
トランプ大統領、今度は教育省解体とか。
勝手にやれってことかと思ったら州が自主的にという意味だそう。
これが良い方向へ行くのか、それとも無謀なことなのか全くわからないけれど、多少羨ましい気はする。
というのは日本の場合、全体として学力が高いことになっているけれどどうなんだろう?このままで良いのか悪いのかわからなくて議論も盛り上がってはいないからとりあえずもっと良くしようという方向へ行っている気がしない。トランプは、もちろん自分は支持しないが、良くも悪くも変えるべきと考えて実行しようとしている。
というのは日本の場合、全体として学力が高いことになっているけれどどうなんだろう?このままで良いのか悪いのかわからなくて議論も盛り上がってはいないからとりあえずもっと良くしようという方向へ行っている気がしない。トランプは、もちろん自分は支持しないが、良くも悪くも変えるべきと考えて実行しようとしている。
それだけで羨ましい。
日本では政府がお金を配るのと文部科学省の方針に従うのがセットになっていて民間企業(教育分野でない)のように新しいやり方とか試してみるとかそういうのが限られている印象がある。(知ってて言ってるわけじゃないけど) その点ではどこか介護業界と似たような構造に見える。
ということは、教育という仕事に意欲があってやる人がいても変える権限は限られていて、どうにもならない状態なのでは?と想像している。実際のところどうなのだろう?
しかしながら、教育の成果は個人個人の能力などであるばかりでなく、社会の在り方や状況なので、そう考えるとこれまでの日本の教育はやはりどう見ても不十分(量でなく質として)なのだろう。政治家を見ていてもわかるとおりで、どういう教育を経てきたのだろう?自分と同じ義務教育を受けてああなったとはとても信じられない気になるのだ。それだけでも何か変える必要があるのではないかと考えてしまう。
皆さんはどう考えますか?
もう一つ別の記事。(NHKさんには受信料払ってないです。テレビ受信環境無いので)
情報を正しく受け取るというのは短期的な意味ではわざと流された虚偽を見破るという意味で良いと思う。この記事の内容はここまでだからそれはそれでOK。
でも正しいと我々が判断するには明示された、または暗黙の基準があるわけで、それをベースとして受け入れて良いかどうかという点では我等はけっこう無防備かもしれない。簡単な例としては法律に従っていると正しいとか偉い人が言っているのを正としてしまうとか、もっと先には人類が誰も見たり確かめたりしていないことなんかを絶対と考えてしまっている例もけっこう多い。
立っている地面が思うよりふわふわしている気がする。
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