土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

貿易立国日本の祖 平清盛

2013-08-30 18:18:30 | 古代日本のスーパースター

土佐のくじらです。

カテゴリーが「古代日本の・・・」ですけど、平安時代を古代というのはおかしいですね。(笑)
立派な中世でしょう。

日本では古代は、飛鳥時代の天智天皇が、中大兄皇子だった時代に終わっていると私は考えます。
ですから平安時代は、立派な中世です。

平安時代の末期に、武士階級であった平清盛が、太政大臣という官職に付きます。
太政大臣は大臣のトップですので、今まで言うならば総理大臣に相当いたします。

保元の乱、平治の乱で、源氏勢力を駆逐した平家ですが、なぜそれで太政大臣にまで上り詰めることができたのでしょうか?
その後権勢を強める後白河天皇(後の後白河法皇)側に、清盛が付いて尽力したのは大きかったでしょうが、この時期には既に、皇族や貴族階級には、世俗での現実処理能力が消え失せていたと思われますね。

温暖で、ほっといてもたくさんの食べ物が収穫でき、鎖国で究極の平和ボケの時代とも言える平安時代。

その後半期寒冷化し始め、主な収入源である農作物の激減に伴う争いごとの増加に、貴族制そのものが、制度疲労していて対応できなかったと思われます。

でなければ、武士階級の清盛に、政治への出番はありえなかったはずです。
しかし当時はまだ、政治は貴族階級出身者しか行うことは出来ませんでした。

平氏源氏は天皇由来の武士ですから、ぎりぎり貴族・・・と言えないこともありませんでしたが、皇族や貴族の警護が仕事の家柄です。

そしてそれらが争い、一方を駆逐した・・・というのは、今で言うならば、アルソックがセコムのシェアを奪い取った・・・くらいの認識で良いと思います。

平治の乱の時には清盛の年齢は、既に40歳代です。
そして64歳で亡くなりますが、たった20年余りの間に、なぜ全国を平氏は傘下に置けたのでしょうか?

それは、貿易の利権と富を握ったからなのです。
貿易による富は絶大です。
今でも、農作物単独のGDPと、輸出入の貿易のGDPでは、桁違いの値が出るはずです。

平清盛は日本で始めて、貿易による富の生成の可能性に、気づいた政治家なのですね。

具体的には、当時の中国「宋」から、「銭」(宋銭)を輸入し、それまでの農作物を中心にした物々交換経済から、銭の流通による経済へと移行させました。
つまり米本位制から銭本位制へとなり、日本は史上初めて、銭による流通経済を清盛時代に経験したのです。

米などの農作物は、食べてしまえばそれで、流通は終わってしまいます。
しかし銭ならば、米を売って銭を手にした人は、その銭で他のものを買うことができますね。

たとえば1万円札は、手にした人がお財布にしまったままならば、1万円の経済価値しかありませんが、それが経済活動を通じて10人の人の手に回ると、10万円分の仕事をするのですね。

つまり、1万円札が10人の手に渡ると、10万円の経済価値を生むのです。
100人なら100万円。
1000人ならば1000万円の仕事をし、1000万円の経済価値が発生します。

これが、銭の流通経済のすごさです。
流通することで、価値を生み、結果的に富が増えるわけです。

これは、米本位制・・・つまり、物々交換経済では不可能です。
食べちゃったら、流通が終わるからです。(笑)

清盛は、この仕組みを平安時代の政治に取り込むことで、莫大な経済興隆を京の都にもたらしたのですね。
そしてこの時から、銭の使われることの多い都周辺、そして関西を中心に商業が芽生えました。

そして清盛は、この銭の力で、朝廷内で権勢を強めて行くわけです。
それは、清盛に近い貴族や、清盛が支える後白河法皇も、経済的な飛躍を経験させることになったからです。

この、貿易のもたらす絶大な豊かさが、たった20年余りで、全国をほぼ平家一色で塗り上げた原動力だと私は思います。

清盛のすごさは、他の勢力の所領を奪うための軍事行動は、ほとんどしていないことです。
つまり清盛は、誰からも富を奪っていないのですね。

清盛が軍事行動によって、これだけの権勢を手にしたならば、凄まじく多くの血が流れたはずです。
以外ですが清盛は、ほぼ無血で平和裏に、しかも劇的に豊かにすることで、平家政権を作り上げたのですね。

清盛自信も、貴族世界で生きていくために、それ相応の努力があったようです。
何せ貴族の世界は、教養としきたりがモノを言う世界です。
歌や踊り、詩歌や接待など、相当の尽力があったと、文献では書かれていますね。

そして、平氏から遠い貴族は、古来からの米本位制・・・つまり、農地を基盤とした経済社会に生きておりましたので、相対的に貧しくなって落ちぶれて行き、清盛は彼らの恨みを買うこととなったのではないでしょうか?

この恨み心が嫉妬を呼び、後の平家一門の苦悩の原因となったのではないかと、私は分析しております。

とにもかくにも清盛は、武家政治の先例を作るために手腕を発揮したに留まらず、貿易立国日本の先達として生きた、偉大な政治家と尊敬しているお一人です。

                                               (続く)






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