
キャサリンさんが聴いている(観ている?)あるお医者さんYoutuberが、自分が自分に敵意を持って接してくる人に仕返ししたり復讐とかはしないと言っていたそうだ。(又聞き) 一応理由も聞いたが真っ当な理由だった。
しかしながら、それは自分もいつも思っていることでもある。
簡単に言うと、誰かの行動が自分の思いと違っていたりするのに一つ一つ反応するのは時間の無駄ということだ。人間は自分ではあれもこれもやったり考えたりして生活が成立していると考えているが、実際のところはマルチタスクは不可能で単に時分割しているに過ぎない。つまり、何かつまらないことに時間を使ってしまうと他に何もできなくなってしまうのだ。
何かに怒った場合、それは最初のところで食い止めないと長引く。長引けば長引くほど脳みその占有時間が長くなって無駄時間が増加してしまう。と、全くくだらない事態になってしまう。だから「そんなこと気にならないのでしょう?」と言われるが、気にならないのではなくて考えても思ってもいないのだ。
それに、相手が誰であれその人物の生涯にわたって責任持ってどうにかしてやる気持ちもないので今現在自分がある程度普通にしていられるのであれば何もする必要はないとも考える。もちろん相手だってどうせ自分のことをどうにかしてやろうなどと考えてくれてはいないはずだし。敵味方に関係なくだいたいそんなもののはずだ。
音楽を聴いて本を読んで、もし次にまたスピーカーを作る機会があればどんなふうにしようとか考えていた方が現実的に良いことのはずだ。
夕刻前に雨が止み、散歩に出たときの事。ある家の前を通ると玄関からおばさんが出てきて呼び止められた。日曜日の朝に裏の駐車場で一人野菜を売っていた人はどうなったか、何か知っているかを尋ねられたのだった。
もちろん何も知ることはなかったのでそう伝えた。
去年の年末にその方がいつもの時刻(早朝)に来なかった。休む場合には前の週に言ってくれるのだがその時には突然の休みになった。それから次の日曜日も次の日曜日も来なかった。ある時近所の方から来ない理由を知ったのだが、交通事故、それも轢き逃げだったそうでその時には入院していた。
あれから既に3ヶ月を超えたが未だ復帰できる状態ではないのだろう。
人には突然に何かが起きてしまうことがある。その方の後にもう一人、この方は不幸にも亡くなってしまった。思いも寄らないことというのはこうして現実にあって、それがたった一度、そして最後ということになる。特別なことじゃない。
そこで言えることはただ一つ。それが何時なのか誰も知らないし考えてもわからないということ。
別に宗教家でも道徳家でもないが、誰もが快い状態で死ねるようにするのはたぶんできないことじゃないだろうし、もしかするとそれが唯一、人間としてすべきことじゃないのだろうか?自分が快いというのは自分を管理できればできる。でも、関わる人たちをそうするのも人としてすべきことなのじゃないだろうか?戦争は人を不幸にするからしちゃいけないと言っているより現実的にできることなのじゃないだろうか?
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