大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

2011年回顧 Ⅱ

2011-12-28 | 日記
今日は今年の訃報をまとめます。

スティーブ・ジョブズ
CEOを降りたあたりからいつ逝ってもおかしくないという状況ではあったものの、やはり大変なショックではありました。アップルは生活を変えたコンピュータ・メーカー、いやコンピュータも作る新生活提案企業であり、それはイコールジョブズであった訳ですから。今後の道筋は遺言的にアップルに残されているとは聞きますが、アップルがジョブズ時代と同じように展開していくのか否か、それは来年以降徐々に明らかになることでしょう。仮にアップルがどう変わろうとも、ジョブズの精神は影響を受けたビジネスパーソンによって脈々と受け継がれていくことでしょうし、私もその一人でありたいと思います。

田中好子
キャンディーズのスーちゃん。僕らの世代にとっては大きな存在であったあの時代を象徴するアイドルでした。中三トリオのファンとかいうのは憚られる感じだったけど、キャンディーズなら堂々と胸を張って「ファンです」と言えるみたいな。ピンクレディーほど子供ウケでなかった点もけっこう重要だったかな。その後の女優田中好子は特にどうもなかったけれど、キャンディーズは特別だった。それだけに衝撃的な訃報ではありました。僕らの昭和がまたひとつ逝った、そんな感じですかね。

中村とうよう
洋楽系音楽評論家として、僕らの世代は少なからず影響を受けている、と言うよりも彼の評論を通じていろいろな洋楽を聴いた訳で、その意味ではある部分では確実に師匠みたいな存在だったのかなと。氏が創刊した「ニュー・ミュージック・マガジン(NMM)」は革命的に情報量の多い雑誌でありました。グラビア中心のミーハーな「ミュージック・ライフ」とは一線を隔す、大人の音楽雑誌であったかな。今のレココレ・ファンは確実に、NMMからの持ち上がり生たちな訳で、洋楽ファンに論理性という納得感をもたせることでファンの層に厚みを増した功績は大きいかなと。だた自殺と言うのが、なんとも切ないですね。

立川談志師匠
個人的には子供時代にあこがれた、仕事ができて頭の回転が速くてちょっと悪そうな遊び人風情…。この人みたいな大人になりたいと(落語家になりたいとは一度も思っていませんが)思った、あこがれの大人でありました。議員さんになって以降のことはあまりしっかりと追いかけてはいなかったけど、死後に聞かれた周囲の人たちのお悔やみによれば、一貫してカッコイイ大人だっとそうな。最後まで我が道を貫いた表向きの生き様よりも、本業を忘れず常に努力の人であったという素顔にこそ見習うべき点が多くあるなと、訃報に接して感じさせられたものです。子供の頃の直観的な人を見る目ってけっこう正しかったりするものです。

その他
実は洋楽関係でリアルタイムには知らずに後から訃報を知りショックを受けたアーティストが何人かいます。クラレンス・クレモンス、スプリングスティーンのEストリートバンド巨体の黒人サックス奏者。もう、スプリングスティーンとのあのからみは見れないのか…。「明日なき暴走」のビデオ・クリップの2人はとにかくカッコイイ。「霧のベイカーストリート」のジェリー・ラファティ、「ロンリー・ボーイ」のヒットを持つ西海岸の仕掛け人アンドリュー・ゴールドの訃報も。彼らは個人的にライブハウスクラスの会場での来日ライブを心待ちにしていたアーティストです。本当に残念でなりません。70年代のアーティストたちよ、やれるうちにやってくれ、来れるうちに来てくれよ、本当にそう思います。

おまけ
悪い奴らもずいぶん死にました。ビンラディン、カダフィー、そして金正日。時代は確実に変わりつつるかなと、思わされる死でした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