1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月16日・ロレンスの顔

2018-08-16 | 歴史と人生
8月16日は、米国歌手、マドンナが生まれた日(1958年)だが、英国軍人、トーマス・ロレンスの誕生日でもある。人呼んで「アラビアのロレンス」その人である。

トーマス・エドワード・ロレンスは、1888年、英国ウェールズのトレマドックで生まれた。父親のトーマス・チャップマンは、妻子ある男だったが、娘の家庭教師となったセアラ・ロレンスと不倫関係となり、子どもがをもうけた。それでチャプマンは妻子を捨てて、セアラと暮らすようになり、5人の男の子をもうけた。トーマスはその上から2番目の子で、両親は結局結婚しないまま暮らしたため、母ロレンス姓を名乗った。
トーマスは、オックスフォード大学に入学して歴史を学んだ。中東の考古学調査に参加するうち、やがて中東の砂漠地域の軍用地図を作成するようになった。
第一次世界大戦がはじまると、ロレンスは26歳で召集され、はじめ陸軍の地図課に所属し、後に情報部に転属となった。
第一次大戦で英国が敵として戦った同盟国側は、ドイツ、オースリア=ハンガリー帝国、ブルガリア、オスマン帝国(トルコ)といた国々だったが、中東にくわしいロレンスは、アラビア半島に派遣され、敵オスマン帝国の背後をかく乱するべく、アラブ民族の反乱を組織し、ともに行動した。
ロレンスはアラブ人と協力して、鉄道爆破、敵陣地への奇襲攻撃など神出鬼没のゲリラ戦を展開して、大国オスマン帝国を悩ませ、英国軍の戦いを側面から助けた。
結果、第一次大戦が終わると、大帝国を誇ったオスマンのほとんどの領土は英仏など連合国側に占領され、国土はいちじるしく縮小した。
大戦後、ロレンスは、砂漠の反乱をともに戦ったアラブ側の指導者ファイサル(後のイラク国王)とともにパリ講和会議に出席し、英国の植民地省や陸軍、空軍に勤務した。
除隊した2カ月後、ロレンスはオートバイを運転中、自転車を避けようとして事故を起こし、その数日後に没した。46歳だった。ヘルメットはかぶっていなかたらしい。

オスマン帝国に対する英国の戦い方たるや、さすが老獪、である。これを見習って、もしも第二次世界大戦時に、日本が日米開戦に臨んで、前もって中南米に人材や物資を送って米国に対する現地の反乱をあおるくらいの深謀遠慮があったら……。まあ、そういう展開ができる老獪さがあれば、その前にもっと政治力をふるって、国際社会での孤立や真正面からの衝突を避けられていたろうから、そもそも戦争になっていないだろうけれど。

ロレンスは、英国からアラブに送り込まれ、敵国を背後から混乱させるべく、ラクダに乗ってゲリラ戦を展開したスパイ、テロリスト兼軍人である。結果として、英国支配をへて、アラブ諸国の独立を招くことにもなった。
映画「アラビアのロレンス」では、心情的にアラブ側に寄り添いながら、最後にはアラブにも英国にも用済み扱いされる英国人として描かれていたが、本物のロレンスがどこまで映画に近い人物だったかはわからない。ただ、ロレンスを演じた主演のピーター・オトゥールは、恐ろしいほど実物そっくり。カーク・ダグラスのゴッホと双璧である。
(2018年8月16日)


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