1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月4日・ジョージ・ムーアのパラドックス

2018-11-04 | 思想
11月4日は、至上の小説化、泉鏡花が生まれた日(1873年)だが、英国の哲学者、ジョージ・ムーアの誕生日でもある。

ジョージ・エドワード・ムーアは、1873年、英国イングランドのロンドンで生まれた。
ダリッジ大学をへて、ケンブリッジのトリニティー・カレッジに進み、25歳でそこのフェローになった。
30歳のとき『倫理学原理』を書き、39歳で『倫理学』を発表。
45歳でアリストテレス学会の会長を務め、52歳から66歳までケンブリッジ大学の精神哲学と論理学の教授にあった。
1958年10月、ケンブリッジで没した。84歳だった。

「信念は窓から外へ出ていってしまう、ドアから美女が入ってきたとたん。(Faith goes out through the window when beauty comes in at the door.)」(Brainy Quote: http://www.brainyquote.com/)
こんな科白を吐いたムーアは英国人紳士らしい、ユーモア精神の持ち主だった。

ウィトゲンシュタインの本を読んでいると、ムーアが登場する。
ムーアの『倫理学原理』は、20代前半の若きウィトゲンシュタインに強い刺激を与えた本で、ウィトゲンシュタインが40歳のとき、ケンブリッジ大学に再入学し博士号を取得した際、試験官だったのが56歳のムーアだった。以前から彼の論文を高く評価していたムーアは、ほとんど形式的な試験だけして、彼を通した。
ウィトゲンシュタインは亡くなる寸前まで、ムーアの「わたしは知っている」という命題を手がかりにして『確実性の問題』を書いていたが、それは未完となった。

ウィトゲンシュタインが「ムーアのパラドクス」と絶賛した有名な命題がある。
「Pである、しかしわたしはPであるとは思わない」
というもので、言い換えれば、たとえばこんな感じである。
「窓の外は雨である。しかしわたしは雨が降っているとは思わない。」
これは論理命題としてまちがってはいない。けれど、ばかげている、とムーアは言った。
「窓の外は雨である。しかし雨は降っていない。」
これならまちがいである。でも「わたしは思わない」となると、まちがっていない。でも、ばかげているだろう、と。

「ムーアのパラドクス」みたいな表現は、主婦の立ち話や会社の会議などで多く使われているが、もっともよく使われているのが政治の舞台である。その昔、首相だった岸信介が日米安保条約を結ぼうとしたとき、日本では大反対運動が起き、国会議事堂や首相官邸が反対デモの民衆数十万人に囲まれた。しかし岸は、
「わたしには声なき声が聞こえる」
と言って、反対の声を無視した。これは、こういうことである。
「国民は反対だと言っている。しかしわたしはそうは思わない。」
見習ったのでもあるまいが、その孫がこう言っている。
「日本の憲法は戦争する権利を放棄している。しかし、わたしはそうは思わない。」
(2018年11月4日)


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