街道沿いには寺社が点在する
屋代の鍵の手に位置するこの神社
自分の地元の須々岐水神社と同じ名だ
ただ読み方が「すすきがわ」と読ませ主祭神は建御名方命
一方、屋代のほうは普通に「すすきみず」で主祭神は大国主命
親子だわ
力比べで負けて国を追われた建御名方命は糸魚川から白馬に至り
大町方面の在来勢力を避け
そこから長野へ抜け屋代、佐久を経て和田峠から諏訪に入ったのではないか?
このルート沿いの生島足島神社には建御名方命が滞在したとの言い伝えがある
さて須々岐水神社だが
地元のほうは土木事業に長けて治水・開発に貢献した渡来人が朝廷より須々岐姓を賜り奉祀された
というような記憶がある
こちらも千曲川の治水に関連あるのだろう
近くには伏見稲荷大神なんてのもあった
京都の伏見稲荷の超ミニチュア版だ
屋代の鍵の手に位置するこの神社
自分の地元の須々岐水神社と同じ名だ
ただ読み方が「すすきがわ」と読ませ主祭神は建御名方命
一方、屋代のほうは普通に「すすきみず」で主祭神は大国主命
親子だわ
力比べで負けて国を追われた建御名方命は糸魚川から白馬に至り
大町方面の在来勢力を避け
そこから長野へ抜け屋代、佐久を経て和田峠から諏訪に入ったのではないか?
このルート沿いの生島足島神社には建御名方命が滞在したとの言い伝えがある
さて須々岐水神社だが
地元のほうは土木事業に長けて治水・開発に貢献した渡来人が朝廷より須々岐姓を賜り奉祀された
というような記憶がある
こちらも千曲川の治水に関連あるのだろう
近くには伏見稲荷大神なんてのもあった
京都の伏見稲荷の超ミニチュア版だ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます