お花をあげ、線香を立てて、手を合わせる、頭を垂れる。
行事、といってしまえば、ただ、それだけのこと。
たくさんのご先祖様方をお見送りする、と思えば、心寂しく、少しホッとする部分もあったり。
彼岸中に、ガーヴさんが逝きました。ちびうさが逝って十日もたたないのに。
ガーブさん、あたしにはトクベツの子だった。
尻尾が長くてまっすぐな、真っ白で7.8キロの巨大猫でした。
抱きしめると、くた、っとして。両手でまるまるまる・・・と形をかえてやっても、ずっと抱っこ。
重いねぇ、やわらかいねぇ、可愛いねぇ、と頬摺りしながら、戻ってきてくれないかい?と、また思う。
生きてるときは、抱っこ嫌いだったんだけどね、と抱きしめながら泣き笑いしました。
階下に下りたら、庭の万年青の根を割って、福寿草が小さく咲き始めていました。
そこだけ光を集めてて、キラキラまぶしくて泣けた。
数年前、ガーヴさん、尿道結石になりまして。
尿道をシリンジで洗ってもらったら9万円請求されて、びびったっけ。
もちろん、治った喜びから笑顔でお支払い(内心涙にくれた)、というなつかしい思い出です。
ずっと、一人だけトクベツご飯で過ごしました。
手がかかった子は、さらに「トクベツ」の格が上がりますね。
今、ひしひしと実感しています。
母の亡くなった春の彼岸。
真っ白い子猫(一歳まえだから、という感覚で、子と書きましたが、実際は若猫?)が、母の墓から離れませんで。
三日間、訪問するたび、ずっとそこにおりました。
お寺の方に尋ねても、どこの子なのかわからない、という。
しかも、境内に居ると困るから、連れてってください、と言われる始末で。
あげく、帰ろうと車のドアを開けたら、呼びもしないのに、すたすたと乗り込んできて、後部座席でくつろいでます。
あきれて『ご一緒に、参りますか?』と声をかけたら、大あくびで答えてくれる、という。
母の態度によく似てました。
いや、母がお返事の代わりにあくびする、というのではありませんで。
猫のあくび、は、「気をゆるしている」とか「信頼してますよ」の合図、ということ、ですよ^^;
そのまんま、我が家の子として、去勢手術を受けさせ、ずっと同居しておりました。
最初は、台所にご一緒しました。もし母だったら失礼のないように、という事を言い訳に、大事に扱いました。
後に、あの大災害が起こりまして、三階に避難させ、そのまま、という。
声をかけなくても、なんとなく、「何でも分かってますから」という態度だった、ガーヴさん。
ガーヴ、って、三角お耳からとったのよね、真っ白だからズッケロでもよかったんだけど。
でも、「噛み付くからガブさん、ですか?」と、よく聞かれて。
確かに、そういう見方もあるかも?と、あはは、と笑ってましたっけ。
(いちいち言い訳するの、めんどくs・・・)
昔から言うのです。
彼岸に亡くなるのは、その子が生まれながらに持ってきた『寿命』なのだ、と。
昔、亡くなった叔母は、彼岸に亡くなって、同じことを言われましたっけ。
などと、思考は脈絡もなく、どんどん、はっ散らかっていきます。
不思議なことに、まだ、悲しみが少ししかありません。
他の子が亡くなったら、半狂乱で泣き暮らすのが常なのに。
まだまだ、かたわらに落ち着き払って鎮座してるようにしか思えなくて。
もしか、最後に「カハッ!」と吐いた一滴の血が、少し手にかかったのを、反射的に舐めてしまったから、あたしと一体化してしまったのか?
あれは、血でなくて、魂だったのだろうか?
生まれて初めて、猫の血の味を知った。人間とは完全に違っていたっけ。
居なくなった、という実感は、いつ、来るのでしょうか。
いったいいつ、どどんと襲ってくるものか・・・・、想像するだけで怖いです。
行事、といってしまえば、ただ、それだけのこと。
たくさんのご先祖様方をお見送りする、と思えば、心寂しく、少しホッとする部分もあったり。
彼岸中に、ガーヴさんが逝きました。ちびうさが逝って十日もたたないのに。
ガーブさん、あたしにはトクベツの子だった。
尻尾が長くてまっすぐな、真っ白で7.8キロの巨大猫でした。
抱きしめると、くた、っとして。両手でまるまるまる・・・と形をかえてやっても、ずっと抱っこ。
重いねぇ、やわらかいねぇ、可愛いねぇ、と頬摺りしながら、戻ってきてくれないかい?と、また思う。
生きてるときは、抱っこ嫌いだったんだけどね、と抱きしめながら泣き笑いしました。
階下に下りたら、庭の万年青の根を割って、福寿草が小さく咲き始めていました。
そこだけ光を集めてて、キラキラまぶしくて泣けた。
数年前、ガーヴさん、尿道結石になりまして。
尿道をシリンジで洗ってもらったら9万円請求されて、びびったっけ。
もちろん、治った喜びから笑顔でお支払い(内心涙にくれた)、というなつかしい思い出です。
ずっと、一人だけトクベツご飯で過ごしました。
手がかかった子は、さらに「トクベツ」の格が上がりますね。
今、ひしひしと実感しています。
母の亡くなった春の彼岸。
真っ白い子猫(一歳まえだから、という感覚で、子と書きましたが、実際は若猫?)が、母の墓から離れませんで。
