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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月21日・松本清張の体質

2017-12-21 | 文学
12月21日は、米国の映画女優で、ベトナム反戦運動家でもあったジェーン・フォンダが生まれた日(1937年)だが、作家、松本清張の誕生日でもある。

松本清張は、1909年12月21日(異説もあり)、広島で生まれた。本名は「きよはる」と読むらしい。父親は職業を転々とした後、清張が生まれて間もなく、九州の下関に移り、もち屋をはじめた。
清張が10歳のころ、一家は小倉へ移り、父親は露天商、飲食店をしだした。
15歳のころ、清張は電気会社の給仕として、働きだし、社員の使いっ走りをした。貧しく、新刊本を買う余裕はなかったが、彼は貸本屋や図書館で借りたりしてさかんに文学を読むようになった。その後、松本は印刷工になり、第二次世界大戦がはじまると、陸軍二等兵として出征。朝鮮半島で終戦を迎えた。
戦後は北九州の新聞社で印刷工にもどったが、仕事がなく、アルバイトをして生活費をおぎなう毎日だった。そんな苦しい生活のなか、41歳のころ、生活費のために書いて応募した小説が週刊誌に入選。
43歳になる年に『或る「小倉日記」伝』が、芥川賞を受賞。これを機に原稿の注文が入るようになり、松本は上京し、作家活動に入った。
推理小説『張込み』『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』などのほか、ノンフィクション作品『日本の黒い霧』『昭和史発掘』などを書いた。
それまで犯罪トリックに主眼を置いていた推理小説とちがい、松本は犯人の動機、社会状況に焦点を据え、社会派推理小説の一代ブームを起こし、ベストセラー作家になった。
1992年8月、ガンのため没。82歳だった。

松本清張は40歳のころまで、ずっと生活に苦労した人で、戦前の26歳のときに結婚して、戦前、戦争中に子どもも生まれている。
それから流行作家になった人だけあって、市井の人の視線が作品のなかに一貫してある。低いところからじっと対象を見つめている、すごく粘り強い、忍耐力のある目が、松本清張作品の特色だと思う。
『或る「小倉日記」伝』の、貧しい環境のなかで自分の研究をつづけ、それが報われないままに亡くなった主人公を見つめ、その人生を評価しようとする作者の態度に感服した。

松本清張に『文豪』という小説があって、これには別の意味で深く感じた。
これは連作小説で、そのなかの一編が、尾崎紅葉と泉鏡花という師弟の関係を描いた実名小説だった。泉鏡花ファンなので、そこに書かれていた、師弟のあいだにあった事実、情報はすべて知っていたけれど、松本清張のようには考えなかった。彼のような見方をしたくない。松本清張については、作家筋からプライベートについても耳にしたが、なるほど、と感じるところもある。
松本清張は、明らかに異なる体質の人だが、それはおくとして、誰か他人をよく見て、その人について考えてみないと、なかなか自分のことはわからない、そのことを教わった恩人である。
(2017年12月21日)



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