1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月9日・ホイットニー・ヒューストンの声

2018-08-09 | 音楽
8月9日は、長崎に原爆が投下された日(1945年)だが、歌手、ホイットニー・ヒューストンの誕生日でもある。

ホイットニー・ヒューストンは、1963年、米国ニュージャージー州のニューアークで生まれた。父親は軍関係のサービスマンで、母親はゴスペル歌手だった。
小さいころから教会の聖歌隊の一員として歌っていた彼女は、11歳のころには、聖歌隊のソリストになった。母親から歌唱を教わり、またピアノも習いだした。
母親がステージで歌うナイトクラブに、10代のころから出入りしていたホイットニーは、ときどき母親といっしょにステージに立つこともあったという。
14歳のとき、プロ歌手のバッキングコーラスで歌うようになり、15歳のときにはチャカ・カーンのバックで歌った。並行して雑誌のファッションモデルとしても活躍していたホイットニーは、20歳のころ、レコード会社にスカウトされ、22歳の年にデビューアルバム「そよ風の贈りもの(原題・Whitney Houston)」を発表。これは米国のみならず、世界各国のチャート一位を独占する大ヒットとなった。シングルカットされた曲も、
「恋は手さぐり(How Will I Know)」
「グレイテスト・ラヴ・オブ・オール(Greatest Love of All)」
「すべてをあなたに(Saving All My Love for You)」
とたてつづけに大ヒット。「すべてをあなたに」は、今夜は思いっきり不倫するのよ、という内容の不倫ソングだったが、それを22歳の新人歌手が大胆に朗々と歌いあげた。
たちまち彼女は世界のトップシンガーに上り詰めた。
29歳の年には、ケビン・コスナーと共演した初主演映画「ボディガード」が公開され、その主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」とともに全世界で大ヒットを記録した。
同年、歌手のボビー・ブラウンと結婚。翌年には一人娘を出産したが、その後、夫による家庭内暴力、コカインなど覚醒剤の常用などにより、心身ともに疲弊していき、41歳のころ、長らくのリハビリ生活をへて、夫とは43歳のときに離婚が成立した。
46歳の年に新作アルバムを発表し、復活を遂げたが、体調がすぐれず、コンサート中に彼倒れるなどアクシデントが続いた。
2012年2月、カリフォルニア州ビバリーヒルズのホテルで、ホイットニーはバスタブのなかに倒れた遺体となって発見された。検死局は、コカインを摂取した状態で入浴したため、心臓発作が起こり、溺死したとの見方を発表した。48歳だった。

22歳で得た世界的な富と名声。あの若さとルックスと、スタイルのよさと、あの声量と歌声とがあって、彼女の前には、もう幸福が約束された人生が開けている、と、ホイットニーのデビューを目の当たりにして、世界中の人がそう思ったにちがいない。
それから26年後、「世紀の歌姫」ホイットニー・ヒューストン死亡のニュースには驚いた。
彼女と同様、男運が悪かったダイアナ妃もそうだったけれど、まさかこんなに早く、こんな形で亡くなるとは……。人生というのは、ほんとうに先が読めない。
「ただのジャンキーだったのだ」との批判もあるが、スーパースターでいつづけるのは、かなりしんどいことなのだろう。あの冷徹な女「幸運の女神」は、私生活の幸福と、歌姫の名声と、両方を手にすることを彼女に許さなかった。
(2018年8月9日)



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