大和の話が終戦の日から(まぁ敗戦でも良いけど)色々出ている上にディアゴスティーニの本が出ている。大和を作るのだそうだ。
私はへそ曲がりで、変わり者だからブルーシリーズの中でも「激闘駆逐艦」とか「イ17号帰還せず」何かを読んでいた。
大和は、劇的に話を述べていたが、大和は正直腐敗の象徴でもあったし、愚劣な虚勢の誇示でもあった。
先ずあったのは大和ホテルの話である。戦艦大和は、その士官室などが豪勢そのものだった。その為、軍上層部や政治家が好んでやってきて、その豪勢な設備で豪華クルーズを楽しんだ。その為戦闘より、宣伝の為の船と言って良かった。それが大和武蔵の現状だった。
それに大和一隻は、戦艦で3隻分、重巡洋艦でも十隻、巡洋艦で三十隻、駆逐艦で五十隻ぐらいの資材を使う。実際大和は、馬鹿みたいに資源を浪費する船だった。
大和一隻をチャラにして、対空駆逐艦や対空巡洋艦を三十隻作るか、航空機を一万機作る方がまだ国防と言う意味ではマシだった。それを武蔵、大和、信濃(後に航空母艦)にするなどの、馬鹿みたいな資源の浪費があった。
これは今のダムや道路などの土木屋がやたらと物を作りたがり壮大な奴を作りたがるのと基本的に同じである。使う方向性を全く考えず作れば良いだろう。面子が立つという意味で私はカミオカンデを同じに見ている。
また大和は燃料食いでもあったし、遅く、更には面倒臭い政治家や経団連と同じで、ちょっと動くのに周りの船舶などを馬鹿みたいに動員するのが常であった。その為一回の出航に手間がかかるのだ。
元々分艦隊で、ソコソコの任務があるのを、同時期に日時を合わせ行動するなど、ナカナカできるものではない。敵と言うものもあるし、何より天候が許さないし、物資資材は元々不足したから開戦に及んだのだ。
それに給油といっても馬鹿は分からないだろうが、この馬鹿でかい船の給油は給油だけで数日かかる。そんだけの石油を持ってくるだけで相当な手間である。事ほど左様に、頭の悪くない歳相応の知識を持っている人間は、そういう問題を一々検討して話す。だから細かい事ばかりと馬鹿が最初言うのだが、後になって私の言うことの意味を私の顔を見て思い返すのだ。そして私は嫌われるのである。正しい事を言うが故に。
NHKの大和の乗組員の話を聞いていると、特攻の時に死ぬかもしれないと覚悟を決めた様だが、実は、大和に乗っている連中は、相当にエリート気取りで、浮沈艦を真面目に信じ込み、また優遇されているのを当然と思い込む正直嫌な奴等だったのだ。
その証拠に酒保での資材の分配は駆逐艦などの一番動いている船の船倉が満杯になった事は無かったと言うが、大和は常に満杯だったと言う。そして彼らが足りないと幾ら言っても補充しなかった。だから他の艦隊や小型船艇では、大和や武蔵の事を嫌った発言をしていた事だけはハッキリしている。
また47センチ砲と何かとあると馬鹿が吹聴するのだが、この47センチ砲は先ず当たらない。実際実戦で当たったのはたったの一発だけで、それで軽空母が沈んだ。それが戦艦大和の偉大な戦火であり、武蔵は結局物資の浪費の為に作られたようなものである。
それでボッチャーン、ボッチャーンと二隻が沈没でござぁ~い!と来たもんだ。
様々な実戦で毎日毎日死ぬ思いだったのは、一番身が軽く、姿を隠し易かった駆逐艦だったし、軍事徴用の民間船舶だった。特に民間船舶は殆ど水杯で出発していた。軍事徴用は、輸送艦だけではなく、漁船も監視、哨戒、通信、物資輸送で徴用されていた。往々にして行動は単独。護衛は無しである。これは大和が特攻をする1945年の話ではない。1943年には既にそうだった。この頃、大和の乗組員は平気の平左で、自分たちは安全と思いこんでいた。だから特攻で沈むかもしれない事が確実になった時に狼狽したのである。
