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鹿沢温泉

2017年06月19日 | essay

 朝からの曇り空の下、当初予定していた渓谷行きを断念し、漠然と軽井沢を目指して車を走らせる。白糸の滝を見物し、古物商を冷やかし、帰路に就く。ひと風呂浴びてさっぱりしたくなり、地図のみで知る群馬は鹿沢温泉を目指してハンドルを切り、北上する。

 時刻ははや夕暮れ時。奥座敷にスキー場まで抱える山道は、勾配がかなり急である。あとどれだけ走れば辿り着くかもわからない。不安に襲われる。それでも走り続ける。鹿沢温泉は、私にとってほぼ一年越しの宿願なのだから。

 一見、無味乾燥で中性的に描かれた地図も、じっと眺めていると、何かしら訴えてくる箇所がある。鹿沢温泉はそんな存在だった。一年ほど前から、地図を見るたびにそこが気になって仕方なかった。実は数か月前にも行くチャンスがあったが、遠いということと、他に温泉はいくらでもあるという理由などから、見送った経緯があった。今回を逃せば、次はいつかわからない。もう再び目指さないかも知れない。私はハンドルを強く握り、レーシングゲームのような難所をひたすらに登った。

 スキー場を越え、下り坂に変わったところで、その目的地に辿り着いた。新しい建物と納屋のように古く見える建物が併設してある。温泉はその納屋みたいな方らしい。

 五百円を払って中に入る。

 狭い簀の子板を踏み鳴らせば、男湯の紺の暖簾と女湯の薄紅の暖簾。全てが長い年月を耐えてきた、慎ましい風格を湛えている。何かとても懐かしい感覚を覚えながら浴室に降り立つ。

 湯気が高い天井までもうもうと立ち昇り、窓から差し込む光も淡い。ちょっと洞窟に迷い込んだような錯覚を覚える。半分朽ちたような外観の湯船。そこを溢れかえる白濁の湯。そうだ、昔の温泉はみんなこんな感じだった。余分な装飾は一切なし。露天もなければ、下手をすると洗い場すらない。だがそれでよかったのだ。なぜなら、温泉につかりに来たのだから。素敵な景色を眺めたり、リッチな気分に浸りに来たのではない。温泉を求めて来たのだ。いにしえから受け継がれた信頼に足る泉質の湯が溢れていれば、それで十分なのだ。

 湯は鉄分や塩分を含むらしく、じんじんと体に浸み込んできた。思わずうなり声をあげて四肢を伸ばす、そういう類の湯だった。最高だ。なんだ、やっぱり最高とはこんなところにあったんだ。そう思いながら、私は何度も湯で顔を洗った。

 

 

注:写真は白糸の滝。なお、帰宅後調べてみると、鹿沢は千年以上の歴史ある温泉と判明した。気になっていたのなら前もってこういうことを調べておかなければいけない。肝心の鹿沢温泉の写真がないのもいけない。

 

 


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