土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

移民導入を、世界の日本化へのノウハウとせよ。

2014-03-17 21:27:00 | 人口増への取り組み

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

政府が、年間20万人の移民導入を試みるようです。

私は、日本の人口増に何も手を打つことなく、このまま国家が衰退していくならば、移民導入やむなしと思っております。

しかし、それこそ何も手を打つことなく、単に安い労働力のみを、移民導入の目的とするならば、 日本の将来に禍根を残すことになると、ひそかに憂いております。

私は、民族至上主義者ではありませんし、日本国民は基本的に、他民族に優しい人々であると認識しております。

ですが、やはり他の国々において、移民導入を境に、国内の治安の悪化や、 それまではなかった、排他的な民族主義の勃興などを見るにつけ、 やはりそれらを参考にした、新たな理念による、移民導入の方法を構築しないといけないと思います。

私見ではありますが、私は世界は日本化するべきだと考えております。

日本は、特に戦後日本は、国境を拡大せずに、国家を大繁栄させた、歴史上の偉業を持つ民族です。

できれば、他の国々の方々が日本的価値観のもと、それぞれの自国を繁栄させる方法論を輸出するべきだと考えます。

その世界の日本化には、やはりそれを実現させるだけの、高度なノウハウは必要かと思います。

であるならば、今後日本が移民を導入するに当たっては、 その世界の日本化に向けての、ノウハウつくりを目標のひとつに掲げては如何かと思います。

つまり、どのようにすれば、移民を日本人とすることができるか・・・という視点ですね。

これが必要かと思うのです。

アメリカは、言わず知れた移民の国でありますが、アメリカ市民権を移民が持つには、それ相応のベンチマーク(水準点)があります。

それはやはり、愛国心の部分ですね。

つまり、「いざとなったら、アメリカのために戦うか。」という誓いが、アメリカ市民権のベンチマークなわけです。

やはり、日本に来る移民の方々にも、 「いざとなったら、日本のために戦う。」という誓いは、私は必要不可欠だと思うのですね。

となると、今日本に暮らす、日本民族の方々よりも、 ひょっとしたら、移民の方々のほうが、愛国心が強くなるかも知れませんが。(爆笑)

まぁ現状ではまだ、冗談とも、笑えない話とも取れますが、移民を受け入れる以上は、 やはり日本という国家のアイデンティティーは、確立しておかないといけません。

でなければ、国家というものは成立しません。

国家とは、ただの行政区分ではないのです。

国家とは、領域と国民と主権が揃わなければなりません。

 そういう定義に基づくならば、

 尖閣諸島や竹島や北方領土を放棄するような、考えを持つことすら国家の放棄であり、 他国に拉致されて、ただ手をこまねいているだけでも国家ではないし、 自国の国防を、同盟国に委ねるような考えを持つことも、すでに国家とは言えないわけです。

移民を導入するならば、日本国民は、こういう現状に、憤りを持つことは当たり前であり、 それを普通の国家にしていくべき、努力をするのも当たり前であります。

まぁ、移民導入を機会に日本が、そういうことを国内で活発に議論する、風潮になればこれ幸いですね。

とにもかくにも、日本の移民導入は、問題山積みなわけです。

日本の更なる国際化、そして日本国民の更なる国際感覚の向上なしでは、 外国の移民政策の失敗を後追いするだけでなく、もっと大きな禍根をのこすことになるでしょう。

それは下手をすれば、国家が他民族に乗っ取られる可能性だってあるわけですから。

彼らをいかに日本化するか。

これに成功すれば、世界の日本化が見えてきます。

それを成功させるには、 日本民族で言えば、いかに国際的な国民国家という概念を持つか・・・ということでしょうし、 移民の立場に立てば、いかに移民に日本語をマスターさせるかということでしょう。

そして最終的には、お互いが宗教をどう理解し、どう消化(昇華)するか・・・ということが、 鍵になると、私は考えております。

その時に、聖徳太子の時代に、世界で初めて、そして唯一宗教問題を解決した、 日本の誇るべき歴史が、モノを言うだろうと思っております。

さすれば近未来は、日本を精神的リーダーとした、平和な社会の姿が、誰の目にも見えてくるでしょう。

日本への移民がもたらすであろう、日本民族の国際化と、 それがもたらす、日本国内における宗教問題の解決が、世界を日本化するはずです。

さすれば人類は、宗教の違いや民族の違いで殺しあう、悲しい歴史に終止符を打つことができるでしょう。