V2ミサイルをドイツが上げた時には、皆目を丸くしただろう。ドイツが、思い付きをここまでやったのは凄い。
同じことは日本もやっている。赤外線ホーミング爆弾を実際に使ったのは世界で日本が最初である。
ただ、この時の制御装置は、あの状況では本当にギリギリの見切りがあって、コンピューターの無い時代では凡そ人類の考えられる限界だっただろう。
またサターンロケットのF1エンジンは、本当に良くやったものだと思う。スペースシャトルに使われたエンジンも相当なもので、日本のH1,H2に使われているLE7エンジンは、推力的にこの2つのエンジンに負けている。
大体、アポロ宇宙船の中のコンピューターは、本当にあの時代良く此処まで作ったものだと呆れる。
それよりも凄いのはアポロ宇宙船の中のテレメーターの技術力の凄まじさである。テレメーターとは、アポロの中の全ての操作や、全ての状態を電波に載せて飛ばす技術である。
この時期デジタル技術が低いからアナログ技術で全てやっている。このアナログ技術ではフィルタリング能力がモノを言う。また高周波技術はVHFがほぼ限度だったので、月まで届く電波技術としてはVHFが限界で、また映像による中継をやったと言う事は、相当な技術の詰め込みだった。
多分調整が神業だったのだろう。いや回路を作るだけでも相当なものだ。あの時代に、この程度の集積を可能とした神業は本当に凄い。もっと凄いのは、この設計にコンピューターは事実上使っていない。ただ実験は試作は半端な量ではないだろうと言う事である。
月着陸船の開発の時も、思い付きを無理矢理通すと言う凡そ合理的なのか精神力的なのか?分からない程である。
素材技術も、分析技術も設計技術もシミュレーション技術も当事のそれを遥かに上回っている筈の世界だが、その実感が無いのは何だろう?
思うに進化と達成するとは、直結していないのだろう。そう言えば、今の時代の方が経済的資産価値として当事より遥かにある筈なのだが、それで経済が何をしたのだろうか?
経済は科学を無視する算数主義者に権力を与えただけの様にしか見えない。その際たるものが慶応の世界で一番経済音痴集団である。
私は、凄い人々が多いのに、権力を持っている連中だけが馬鹿丸出しの下衆であるのを見て、一匹の狼が率いる九十九匹の羊の方が、一匹の羊が率いる九十九匹の狼を駆逐すると言う格言を思い出す。
当事は、分からないなりに分かろうという風潮が世界中にあったが、今は分かっている振りの突っ込むと逆切れする糞馬鹿の集まりとなった。
こんな事できるのか?分からないならやりましょうと言う思いっきりの良さが無い。そして馬鹿みたいな利口利口の連発。慶応の連発、法政の連発(パターンが増えました)
思うに、古代も中世も暗黒時代と言う糞みたいなものがあったのだが、それは往々にして馬鹿が幅を利かせた結果だった。今日もNHKの歴史モノで織田信長の話をする時に「何時の時代も時代のブレークスルーを求める人が常にいたんですね」と渡辺真理ちゃんがのたまっていたが、それなら何故織田信長だけが特筆される?となると織田信長以外は糞だったという事である。
もっとも最近は平清盛と言う新機軸も出てきているが、結局、それはその範囲内の話であって、平清盛は清盛なりに、その当事の世界一杯広がったのだ。(つまり平清盛が開いたのは、博多神戸京都の範囲内ぐらい)
日本が日本と言う国土を精一杯広げたのはやっぱり織田信長を待つまで無く、それまでは誰もいなかったのだ。
織田信長も、相当色々あるが、それでも無理を通したのは、相応に凄く、それはジョブズと似ていなくも無い。ジョブズも信長も結果論として正しかったが、やっている最中、これが本当に正しいと思っていたのは本人だけだったのではないだろうか?
合理的に(慶応)、利口に(慶応)、客観的に(法政)、大人になって(法政)とは、チョット聞くとまともの様だが、その中には他人事の外道の嘘吐きの影が見え隠れする。
世の中を変えたのは、少なくとも、この様な雰囲気ではなかったのだろう。また、今となっては当たり前の事も、利口な事も、初めての当事としては、常識外れの事だったのだろうと思う。
楽市楽座もそうだが、始めた当事「市とは、祭りの関連で開くものである」と言う「べき論」が先に立っていた。
流通をやってみて「初めて上手く行った」のである。元々、北条の政策の一つだった市の成功を見て、大胆にやっただけの話で、織田オリジナルとは到底いえない。
今こうやって書いている文字も、楔形文字では、単なる意味や音の表現ではなく、まるで暗号解読の様な難解なものだったとの事である。だが、その後のギリシア文字などのアルファベットが発明されるまで、音声表記以外の文字があって、文字とは難解なものだった。それを革命後は字数で半分以下になると言う、それまでの文字の意味を考えさせられる。
事ほど左様に、改革革命とやらは、過ぎて初めて、それが改革であり革命であったと分かるものが少なくない。つまり色々な事をやる前から、改革であり革命であると吹聴している革命とやらは、何処まで革命的なのか?と疑われる。
また、現代の技術からみても考古学的に研究されなければ分からない技術が多い。
何しろ昔の火星探査機バイキングの情報が2000年頃に、その多くのデータが解読できなくなったとの衝撃的なニュースが出てきた。この時点で後の時代になれば、進んでいて上位互換と言う意味ではなくなったのである。
まぁデータの集積性の問題から、カー効果を使ってレーザーで読む可能性もあるが、少なくとも当事の磁気技術で読み取る事は今の時代でも出来なくなったのだ。
この様な考古学が最新科学になりかねないオーパーツの問題は、別に珍しくもなくなりそうである。
ただ、はっきり言えるのは、ギリシア時代のアンティオキアの機械や、ヘロンの蒸気機関が発明された後でのキリスト教などの宗教暗黒時代で、技術が無くなった時代と今が重ならないとは思えない。
それもこれも理解力の無い慶応や法政が、馬鹿であるから発言がマスゴミによって流される今の時代を見ると確信する。
今後マスゴミによる暗黒時代が発生するのだろう。馬鹿文科系大学出による暗黒時代。それは本当の意味での暗黒時代が必ず生まれるのだろう。その時代、石器時代の方がマシといえる馬鹿の時代となるのだろう。
技術は進歩しないわけではないが、所詮、言葉遊び、金回し遊びに狂奔する馬鹿文科系大学出のキチガイその物の愚行は、今後酷くはなっても止まらないだろう。思えば前大戦の頃も、皆がそう思った時代だったのだろう。
戦争を作ったもの、それは合理性時代に幅を利かせたキチガイの集団、馬鹿文科系大学出、マスゴミである。もう一度第一次世界大戦と第二次世界大戦までの歴史をこれを伝えているのが嘘吐きで戦争の原因を作ったキチガイの手によるものだとすれば、どうだろうか?
また利口とか大人とか吹聴しているものを、直視しては、どうだろうか?放置してまともになるのだろうか?いじめ問題も、中毒・チョンの不法占拠問題も同じである。全ては伝えている連中が嘘吐きのキチガイであると考えると、結論が大きく違う。
歴史は往々にして今利益を享受している嘘吐きの手によるものが最新のものである。