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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
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我々は感情の安定に必要な想像力を十分に持っているのか?

2025-02-18 19:56:46 | 日本でニャー2025



昨日に引き続き木の皮剥きをする。昼前からやって弁当食べて本日終了。



昨日の「メタ読み練習」の記事は楽しんでいただけただろうか?

これがわかれば文章を読む時に二重に読める。つまり、一つの文章を一度読む中で「ベタ読み」しながら脳の別の部分で「メタ読み」ができる。すると文章が立体的に理解できるようになる。

そしてこれは文章のみならず、映画を観るとき、そして生活の中のいろいろな部分で二重の視点で理解することができるようになる。美術鑑賞でも使えるかもしれない。

他にはYoutubeなどで驚くような事実らしきことを強調するのがあるが、それもベタで鑑賞しているだけだと単純に「意味」に絡め取られてしまうが、「意図」が理解できるようになるとその意味の曖昧さや確実性がわかるかもしれない。まあ、だいたいわかると思う。多くの表現というのは何かしら他人を巻き込もうとする意図によるものなので、単なる情報露出ではないのだから。

まあ、続けて練習してみてください。
ついでに言うと、誰かの言葉などに自分の感情を絡め取られるという無駄を避けられるだろうから。







こんなポストがあった。これは以前もどこかで聞いたことがある。

亡き母の認知度が落ちてきて弟が週に一度買い物に連れて行っていた時のこと。弟が言ってもわからない母によく怒るような言い方をしていた。一般的な知識では、認知症を発症した人に怒ることは意味がないばかりか悪影響もあるそうだ。

けれども、側で見ている家族は相手が理解できないことに、つまりベースが同じという前提で生きているにも関わらず相手が理解できないことにイライラを募らせる。そしてイライラが相手の必要な支援に優先してしまう。なので怒る。

最近よく目にする生活保護バッシングも似たようなものだ。税金で食っているくせに酒を飲んだりパチンコしたり、身体が動くのに働かないなどだ。こうしたバッシングも基本的なところで誤認がある。被保護者が楽してお金をせしめようとしている、甘い汁を吸いたいだけのようなのは本当は彼らの考え方ではなくてバッシング側の考え方だということに気付いていない。

本当のことはその奥に隠れて見えないということに気付いていないし、もし公的援助が無ければ彼らがヤクザや闇金業者に利用される可能性もあり、世の中はもっと住みにくくなってしまうかもしれない。

そんなわけで、我々には支援の必要な人が支援したくない姿でそこに立っていて、自分には本当のことがわかっていないと想像するのが難しいのだ。どちらかといえば、そんなことで腹を立てる自分たちの脳みに何らかの支援が必要なのだろう。


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