1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月21日・稲盛和夫の精神主義

2015-01-21 | ビジネス
1月21日は、1月21日は、フェミニズム運動家、伊藤野枝が生まれた日(1895年)だが、実業家、稲盛和夫の誕生日でもある。京セラの創業者である。

稲盛和夫は、1932年1月21日、鹿児島市で生まれた。実家は印刷工場をやっていて、和夫は7人きょうだいの上から2番目だった。
23歳で鹿児島大学の工学部を出た稲森は、京都の碍子(がいし)メーカーに就職。ファインセラミックスの研究に熱中したが、経営の傾いた会社側と意見が合わず、退社した。
稲森の技術力と将来性を惜しんだ知人が資金を出し、27歳だった稲森はいっしょに退社した仲間7人とともに京都セラミック(後の京セラ)を設立。稲森が社長となった京セラは、困難な時期を乗り越えて成長し、電子機器やファインセラミック関連の大企業となった。
51歳のころから、稲森に経営学を学ぶ自主勉強会がはじまり、稲森はこれにボランティアの塾長として加わった。これが「稲森塾」となり増殖して国内外に70塾以上になった。
52歳のとき、電気通信事業自由化の流れに際して、健全なインフラ環境を作るためには、当時電報電話事業を独占していた電電公社(後のNTT)に対するライバル通信会社を作るべきだと稲森は関西財界の大物たちに声をかけ、第二電電(後のKDDI)を立ち上げた。
また、同時期に自分の財産を投じて稲盛財団を設立し、人類社会の進歩発展に貢献した人を表彰する国際賞「京都賞」を創設。
78歳のとき、半官半民の企業、日本航空が経営危機におちいったのに際して、首相から懇願されて日航の会長に就任した。稲森が無給で働き、采配をふるった結果、上場廃止され倒産寸前だった日航を再建し、会社更生法の適用から2年半後に株式市場に再上場を果たすという奇跡的なスピートV字回復をやってのけた。

稲盛和夫は、立志伝中の人物で、かつ2015年現在も存命中の、日本製造産業界最後の生き神様である。ソニーの井深大、盛田昭夫、ホンダの本田宗一郎、パナソニックの松下幸之助といった、すでに鬼籍に入った神様たちと並ぶ巨人である。

稲森和夫の京セラといえば「アメーバ経営」が有名である。これは、社員が100人以上の規模になると、社員の一体感が保ちにくくなるため、社内を製品別などの小集団「アメーバ」に分け、独立採算で運営させ、コスト意識を高めようとするものである。

以前、テレビに稲森和夫が出演していて、こんな体験を話していた。セラミック成形の研究の試行錯誤を繰り返している社員が、
「あらゆる手段を試みましたが、だめでした」
と言ったのに対し、稲森はこう尋ねたという。
「神に祈ったか?」

稲森の会社の社員は、社員の心得が書かれた小冊子をつねに肌身離さずもち、ときどきそれを開いて稲森の説く精神を思いだすよう言われるているらしい。

筆者は稲森和夫の大ファンで、彼の著書も読んでいるし、彼の企業の商品やサービスをなるたけ応援してきたが、その強烈な精神論にはさすがにちょっと引いた。
得度した実業家、稲森和夫はひじょうに個性的な経営者だと思う。
(2015年1月21日)


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