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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

落ち着く場所が無い

2018-05-06 21:32:29 | マレーシアでニャー2018
Twitterと言うのは短い文章なんだけども、色々な人がいろいろ思いついて書くからたくさんの意見や何かが流れて来る。無秩序に。サラサラっと読んでほとんど記憶からは消えてしまうのがほとんど。でも、時々変に気になるのがあったりする。書いてる本人はそんな深く考えて書いてないだろうし、まして他人を感動させようなんて事も無いかもしれないのに。

今日、ちょっと気になった事は、ある人がお寺に行くと心が落ち着くと他人に言ったらしい。相手はドイツ人で、ドイツ人の人はお寺じゃなくて教会だったけれど同じように感じていると同意したと書いていた。

そう言えば、よくそんな事言う人いるなあ。お寺の境内に座っているだけで落ち着くと言う人。あまり真面目に考えた事は無かったけれど、いるいる。あれはあの雰囲気を楽しんで形容的に書いてるのではなかったのかな? つまり、本当に自分の心が落ち着くと言うのではなくて、落ち着いた感じの空間であると。

今日のそのTwitterで言っている人は割と頻繁にお寺に行くとか。と言う事は、空間の状態を言っているのではなくて、自分の気持ちを表しているのだと考えるべきだろうな。

うーん、自分はお寺行っても神社行ってもそんな風には感じられないなあ。その人にはお寺がそうだと言う個人的な感覚があるとしたら、別にお寺である必要は無いだろう。じゃ、どこかそれに代わる落ち着く場所と言うと....?

思いつかないなあ。海とか山とか? カフェとか図書館、塔、穴の中、森や野原....無い。全く無い。家はどうだろう? それも違う。家はどちらかと言うと人間関係の坩堝(るつぼ)と言うべきところで、落ち着くなんてとんでもない。あり得ない。

そう思ってみると、これまでの人生の中で落ち着く場所と言うのを経験してはいなかったのかもしれない。逆に言えば、こうしてマレーシアなんかに住んでしまっても、前にいた台湾やインドネシアでも、生まれ育った日本でもあまり自分には違いが無いと言えなくもない。台湾なんか6年位ずっとホテルに住んでいて別にそれで寂しくも不便でも何でもなかった。ベッドとシャワーとテレビしか無い部屋だった。返ってビザで日本に一時帰国するのが面倒と思っていた位なのだ。

生まれ育った家、そう言えば、小学生の半ば頃から自分だけの部屋もあったけれど、落ち着くとは感じなかった。その頃はよくわからなかったけれど、常に近くにうるさい親がいて実際にはあまり干渉はしないにしても、大げさな言い方すれば監視されているような感覚だった気もする。

だからなのか?、実は1つの事に集中するのが得意じゃない。オタクのようにはどうしてもなれないと感じている。うーん、落ち着く空間と言うのがあった人とそうでない人、人格形成に差が産まれるのかもしれない。


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