何より連中を安心させたのは、特攻が元々、士官のほぼ全員が、今回の出撃は無意味と言う事で強硬に反対したのである。その為、当初大和の特攻は見送りとなったが、世論と言うか空気で、なんとなく何故大和は出ないという風評が立って、その問答無用での出撃となった。
大和の沈没が報告されると海軍軍令部は、その時の特攻を無謀な行為だったと、上層部が頭を下げたという前例の無い行動を取った。だから大和の乗り組み員は、最初からこの様な事になることは無いと高を括るというものではない、確信していたのである。
良いだろうか?一方で神風、靖国特攻隊で飛行機が一千機以上特攻をしているのに俺は大丈夫と思い込んでいたのだ。元々命が無いと思った人間が、特攻だと言われてびびるだろうか?出来ていなかったから愕然となり蒼白となったのだ。
インパール作戦などの現場で戦死をする人間は、殆どが死を覚悟していた。
イ17号の場合も、大抵は深夜作戦で、護衛は無し、通常は艦内でずっと眠るのである。空気節約の為だ。その空気を取得する浮上も難しかった時には、死を覚悟して浮上した事もあると書かれている。この様な死を目の前にしていた人間からすれば何とも不公平な戦場なのである。
別に人に死ね死ねと言うのではない。ただ悲惨とか可哀想と大和の乗組員に先ず言うのは間違いで、潜水艦の乗組員や民間徴用の船で死んだ人々を言うのが本筋と思う。
それと激闘駆逐艦でもあったのだが、B29の空襲を守る方法は無かったと松本零字までまで言うのだが、それは間違いである。ミッドウェー海鮮の後、敗残の海軍は、佐世保にやってきた。だがその時、大和や秋月型対空空母には128mm対空砲があった。これはB29のいる高空まで十分届く高射砲である。大和には4門、秋月型等の対空艦艇に2~4門装備されていた。この時佐世保に偵察に来た偵察機は有り得ない高度への砲撃でほうほうの体で逃げ出したとあった。
つまり軍令部は天皇陛下の命を守るより大和や武蔵を守る方に資源を傾注していたのだ。これを何故か激闘駆逐艦以外で述べられるのを私は見た事が無い。
軍部は往々にして、自分たちの権限を守る為に、自分達の装備などを強力にする傾向があるが、これもその際たるもので、それが高じると、民間を守る為の軍事力よりも軍部を維持するための権力と化する事が多く、往々にして防衛の任を放棄する事がある。この高射砲の問題も、良くある軍部のありがちな暴走の似たパターンの一つを進んだに過ぎない。
大和の死を悲惨と言うが「イ17号帰還せず」で、同型艦のイ15号の最後をお教えしよう。船には何故かキングストン弁と言う、開けると沈む弁がある。このキングストンベンを潜行航行中に誰かが開けたのだ。だが上のハッチが開いていないと、何事も無いのだが、ハッチを開けたと同時に、凄まじい空気と共に水が流れ込んでくるのだ。その為イ15号は30秒で沈没した。生存者はいなかったと言う。
私は、こっちの方が悲惨な死だと思う。
悪いね。私は、このブログを読んでいる人より多分色々な酷い死を見ているし、知っている。知らなければ良いと思う事を何故か知っていて何故か忘れない。忘れるという事は酷い事を見逃す事になるからだ。だが先にも書いたが、私はその記憶が知識が判断が正しければ正しいほど、最初の発言が正しく、その発言を無視した奴に、前も言いましたがという度に嫌われる。だが前にも言ったといわないと毎度毎度何を言うという態度に出るからだ。
正直長崎には、そんな良くあるエリート気取りの健忘症が多くいる。そんな奴等を相手にする私は毛沢東の気まぐれに振り回される周恩来の気持ちが良く分かる。これもまた分からなければ良いのにと思うのにである。
そして私は高血圧で脳溢血で死ぬのだろう。
大和の乗組員と違い、近々死ぬのは覚悟している。第一血圧が高いので青ざめるほど余裕は無い。どうも生活が過酷だと、死は身近な様だ。