この「学歴とは到底呼べない」「文化系大学出」が大卒の80%を占める。これらは侍業の資格などを持っていたら「使える」だろうが、学生生活をエンジョイしていたなら、これからの経済社会では「モノの役には立たない」だろう。
その典型が、マイナンバーカードの不具合である。現在の担当相:河野コオロギ太郎は、喧嘩腰で上意下達していたようで、高橋教授が指摘していた通り、自民党でプログラムが出来る人はいないと言っていたが、そうなんだろう。
イーロン・マスクが、そこにいたら「プログラムを見せろ」とか、デバッグで此処の処理止めて、数値見せて?とか、SQLエンジン動作見たいから、Bashで良いからスクリプト組んで…。とか指示出すだろう。
ただ麻布に隠し事のある「コオロギ太郎ちゃん」は、怒って怒鳴って睨む以外は何も出来ないで終わる。
自民党の平将明議員も、Web3.0の専門家みたいに言われているが、担当のプログラムシステムは「全く動かず」呆れられていた。
そんな事言うと自民党は全部馬鹿?と言われそうだが、どうも山田太郎議員が結構イケるらしいとの話だ。まぁどういうレベルか知らないが、自民党も政権党ながら、科学技術は全くわからない状態だろう。
プログラム技術がそんなに大事か?と馬鹿文化系大学出はホザクだろうが、大事だ。チャットGPTもそうだが、機械学習の知識がない人は「マクロデータ」の意味が分からない。社会の動きを先んじる数値の意味がわからないでは、状況の把握や対策が打てない。
人工知能は、文化系大学出のレベルに合わせてくれるが、アレは時々嘘をつく。だから、肝心の情報は自分で取るしか無い。今後「私は文系だから、数値関係は苦手で…」、と言うことは「クビ」を願い出るのと同じになる。
もっと言うと、高橋教授の説明には「最小限の数式」を入れるが、虚数単位のべき乗ネイピア数を二重積分したものだ。四半期ごとの経済予測は、この方程式の形で出される。一応計算概念を数式で表したものだが、世界のエグゼクティブは、これが分からんといけない。まぁ経済成長率の式なので、1つ分かれば、大体こんなモノと解るが、要求される理解力は日々高度化する。
加えて商材が高度化して来るために、それらのオペレーションが必要となり、素養がないものは、その分出足が遅れる。
私も商社の担当が自分の会社の取扱商品を知らず、二度手間三度手間を掛けさせられたことは一再ならずあった。圧力装置メーカーSMCのラインナップは27万種類で、毎年数千機種がカタログに追加される。商社の担当は、機種名と数量以外はさっぱり分からないと目が訴えている。近年地方の商社は配送業者に近く、パーツメーカーは、技術的質問はこちらに願います。と最初から言ってきている。
それは営業は馬鹿でも〇〇でも出来ることなのか?
だが我々は、わずかでも進化はしている。
その足を引っ張るのが「文化系大学出」なのである。
情報提供感謝します。
今回の議題は、私なりの視点があり、それは原野さんと重複します。
中国の問題は
1)経済活動の沈滞⇒経済成長の鈍化⇒社会の不景気⇒社会不安⇒全社会的不満
2)半導体産業の沈滞⇒装置・材料が入らない⇒人材手当も失敗
3)不動産業のバブル⇒崩壊に近い⇒インフラの消失⇒国富の消失
私の分析
1)は、好景気時、庶民に売りつけた「理財商品」が価値消失+「ゼロコロナ政策」で一気に貧困化した。
2)調子に乗って「中国製造2025」計画を公表し、欧米に警戒感を惹起させたし、元々思想統制が治安維持の基本である中国共産党が、自由な討論が不可欠な最先端技術開発は無理がある。
3)最悪なのは中国共産党政府が公然と「政府は不良債権処理を行わない」と宣言するだけで本来の義務から逃げていた。近年通貨を幾ら供給してもM1,M2等の流動性指標が伸びなくなって「不良債権処理をしないと無用なクズ物件がキャッシュを消費するという事を今頃になって習近平は理解した。
不良債権処理は日本では、1998年に「ブリッジ・バンク」で処理を開始、1年内外で処理の目処が明確化した。中国共産党政府は、個々の事例を対処しているようで、極めて愚劣である。
加えて、凄まじく手を抜かれた不動産は、壊れるのを待つだけで、居住は元より望めない。工事で解体するだけで天文学的費用と資材を消費する。
この期に及んでは、習近平は自らの失策を糊塗せんが為、国内で一戦する事も考えかねない。
GooBlogのセキュリティを良くせよと、パスワードを変更されて長い間、この古巣に戻れなかったが、まぁ戻って来れた。
また誰も読まないブログをバリバリ書いて死ぬ前の悪あがきとしましょうか?
所で、YouTuberをやりたいというのは頓挫しており、まぁ必ずやりたくもある。
今日は2chの不思議話をよく見たが、やっぱり永遠ではないだろうが魂とその世界はありそうな感じだが、その世界は自然的で文学的である。
つまり野生のサバンナの弱肉強食ではないようだ。何やら日本的な道徳的秩序が支配するようで、毎度思うのは「イスラム教徒」の臨死体験はどうなのだろうと思う。
イスラムに限らず、ユダヤ・キリスト教の「天国」は「人しかいない」って、皆あまり知らないようだ。
聖書には「天国には神様がいて、神に似せて作られた人間だけが入れる場所」だそうだ。
「人だけの世界」を「永遠に」って、それ聞いただけで「自殺したくなる」と思う。
またイスラム教の「天国」やユダヤ教の「天国」キリスト教はプロテスタント・カソリック・コプト教・クエーカー教などの「天国」がある。
はっきり言って、どの「天国」も私には「地獄の間違いちゃいまっか?ってなもんだ。