌時代の、フーヴァーは運の悪い大統領だった。彼の保護主義政策が、列強を保護主義に走らせ、結果として植民地や資源を持たない日本やドイツを暴発させ、第二次大戦の遠因となったともいえる。これは、フーヴァーがクエーカー教徒だったこともすくなからず関係しているのではないか。クエーカーの人たちは、清貧を旨とする人々で、物資の乏しい環境下でも、それにめげず耐えていける人々だからである。

彼の後を引き継いだルーズヴェルト大統領のニュー・ディール(新規巻き返し)政策も不況は克服できず、結局、大戦争に突入し、戦時国債を山のように刷り、殺戮、破壊、援助の果てにようやく恐慌は終わった。世界中のみんなが清貧を旨とし、貧者に分け与えるなら、不況など問題にならないのだけれど、世界のほとんどは非クエーカーだから、富裕層と民族主義者などが誰のせいだと叫びだして収拾がつかなくなり、対立、衝突、開戦布告、結局戦争で不況は終わるのである。

フーヴァーは言っている。
「年をとった連中が戦争を宣言する。でも、若い人たちが戦い、死ななくてはならない。(Older men declare war. But it is the youth that must fight and die.)」
(2021年8月10日)



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