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尾瀬紀行(12)尾瀬 「三平峠」 、
五月初旬の三平峠と峠付近からの燧ケ岳
ジグザグの登山道をやっとのことで登り、周囲の風景が見えるようになったら急な登りは終わりで、そこからは樹林帯の中をなだらかに登る木道となり、その先に三平峠の頂上があった。
三平峠は、峠といっても針葉樹であるオオシラビソなどの深い森の中にあり、地図の看板とベンチがあるくらいで、峠らしい展望はない。
標高が1,762mあり、スタート地点の大清水が1190mであるから、凡そ570m標高を上げたことになる。
登山時間は標準タイムでも2時間半の道のりだから、一山登ったと同じ様なものだろう。
従って、こちら大清水から三平峠を経て尾瀬沼に入るコースは、尾瀬周辺でも比較的辛いコースとなっているのが実情である。
だが、尾瀬沼へ到る三平峠(1762m)への苦しい登りはここまでである。
峠には、群馬県尾瀬憲章の看板があり、次のように記してあった。
一 尾瀬を訪れる人は、その自然を愛そう。
一 尾瀬に接する人は、その利用に責任を持とう。
一 尾瀬を尊ぶ人は、その景観を破かいから守ろう。
一 尾瀬に親しむ人は、その豊かな恵みに感謝しよう。
一 尾瀬に誇りを持つ人は、その美しさを後世に伝えよう。
尾瀬を後世に伝えることは、群馬県民あげての願いであろうが、全国の自然を愛する者の願いでもある。
半分雪に埋もれた木道の両脇にはベンチが設えてある。
誰かが払ってくれたのだろう、半分雪に埋もれたベンチも表面は綺麗に装っている。
ここで息を整えるべく一時の休息をとる。
今は人っ子一人いない静寂の中で、遠く遠慮がちに小鳥の声が、“チチチチ・・・、”と聞こえてくるのみである。
ここ三平峠、そして福島県側の沼山峠は昔から尾瀬に入る交通の要所で、三平峠は古くは尾瀬峠と呼ばれていたらしい。
幕末、この峠道は会津と沼田を結ぶために沼田街道と呼ばれ、戊辰戦争では会津藩などの東軍は檜枝岐の人々を道案内として峠付近を探索し、西軍(官軍)に戦いを挑んだといわれている。
ただ、何時、何の理由で三平峠という名称に変わったかは定かでない。
次回、「尾瀬沼」
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「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
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尾瀬紀行(12)尾瀬 「三平峠」 、
五月初旬の三平峠と峠付近からの燧ケ岳
ジグザグの登山道をやっとのことで登り、周囲の風景が見えるようになったら急な登りは終わりで、そこからは樹林帯の中をなだらかに登る木道となり、その先に三平峠の頂上があった。
三平峠は、峠といっても針葉樹であるオオシラビソなどの深い森の中にあり、地図の看板とベンチがあるくらいで、峠らしい展望はない。
標高が1,762mあり、スタート地点の大清水が1190mであるから、凡そ570m標高を上げたことになる。
登山時間は標準タイムでも2時間半の道のりだから、一山登ったと同じ様なものだろう。
従って、こちら大清水から三平峠を経て尾瀬沼に入るコースは、尾瀬周辺でも比較的辛いコースとなっているのが実情である。
だが、尾瀬沼へ到る三平峠(1762m)への苦しい登りはここまでである。
峠には、群馬県尾瀬憲章の看板があり、次のように記してあった。
一 尾瀬を訪れる人は、その自然を愛そう。
一 尾瀬に接する人は、その利用に責任を持とう。
一 尾瀬を尊ぶ人は、その景観を破かいから守ろう。
一 尾瀬に親しむ人は、その豊かな恵みに感謝しよう。
一 尾瀬に誇りを持つ人は、その美しさを後世に伝えよう。
尾瀬を後世に伝えることは、群馬県民あげての願いであろうが、全国の自然を愛する者の願いでもある。
半分雪に埋もれた木道の両脇にはベンチが設えてある。
誰かが払ってくれたのだろう、半分雪に埋もれたベンチも表面は綺麗に装っている。
ここで息を整えるべく一時の休息をとる。
今は人っ子一人いない静寂の中で、遠く遠慮がちに小鳥の声が、“チチチチ・・・、”と聞こえてくるのみである。
ここ三平峠、そして福島県側の沼山峠は昔から尾瀬に入る交通の要所で、三平峠は古くは尾瀬峠と呼ばれていたらしい。
幕末、この峠道は会津と沼田を結ぶために沼田街道と呼ばれ、戊辰戦争では会津藩などの東軍は檜枝岐の人々を道案内として峠付近を探索し、西軍(官軍)に戦いを挑んだといわれている。
ただ、何時、何の理由で三平峠という名称に変わったかは定かでない。
次回、「尾瀬沼」
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