織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

尾瀬紀行(12)尾瀬 「三平峠」

2011年06月16日 | 尾瀬
.



 尾瀬紀行(12)尾瀬 「三平峠」   、






五月初旬の三平峠と峠付近からの燧ケ岳




ジグザグの登山道をやっとのことで登り、周囲の風景が見えるようになったら急な登りは終わりで、そこからは樹林帯の中をなだらかに登る木道となり、その先に三平峠の頂上があった。

三平峠は、峠といっても針葉樹であるオオシラビソなどの深い森の中にあり、地図の看板とベンチがあるくらいで、峠らしい展望はない。
標高が1,762mあり、スタート地点の大清水が1190mであるから、凡そ570m標高を上げたことになる。 

登山時間は標準タイムでも2時間半の道のりだから、一山登ったと同じ様なものだろう。
従って、こちら大清水から三平峠を経て尾瀬沼に入るコースは、尾瀬周辺でも比較的辛いコースとなっているのが実情である。
だが、尾瀬沼へ到る三平峠(1762m)への苦しい登りはここまでである。


峠には、群馬県尾瀬憲章の看板があり、次のように記してあった。

一 尾瀬を訪れる人は、その自然を愛そう。
一 尾瀬に接する人は、その利用に責任を持とう。
一 尾瀬を尊ぶ人は、その景観を破かいから守ろう。
一 尾瀬に親しむ人は、その豊かな恵みに感謝しよう。
一 尾瀬に誇りを持つ人は、その美しさを後世に伝えよう。

尾瀬を後世に伝えることは、群馬県民あげての願いであろうが、全国の自然を愛する者の願いでもある。


半分雪に埋もれた木道の両脇にはベンチが設えてある。 
誰かが払ってくれたのだろう、半分雪に埋もれたベンチも表面は綺麗に装っている。 
ここで息を整えるべく一時の休息をとる。 

今は人っ子一人いない静寂の中で、遠く遠慮がちに小鳥の声が、“チチチチ・・・、”と聞こえてくるのみである。



ここ三平峠、そして福島県側の沼山峠は昔から尾瀬に入る交通の要所で、三平峠は古くは尾瀬峠と呼ばれていたらしい。 
幕末、この峠道は会津と沼田を結ぶために沼田街道と呼ばれ、戊辰戦争では会津藩などの東軍は檜枝岐の人々を道案内として峠付近を探索し、西軍(官軍)に戦いを挑んだといわれている。
ただ、何時、何の理由で三平峠という名称に変わったかは定かでない。

次回、「尾瀬沼



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」






尾瀬紀行(11)尾瀬 「一の瀬の岩清水」

2011年06月16日 | 尾瀬
大清水⇒三平峠⇒尾瀬沼⇒沼尻⇒燧ケ岳⇒御池(泊)⇒裏燧林道(田代群; 御池田代、姫田代、上田代、ノメリ田代、横田代、西田代、天神田代、兎田代)⇒三条の滝⇒平滑の滝⇒赤田代⇒下田代(見晴十字路)⇒白砂峠⇒尾瀬沼⇒長蔵小屋(泊)⇒大清水
(昭和48年(1973年)5月3日~5日)




 尾瀬紀行(11)尾瀬 「一の瀬の岩清水」   、




写真;現在の岩清水




ここ一の瀬から橋を渡ってすぐ左に入る。
ここから本格的な山道となるが、木道が整備されているので歩き易い。 

でも、木道にはそこここに雪が残っており、ちょっと滑り易い場所もある。 
丁寧に敷かれた石たたみの山道を通るたびに、ここを作ってくれた先人達に感謝の気持ちを感ぜずにはいられないのである。  


森の中は未だ多くの雪が残るが、足元にはところどころ山野草の新たな芽吹きも感じられ、一部のところでは群生もしているようである。 
周囲の木々はヤシオツツジの芽が大きく膨らんでいるのも確認できる。


ここから三平峠まで、約一時間のがんばり所である。
どんどん標高を増す「十二曲がり」とも呼ばれる登山道を登って行く。
標高が高くなるにつれて広葉樹から針葉樹へと自然の様子が移り変わりつつあるのが判る。 
併せて残雪の量も増えはじめる。

途中で息を整えながらも感じる山の清々しい空気や周囲の清冽な様相は、山歩きそのものの魅力を充分に感じることが出来る。



途中で「岩清水」があり、この湧き水で口を潤し、熱った顔を冷やしながら、再び、チョット休憩する。
きれいな清水が岩肌から湧いていて、実に清々(すがすが)しい。 
地元では「一杯清水」と呼んでいるようで、命の湧き水でもあった。



ところで、一の瀬まで平行しながら歩んできた車道は、右へ大きく迂回しながら山中へ消えていたが、ここ岩清水あたりで再び現してきた。 
しかし、この車道はこの先へは延びている様子は無く、この地で完全に途切れていた。

これで良かったのである・・!!。


昨年、この地を訪れたときは林道工事が盛んに行われていて、工事用のブルの音が騒々しく清冽な泉に反射して異様な音を発していたもんである。 
そして、その直後この岩清水は破壊されたようであった。

先にも記したが、実はこの岩清水は沼田街道の大清水から三平峠への伸長工事で、1971年6月、ブルドーザーによって無惨に潰されたのである。 

だが、この泉はその後、自然に近い状態で復元されたようではある。 
尤も、今ここの岩清水は今や塩ビ管を通して流しているので、風情がなく、やや寂しい感じは否めない。


次回、「三平峠



【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ   C・掲示板   FC2 H・P   gooブログ   yahooブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)

【日本の世界遺産紀行】
北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観

ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002


【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」