三日間、訪問するたび、ずっとそこにおりました。
お寺の方に尋ねても、どこの子なのかわからない、という。
しかも、境内に居ると困るから、連れてってください、と言われる始末で。
あげく、帰ろうと車のドアを開けたら、呼びもしないのに、すたすたと乗り込んできて、後部座席でくつろいでます。
あきれて『ご一緒に、参りますか?』と声をかけたら、大あくびで答えてくれる、という。
母の態度によく似てました。
いや、母がお返事の代わりにあくびする、というのではありませんで。
猫のあくび、は、「気をゆるしている」とか「信頼してますよ」の合図、ということ、ですよ^^;
そのまんま、我が家の子として、去勢手術を受けさせ、ずっと同居しておりました。
最初は、台所にご一緒しました。もし母だったら失礼のないように、という事を言い訳に、大事に扱いました。
後に、あの大災害が起こりまして、三階に避難させ、そのまま、という。
声をかけなくても、なんとなく、「何でも分かってますから」という態度だった、ガーヴさん。
ガーヴ、って、三角お耳からとったのよね、真っ白だからズッケロでもよかったんだけど。
でも、「噛み付くからガブさん、ですか?」と、よく聞かれて。
確かに、そういう見方もあるかも?と、あはは、と笑ってましたっけ。
(いちいち言い訳するの、めんどくs・・・)
昔から言うのです。
彼岸に亡くなるのは、その子が生まれながらに持ってきた『寿命』なのだ、と。
昔、亡くなった叔母は、彼岸に亡くなって、同じことを言われましたっけ。
などと、思考は脈絡もなく、どんどん、はっ散らかっていきます。
不思議なことに、まだ、悲しみが少ししかありません。
他の子が亡くなったら、半狂乱で泣き暮らすのが常なのに。
まだまだ、かたわらに落ち着き払って鎮座してるようにしか思えなくて。
もしか、最後に「カハッ!」と吐いた一滴の血が、少し手にかかったのを、反射的に舐めてしまったから、あたしと一体化してしまったのか?
あれは、血でなくて、魂だったのだろうか?
生まれて初めて、猫の血の味を知った。人間とは完全に違っていたっけ。
居なくなった、という実感は、いつ、来るのでしょうか。
いったいいつ、どどんと襲ってくるものか・・・・、想像するだけで怖いです。
ガーヴちゃん、お母さんが呼んで、otikomi さん家の子になったのかもね♪
otikomi さんの元に、何かの形で、いずれまた来ると思うよ!
今から30年位前にさー、お寺の玉砂利の上で、両目から血を流して、助けてーって、ミャーミャー鳴いてた子猫がいたの …… 多分、カラスだと ……
助けてやりたかったけど、一緒に行った伯母は苦手だし、母はお寺だから霊がつくとか言って、まだ猫を飼ったことなかったし、後ろ髪を引かれたけどそのままにしてしまったんだ。 参拝客が、溢れかえってたけど、誰も見るだけで素通りしてたの。 心が重かったよね~
それから、ずーっと脳裏に血を流した姿と鳴き声が、引っ掛かってたんだよ~
それから10年余り、道を歩いてたんだけど、ひょいと小道に何の気なしに入ったら、同じ2ヶ月程度で、同じ黒色で、両目の見えない子猫が座ってたんだよー
家の爺ちゃん …… 不思議な縁だよね~
ガーヴちゃん思い出して泣くと、あっちへ渡り損ねるから、笑顔で送り出してやんないとね~
三角耳が、なぜガーヴなの?
ガーヴさんのご冥福をお祈りします(・_・、)
母が呼んで・・・どうだろね^^;;母は、あんまり動物が好きでなかったみたいだよ。
世話はしてたけど。いろんな種類のが、いっぱい居たから。世話というより、追い回されてた、と感じてたのかも?
そっちの黒い子猫。。。なんか、考えてしまうよね、そういう状況だと、ね。そうだとしても、そうでなかったとしても。
今が、今までが、たくさんの思い出であり、人生の一部になってるんだから、それでいいのだと、あたしは思うよ^^
ガーヴ。たぶん、自分の心のどっかが、まだ、認めてないんだと思う、死んだということを。
いつか、理解できるかもしれないし、ずっとそばに居る、と感じたまんまなのかもしれないし。わかんない。
三角って意味だよ、ガーヴって。耳までは、入ってない。
どこの言葉だったか、忘れちゃった。でも、ガーブのいろんないろんな動きやら声やらは、覚えてる。
もう、春なのですね、そちら。
こっちは、今まさに、雪が降ってます。昨日もだったけど。春はもう少し先、かと思ってます。
早くストーブが要らなくなる生活になってくれますように、って、かなり真剣に願ってます^^;;
真夏の暑すぎは、困るけど。。。(-_-;)ワガママナノデス
なんか、もう、ね、手がかかりすぎて、日常になっちゃってると、ね、居ない穴みたいなもん、ありますよね。どっか別の次元に抜けてるんではないか?と思うような、穴。
心の中の穴だから、目には見えないんだけど、確かにそこに、ほら、って感じの。
どうなんでしょうね、こういうの。頼りすぎてるんでない?って、我ながら、苦笑するしかない、というか。
いや、苦笑でもなんでも、泣かずに居られるのは、幸せですよね。
ガーヴさん、けっこう親孝行?^^;