1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月2日・道元禅師のきびしさ

2015-01-02 | 思想
1月2日は「エントロピー」の物理学者ルドルフ・クラウジウスが生まれた日(1822年)だが、道元禅師(どうげんぜんじ)の誕生日でもある。曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖である。

道元は正治2年1月2日、京都に生まれた。壇の浦の合戦で平家が滅亡して源頼朝が権力を握り、全国に守護地頭が置かれた1185年の15年後で、西暦でちょうど1200年である。
父親は武家「源氏」の系統で、母親は貴族「藤原氏」の血をひくという、道元は名門の子息だった。しかし、政変と戦争の繰り返される時世で、道元は、2歳のとき父親を亡くし、7歳で母親を亡くした。
6歳で『春秋左氏伝』を読んだというこの秀才は、孤児となって世の無常を感じ、12歳で出家。13歳のとき、比叡山延暦寺に入門して密教、仏教の勉学にはげみ、翌年、14歳で比叡山を降りた。
17歳で明全に師事。明全は、臨済宗(りんざいしゅう)の開祖である栄西の直弟子である(栄西はすでに死去していた)。21歳で、明全に印可(悟りを開いたという禅宗の卒業証書)を受け、23歳のとき、明全とともに、中国(宋)へ出発。宋の国でいくつかの寺で修行した後、25歳で景徳寺の如浄禅師の門下に入った。
27歳で如浄から、印可を受け、帰国(いっしょにいった明全は景徳寺にて死去)。以後、京都、建仁寺で、執筆、説法を続けるが、以前世話になった比叡山から迫害され、30歳のとき、建仁寺を出た。旧仏教勢力からの迫害を逃れ、44歳のとき、人里離れた山なかに修行場を求め、福井の山奥に大仏寺を開いた。この大仏寺が、後に永平寺と改められた曹洞宗の総本山である。道元は、53歳で没した。

自分の実家の菩提寺は曹洞宗だったが、道元について、ずっと知らないできた。
でも、不惑のころから、世界各国の思想、宗教について興味をもつようになり、勉強するうち、道元禅師についても親しむようになった。思うに、日本の宗教界で、もっとも学識が高く、かつ、もっともきびしい思想をもっていたのは、空海(弘法大師)と、道元禅師だという気がする。とくに鎌倉仏教の各宗派の開祖など、みな個性的で、おもしろいけれど、道元禅師の言うところがいちばんきびしいと思う。自分に対しても、他人に対しても。

道元の大著『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』で、自分が感心したのは、たとえば、
「生といふときには、生よりほかにものなく、滅といふときは、滅のほかにものなし」
ということばである。これは、こういう意味である。
「生から死に移り変わると考えるのは、まちがっている。生きているときは、はじめから終わりまで『生』あるばかりで、死んだときは、はじめから終わりまで『死』があるばかりである。『生』がくれば、ただ『生』に向かい、『死』がくれば、ただ『死』に向かうばかりなのである」
このリアリスティックで冷徹な響きは、すばらしいと思う。

『正法眼蔵』のような難解をもって鳴る古典を前にすると、生きているうちになんとか読みたいものだという気持ちになる。道元、その人の「精神性の高さ」が、800年の時を超えて、自分の胸に迫ってくる。
(2015年1月2日)



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