1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月13日・ポール・サイモンの愁い

2013-10-13 | 音楽
10月13日は、英国首相だったマーガレット・サッチャーが生まれた日(1925年)だが、音楽デュオ「サイモンとガーファンクル」のポール・サイモンの誕生日でもある。
自分はサイモンとガーファンクルも好きだけれど、ソロになってからのポール・サイモンの楽曲のほうに、より親しんできた気がする。

ポール・フレデリク・サイモンは、1941年、米国ニュージャージー州のニューアークのユダヤ人家庭に生まれた。父親はウッド・ベースを弾くミュージシャンで、母親は小学校教師だった。ポールが5歳のころ、一家はニューヨーク市のクイーンズ地区へ引っ越した。そこの小学校で、ポールは、同い年の美声のユダヤ人少年、アーサー(アート)・ガーファンクルと出会った。二人は気が合い、デュオを組んだ。
17歳のとき、彼らは「トム・アンド・ジェリー」という名前でレコード・デビュー。
23歳のときには、「サイモンとガーファンクル」としてレコードを出した。24歳のときのシングル「サウンド・オブ・サイレンス」がヒットし、彼らはスターダムへの階段を上りはじめた。この曲は、2年後に公開された映画「卒業」に使われ、同映画に使われた「スカボロー・フェア」「ミセス・ロビンソン」も大ヒット。ポール・サイモンが書く愁いを含んだ知的な詞と美しい旋律、そして、アート・ガーファンクルの澄んだ声がうまくマッチして、二人は世界的なスターとなった。
その後、サイモンとガーファンクルは「ボクサー」「明日に架ける橋」「アメリカ」などの名曲を発表した後、サイモンが20代を終えるころには、二人の音楽の方向性のちがいが明らかとなり、事実上解散し、ソロとなった。
ソロになったサイモンは「時の流れに(Still Crazy After All These Years)」「グレイスランド(Graceland)」などの名作アルバムを発表し、高い評価と人気を集めつづけている知性派のシンガーソングライターである。

SF映画「スター・ウォーズ」のレイア姫役を演じた女優、キャリー・フィッシャーと、ポール・サイモンが結婚したというニュースには、自分は驚いた。当時サイモンは42歳、フィッシャーは27歳だった。自分は素直に、
「才能のあるミュージシャンは、いくつになってもモテていいなあ」
と思った。でも、実際のところ、彼らの結婚は単純な「幸福な結婚」でもなかったようだ。結婚は1年後には破局を迎えた。フィッシャーは後にこうコメントしている。
「結婚は問題の解決にならなかったわ、そのために結婚したのにね。人と人との関係では、そんなことしてはいけないのよ。問題を解決するために結婚するなんて。」(ジョゼフ・モレラ、パトリシア・バーレイ著、福島英美香訳『サイモンとガーファンクル』音楽之友社)
彼らは5年間、つきあい、別れ、またよりをもどし、を繰り返した後に結婚し、すぐに離婚したのだった。そこにはいろいろな問題があったことを本で知り、自分は、人の人生というのは、うわべを見ただけではわからないものだなぁ、と思った。

ポール・サイモンの曲では、
「四月になれば彼女は(April Come She Will)」
「時の流れに(Still Crazy After All These Years)」
「恋人と別れる50の方法(50 Ways to Leave Your Lover)」
など、なつかしい。とくに「時の流れに」などは、はじめて聴いたとき、すでになつかしい感じがする「他人とは思えない」曲だった。歌詞は、昔の恋人と会って、ビールを飲み、すこし話した、最近ぼくは慣れたやり方ばかりしているみたいだ、といった内容で、タイトル・フレーズが繰り返される。
「いろいろなことがあった時代の後で、ぼくはいまだにいかれたままだよ(Still Crazy After All These Years)」
この部分は、村上龍の小説『69』の終わりの部分で印象的に引用されていた。
(2013年10月13日)



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