織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(17)燧ケ岳 「長英新道」

2011年06月22日 | 尾瀬
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尾瀬紀行(17)燧ケ岳 「長英新道」




雪の大江湿原



長蔵小屋に隣接する大きな休憩所は、未だ朝早いこともあってハイカーは一人の姿を見せていなかった。 
鳴りのあまり良くない携帯ラジオを聴きながら、やや、さみしい朝食を摂る。
直後、猛烈な睡魔が襲ってきて、テーブルにうつ伏せになって真っ暗い、無意識の世界に吸い込まれた。

ハッと気が付くと時間にして僅か15分程度の事であったが、頭の中の霞が取り払われた感覚で清清しくも思われた。
気が付くと炊事場のおばさんが、まだ眠気を残しているようにのんびりした仕草で片付けものをしている。
「これから燧ケ岳のテッペンへ向かうのですが、天気予報のほうは如何ですかね」
「今、7時のニュースをかけますから、その後で天気予報をやりますから聞いておくんなせい」と、そっけない返事が返ってきた。
予報は「晴れ・時々曇り」といい、先ず先ずを示していた。



現在の長蔵小屋は東岸、大江湿原の南にある。
大江湿原は未だ雪の中であるが、沼山峠へ向かうルートは既に歩道が露出していて、遥かに先へ延びていた。

その大江湿原を横切り、沼北岸を行く歩道は樹林中に入るとまもなく木道で浅湖(あざみ)湿原を横切る。 
この湿原を巻くように「長英新道」が始まっていた。 

ガイドブックによると、この新道コースは距離的には比較的長いが、なだらかなので初心者でも楽しみながら登ることが出来ると記してあり、時間的にも沼尻コースと余り変わりが無いようだ。 

尚、長英新道とは長蔵小屋二代目主人・平野長英氏の名を付したものでる。 
この歩道は昭和35年につけられたというから、尾瀬の登山史の中では比較的新しいものであろう。
それまでは、沼西岸の沼尻平に始まるナデッ窪がこの山の登山に用いられていたらしく、古き明冶22年、平野長蔵氏が初めてこのナデッ窪から登ったことが、尾瀬の開拓をはじめ長蔵小屋創設のきっかけでもあったらしい。
そして、最初に建てられた初代の長蔵小屋は沼尻であったこのは前に記した。


地図を観察しても長英新道は妙味、変化には乏しいようにも思える。 
つまり、地形的には尾瀬沼の展望は得られるが、尾瀬ヶ原は無理があるような気もする。
どちらかといえば沼尻からのナデッ窪の斜面のほうが急な登りが予想されるが、視界はこちらのほうが期待できそうなのである。
従って、小生はこのまんま沼尻コースを採ることにした。

次回、「沼尻休憩所



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