バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

頭無川

2008-04-14 21:08:05 | ポタリング
頭無川(づなしがわ)、面白い名前ですね。
頭の無い川、つまり始まりがはっきりしないような川のことで、ネットで調べると全国にこの名前の川は幾つかあるようです。

松本市の南部は奈良井川と田川に挟まれており、その伏流水があちこちに湧き出て、この頭無川や穴田川、征矢野川となって、今は住宅街となってしまった流域の田畑を潤していたようです。

昨日はそんな川を探訪するポタリングを、松本ぽたりんぐクラブのメンバーや一般参加者と楽しみました。
何十年も住んでいる町なのに今まで通ったことの無い道や、見たことの無い場所ってのは結構あるものです。

身近な所にも面白いものは転がっている、そんなことを実感した1日でした。
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化粧道祖神

2008-04-09 21:32:34 | ポタリング
安曇野は道祖神の宝庫ですが、中に化粧道祖神と呼ばれる、ケバケバしく彩色されたされたものが多く見られます。

いつ頃からどういった理由で彩色されるようになったのかは知りませんが、そのケバケバしさも安曇野の風景に溶け込んでしまうのが不思議です。

写真の道祖神、かつてはバックに常念が見れたのですが余計な建物ができてしまい味の無い風景になってしまったのは残念です。
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鼠穴

2008-04-07 21:29:44 | ポタリング
国土地理院の5万図を見ると、安曇野市穂高の北の松川村に「鼠穴」というとても興味をそそる地名があります。
昨日はセンチュリオンターボ7000の試乗を兼ねてそんな面白い場所を訪ねてみました。

この辺りは古代安曇族が住み着いたといわれる所で、中房川が作る扇状地の一角に位置しています。
街道沿いには村名の由来となった「鼠石」というのがあって、立派な石の柵で囲まれ松川村史跡指定の案内板が立っています。
読んでみると、その石にあいた拳大の穴は有明山山頂の金明水、銀明水を湧き出している穴まで通じているとか善光寺まで通じているとか、鼠が膳腕をこの穴から出して貸し出してくれたとかの言い伝えが書かれていました。
また、ネズミに「不寝見」という字を当て、昔の物見の場所であったろうともありました。
近くの山に小さな砦らしき跡もあるようです。

個人的には善光寺まで繋がっていて欲しいと思うのでありました。

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松源食堂

2008-04-03 21:06:31 | 昭和食堂
ツーリストホテルの近くにある松本で最もレトロというか、ボロいというか間違いなくそんなベスト3に入る食堂です。
5,6人用カウンターとテーブル2つの小さな店内ですが、カウンターは剥げかかって変色し、黒ずんだお品書きの紙も破れていてそれこそ昭和30年代の雰囲気です。
女性が絶対に入ることのなさそうなオヤジ御用達のこんな店は、ある意味大変貴重な食堂でもあります。

メニューも意外と多いので、昼飯時には近隣のサラリーマンや常連客で結構賑わうようですが、今日は1時過ぎに行ったので客はワタシ一人。

ラーメンは鶏がらメインでスープを全部飲むとちょっと油が後に残るような感じですが、麺の食感は好みです。
後何年営業するのでしょうか?

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新村駅の電車祭り

2008-04-02 23:23:17 | その他
先日のポタリングで通りかかった松本電鉄新村駅でタイミング良く「電車祭り」をやっていました。
以前から気になっていたクラシックな電気機関車も展示開放されていたので、鉄道マニア初級オヤジとしては早速乗り込んで記念写真をパチリ。
鉄と木の塊のメカはいつまで見ていても飽きませんねぇ。1台欲しいものです。

調べたところこの電気機関車はED301といって、1926年ボールドウィン・ウエスチングハウス製の輸入機で、信濃鉄道3号機→国鉄ED223→岳南鉄道ED223→西武鉄道A1→松本電鉄ED301という経歴を持つそうです。
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八面大王の耳塚

2008-04-01 22:18:18 | ポタリング
穂高の少し北に「耳塚」という地名があります。

何でも坂上田村麻呂が有明山山麓に住み住民を苦しめていたという「八面大王」を成敗し、復活を恐れバラバラにして耳をここに葬ったという魅力的な伝説の地で、田んぼの中に「大塚神社」が祀られた耳塚があります。
丁度近くの民家の庭先にいたおばあさんにいろいろ聴いてみると、耳塚様のおかげでこの辺りには耳の悪い人はいないと言っていましたが、その割には耳が遠そうでした。

八面大王は決して鬼ではなく、大和朝廷に抵抗した磐井の乱の後この地に流れ着いた安曇族の首領なのでしょうか。

ちなみに胴は大王わさび農園、首は筑摩神社に葬られています。足は耳塚の近くの立足という所かとも言われています。
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