夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

少将軍 岡本大更筆 その2

2018-11-09 00:01:00 | 掛け軸
さてそろそろ息子の七五三です。小生が七五三で着ていた着物を男の隠れ家の箪笥から家内が見つけ出してきて、仕立て直しをして出来上がったようです。もうかれこれ半世紀以上前の着物・・、これも骨董に近くなってきた??



小生が着ていた着物は北国仕様・・、綿入りの厚手。そこで着物屋さんと打ち合わせして着物を羽織に仕立て直したようです。裏面は能の翁の文様。吉祥文様で長寿祈願、そして福の神かな?



最近入手した平野富山の「翁舞」の作品・・、これも何かの縁でしょう。下記の作品紹介は近日中に紹介します。



さて掛け軸というのはかなりの割で吉祥の作品を描くものです。息子の成長に合わせて当方も幾つかの幾つかの作品を新たに蒐集することになりましたが、本日紹介する作品はそのような吉祥の意図のある作品です。

少将軍 岡本大更筆
絹本着色軸装 軸先木製 共箱 
全体サイズ:縦2097*横481 画サイズ:縦1218*横356



少将軍というのは単に兜をかぶった幼少の男の子を指しているようです。端午の節句の祝いに飾った作品ではないでしょうか?

 

展示室には左に武雄焼の三島手の大皿、右手の古備前の壺を飾りました。



端午の節句につきものの弓と矢・・・。



顔の部分にいたずら書き? 消そうとしてたが消えない? これもまた掛け軸の歴史のようなものでしょう。



作品中の落款と印章は下記のとおりです。

 

共箱の箱書きと落款、印章は下記のとおりです。このような作品は依頼されて描くことが多いのですが、そのような為書きは記されていませんね。

 

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岡本大更(おかもとたいこう):明治12年(1879) 三重県名張郡滝之原に生れる。幼少より絵を好んだが、家が貧しく師に就けず、大阪に出て独学で画法を学んで花鳥画で文展に入選した。その後は人物画にも画風を広げて、画塾「更彩画塾」を開き、後進を指導 育成し、また大阪市美術協会の評議員などを務め大阪画壇で活躍した。戦時中の昭和19年には後妻の郷里である香川県豊島に疎開したが、翌年の昭和20年終戦後の12月に豊島で没した。昭和20年(1945)没。 享年 66才。



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岡本大更は画集が出版されおり、更園、更生らも掲載されているようです。

*岡本更生については下記の作品の箱書をしている岡本大更の長男であり、土田麦僊に師事した画家です。

 

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岡本更園(おかもとこうえん):日本画家。明治28年(1895)兵庫県生。本名は延子。姓は岡本の他に星野・大江。最初は義兄・岡本大更の更彩画塾で学び、後に鏑木清方や西山翠嶂に師事する。新聞・雑誌の挿絵も担当した。大阪女流画壇の中心人物として美人画を得意とした。島成園や生田花朝女らと親交があった。歿年未詳。
大正14年(1925年)1月に木谷千種、星野更園、三露千鈴らを会員、日本画家北野恒富、菊池契月らを顧問とする「向日会」を結成。




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最近の展示室の様子です。



休日に展示室の飾りつけをしていると息子がやってきて「寂しい~」だと・・。



最近の週末は出かけることが多かったこと、先週はそこで趣味の方にウエイトを置き過ぎたようで、子供の相手がなおざりになったようです。

さて本日は胃と腸のカメラによる検診です。二年に一回はカメラで検診するようにしていますが、いつもながら下剤との闘いで気の重い検査です。


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