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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月19日・松任谷由実の名曲

2015-01-19 | 音楽
1月19日は、作家エドガー・アラン・ポーが生まれた日(1809年)だが、シンガー・ソング・ライターの「ユーミン」こと、松任谷由実(まつとうやゆみ)の誕生日でもある。

松任谷由実は、1954年、東京の八王子で生まれた。出生時の名は、荒井由実。家は古くから続く呉服屋で、由美は5人きょうだいの上から四番目だった。
小さいころからピアノ、三味線を習っていた由美は、14歳のときにはスタジオでピアノを弾いていた。そのころからオリジナルの曲を書きはじめ、15歳で作詞家としてデビュー。17歳で作曲家としてデビューした。
英国のロックミュージシャンにデザイン学校出身者が多いのを知り、彼女は多摩美術大学に進み、「荒井由実」の名でデビュー。19歳でアルバム「ひこうき雲」を発表。学生時代、すでに成功したミュージシャンで、当時からつきあっていた後の音楽プロデューサー松任谷正隆に自動車購入費として百万円をポンと貸したりした。
22歳のときに結婚。あこがれていたという三文字姓の「松任谷由実」名義に替えて音楽活動を続け、中島みゆきと並び、テレビの歌番組に出ないニューミュージック界の女王として君臨した。とくに20代から30代にかけて「カリスマ」「純愛の教祖」と呼ばれ、絶大な人気を誇った。ライブ・パフォーマンスにおいて、セットに大金をかけた絢爛豪華なステージで知られる現役のトップ・ミュージシャンである。自分用の楽曲のほか「呉田軽穂」のペンネームで松田聖子に「赤いスイートピー」「制服」「渚のバルコニー」「レモネードの夏」「小麦色のマーメイド」「秘密の花園」「蒼いフォトグラフ」「Rock'n Rouge」「時間の国のアリス」などの曲を提供し、松田聖子の全盛期を支えた。

多くの日本人がユーミンのBGM付きの青春日記をもっているにちがいない。自分が若いころ、とくに女性たちにとってそうだった。自分でさえ聴いていた。当時、苗場と言えばユーミン、横浜と言えばユーミン、夏と言えば、冬、春、秋と言えば、ユーミンだった。

同級生の死にインスピレーションを得た「ひこうき雲」(1973年)をはじめとして作った名曲は数知れず。「ユーミンの代表作は?」という問いほど困難な質問はない。
「瞳を閉じて」「やさしさに包まれたなら」「海を見ていた午後」(1974年)
「卒業写真」「ルージュの伝言」「少しだけ片想い」(1975年)
「あの日にかえりたい」(1975年)
「翳(かげ)りゆく部屋」「14番目の月」「中央フリーウェイ」「グッド・ラック・アンド・グッド・バイ」(1976年)
「埠頭を渡る風」(1978年)
「冷たい雨」「DESTINY」(1979年)
「恋人がサンタクロース」(1980年)
「守ってあげたい」(1981年)
「真珠のピアス」(1982年)
「ノーサイド」「Downtown Boy」(1984年)
「ANNIVERSARY」(1989年)
「春よ、来い」(1994年)
曲名をながめるだけで甘酸っぱい思いが胸に満ちてくる。同様に感じる人は多いのでは? 意外性のある華麗なコード進行、大胆な英語使用と強引な英訳、新しい季節感の創設などユーミンについて言いたいことはたくさんあるが、書き切れない。すごい才人だと思う。
(2015年1月19日)



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