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もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

楽しいジェネレーターは回らない

ほとんど外食しない我が家だけれど、今日の昼にどこかに行ってみようとなって探してみた。でも、結局止めた。条件が合わないのとわざわざ行こうと思うほどのところが無かったからだ。

外食というのは、面白いもので、半分は生きるための活動で残りの半分はエンタテインメントだ。特に日本の場合はエンターテインメントの要素がとても強いのを感じる。マレーシアでは「ただ食べる」レベルから日本と同じで「楽しむ」の間でいろいろ選べるようになっている。ただ食べるのはフードコートや屋台で安く、楽しむ要素が強いところは流行や何か特別な仕掛けが入っている。そして高い。

どうして日本が楽しむ要素多めなのかというのは歴史的経緯等いくつもの要因があるだろう。それは仕方ない。が、問題なのは受ける側の我々の態度だ。

昔、学校や職場での話題で出てくるのは昨夜のスポーツ番組の事、子供ならヒーロー物の番組の事とテレビの話題が多かった。多くの人がその事について共通して言えるのである意味便利だったし、そもそもチャンネルも多くなかった。そうした生活の習慣は我々を十分に受け身にしてしまった。これは今現在も続いていて、その中の一つが外食だ。だからそこにはかつてのテレビと同じエンターテインメント性が多く必要になる。つまりは自分だけが美味いと感じるものは美味いとは言われず、美味いは自分の舌の感覚から他者との共感に移ってしまっているのだ。誰かが楽しいと言ったディズニーが楽しいと感じる、というか錯覚するのが楽しいわけで、つまりは全てがエンターテインメントの衣に包まれていなければならない。

そして、その影響から我々は自分の楽しいジェネレーターを回す事を止めてしまった。諦めたと言えるかもしれない。自分一人だけが楽しいと感じる事、自分一人だけがもしかしたら楽しいと思えるようになるかもしれない事を探究する事、それは全て無意味に思えてしまっている。そうして、例えばコロナで家に閉じこもっていなければならないような場合には、何も楽しい事が無いと考えてしまう。家の中にディズニーは無いし外食も無い。そして我々は既に自分で楽しいを作り出す事はできなくなっているのだ。
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