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もんく [とある南端港街の住人になった人]

正解を選べば袋小路の可能性が高い

今、朝の10時。キャサリンさんがホスピタルで受診するのでGL窓口で待っている。GLって何の略だったっけ?何しろマレーシアのホスピタルはまずGLを通してから受診になる。日本も同じだが。そこで何で待つかと言うとだ、保険会社から連絡は入っているにしてもその人に支払い能力が認められるかどうかの審査みたいな感じの事だ。そこは多分日本とは違う。支払い能力が無い場合はキャッシャーに戻ってデポジットを入れないといけない。ホテルと似ている。まあ、今日は時間かかっているが大丈夫のはず。

10時の予約だがどうせそれは10時から11時と言うような意味だから慌てる必要はない。10時から11時には複数人の予約が入れてあり、来た順番に適当に診察が始まると言う極めて現実的なやり方なのだ。



ところで、キャサリンさん、ホスピタルとは無関係だが、気分が優れないと言う。それはね、誰でもハマる袋小路だから仕方ない。人間と言うのは自分が論理的な思考をすると考える。論理的な思考をすると誰でもだいたいはど真ん中の考え方を辿る。それが常識的だからそのやり方は間違いではない。でも、それは絶対に袋小路に入ってしまう道を選んでいると言う事でもある。

なぜか? 世の中の仕組みはそうできているから。特に日本のような社会や政治のシステムを持つ国と言うのは教育でもなんでもど真ん中の思考だけを教えるし、それが正しい、と言うより、それしか正しくないと教える。その通りに生きる事も考える事も可能だけれど、それがずっと実現できる人は実はかなり少数だ。

計算してみる。仮に1段階でたった1%の人が弾かれて99%が正しい選択でOKの場合。
10段階時、ここで既に10%の人がドロップアウト
30段階時、26%ドロップアウト
50段階時、39%ドロップアウト
100段階時、63%ドロップアウト

人生にはたくさんの段階の選択が必要で常に常識的な選択をしていても実際にその知識は実用的とは言えない。計算は1%が違うと感じるようにしてやっているけれども、人間ならもっと高確率で挫折するだろう。だって学校で見ているだけでももっとたくさん挫折者はいるから。だから本当に考えなきゃいけないのは正しいやり方がどれかじゃなくて、その場その場で最も良さそうな選択肢を考える事だ。

選ぶじゃなくて考えると言ったのは、選択肢はたくさん考え出せる方が良いから。選ぶと言う消極的なのだときっと無理だから。他人があれやって上手く行ったのは真似すべきかすべきでないかと言うのもあるだろうし、自分にそれができるかどうか、それは能力の問題に趣味や嗜好の問題でもある。

それに少数しか考え出さない選択肢と言うのも無限にあって、それも選択肢としてリストに追加しないといけない。現実に世界で1人しか考え出さない選択肢をやって成功している人だって世の中にはたくさんいる。いつもFBで羨ましく見ているのだが、家財道具も家も全部売り払ってずっとヨットの上で暮らしている夫婦がいる。そんなの、同じ事を自分でやって上手く同じにできるとは思わないが、そう言う風に選択できて実際に生きているのには驚く。他にもメジャーじゃないけど音楽の演奏家としてやっていて子供もちゃんと育てるだけのものになっている人もいる。もし小学生や中学生で将来そんな風に生きたいと言えばほぼ100%止められるはずの不正解回答だろうな。

正解を選んで袋小路、不正解だと止められて、本当にどうにもしようがない。
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