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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

まだ先がある

2010-08-19 21:03:08 | まさか、マレーシア!
マレーシアに来て、仕事でいつも感じるのは「まだ先がある」と言う事。

いろいろやってもうダメかな、と思うところに次の可能性がまた出てくる。そしてそれでどうにかなったりもする。あきらめてしまわなければまだ先があってそして何とかなる、そう言う不思議さと可能性がマレーシアにはあるらしい。なぜだろう?


このアパートに赤いべスパに乗っている人がいる。ちょっと前から知っていたけれども誰かはわからなかった。今日、仕事の帰りにキャサリンさんがそのべスパに乗っている人が自分でメンテナンスか何かをしていると電話してきたので行ってみた。キャサリンさんがその男を引き止めておいてくれた。

話を聞くと彼は自分でシンガポールからあらゆる中古のべスパ、古いものから新しいもの、イタリー製、インドネシア製からインド製まで輸入してインターネットで販売しているのだと言う。店は持たず、自分で修理するところは修理して売っているのだそうだ。パーツも入手できる。彼は中古だから出来は80%だと正直に言う。もちろん中古だからそんなものだ。

こんな人間がこんなに近所に住んでいたとは思いもよらなかった。べスパなどマレーシアでは絶滅種であるから見えるところで入手する可能性などほとんどゼロのはずなのに、マレーシアには"その先"があるものなのだ。


そう言えば、去年の今頃は仕事を探しても無く、エージェントさんにあと少しKLにいて待った方が良いかそれとも日本に出て出直すべきかと聞いた。結局KLにいた方が良いだろうと、あの状況では何の根拠もないのにそう決めて待っていたらどうにかなった。

最終のバスを逃しても誰かが助けてくれたり、穴のトイレに財布を流してしまっても財布だけ助かったり、そうした小さな事も含めて何だかどうにかなる。マレーシアは不思議と人を絶望させないものがあるようだ。

どうしてだろう?




写真はジャカルタで買ったお菓子。(一部)マレーシアとインドネシアは近所なので同じものが簡単に手に入るかと言うとそうでもない。マレーシアには絶対に無いものが向うにはある。

(中央:ジャワ・ティー、右上:シナモン・ビスケット、右下:インドネシア・ニッシンのクリスピー・クラッカー、左下:ソルトチーズ、左上:ソルトチーズのチョコサンド)

ジャカルタの写真 その2

2010-08-18 22:57:17 | まさか、マレーシア!
1008 Jakarta Taman Mini


タマン・ミニと言うテーマパークの建物。

来月もまたジャカルタに3日間ほど行きそうな雲行きになってきた。
9月1~3日、今度は平日になる。

あちらで休暇無しになるので今度はもっと仕事場に近いところのホテルにしてもらおう。そしてもっと安いビジネスホテルで十分だ。寝るだけなのであまり良いところでなくても良いし、周りに屋台があるようなところの方が便利だから。

ジャカルタの写真 その1

2010-08-17 22:58:01 | まさか、マレーシア!
1008 Jakarta Kota


ジャカルタのコタ地区のアルバムです。
(クリックするとアルバムに飛ぶ。)


金曜日、ジャカルタの空港に着くと通関とお迎えが待っていた。ビジネス・トリップだとそう言うところはありがたい。ホテルもちゃんととってくれた。

ホテルは日本円にして6000円ほど。と言うとたいした事ないように思えるけれどもジャカルタでは超は付かないが高級なホテルに属するだろう。ウェルカムドリンクとビュッフェ形式の朝食が付く。

早速ウェルカムドリンクをいただきにロビー横のカフェに入るとラマダンだからかほとんど貸切状態。しかしながら楽団の演奏はされている。楽団はインドネシアの歌謡が得意なようでクロンチョンの代表曲、ブンガワン・ソロをゆったりと歌ってくれた。その他にもクロンチョンの曲を歌った後にいちばん遠くの席に座っていたこちらにリクエストを求めてきた。

ダンドゥットの曲でも良いですか? 大丈夫ですよ....と女性歌手が曲を自分で探そうとしてくれたのを止めて、"ブンガ・ダリア"をお願いしますと言ってみた。古い曲だけれどもインドネシアの曲はこれしか知らないのである。そしてとても気に入っている。ブンガ・ダリアは男の人が歌う曲なので、と言い男性歌手にバトンタッチ。街のCDショップで流れているこの曲は女性歌手が歌っているので女性の曲かと思っていたがそうではなかったそうだ。

いずれにしても男性歌手の歌ってくれたブンガ・ダリアは素晴らしかった。
もちろんインドネシア語で歌うので歌詞の内容まではわからない。


1008 Jakarta Building

ジャカルタより帰還

2010-08-16 23:05:20 | まさか、マレーシア!
行く時には日曜日帰りの予定だったのだけれど、出てから火曜日に変更になり、今日になってから月曜日(今日)にさらに変更になって、今アパートに着いたところ。いろいろあったので明日からでも少しづつ写真などをアップする予定。

jakarta-Yさん、ありがとう。おかげで楽しめました。

ラマダン初日の朝

2010-08-11 09:24:23 | まさか、マレーシア!
昨夜はいつもよりずっと長い時間お祈りの声が街に響いていた。

モスクから流れ出るその声はあまりに自然に空気に浸透していってしまうのでいつの間に止んだのかはわからなかった。今朝は打って変わって静かな休日の朝だ。モスクには人がおらず、街を歩いている人も公園で体操している人も少ない。学校も休みらしくスクールバスからはいつものガラガラ音は聞こえない。
(写真:バスの前後車輪のオーバーハングの比がとても素敵に見えるのです。)

中華系にとってはただの休日なので中華食堂街にはもちろん多くの中華系の人たちが朝食を摂りに集まっていた。今日は普段食べる機会の無い中華ベジタリアンを選ぶ。土日は開いていない店なのでこれまでキャサリンさんしか食べたことがなかったのだ。ご飯は雑穀米(チョウミイと言っていた)で、写真では麺ばかりが写ってしまったがこれ以外に大豆を使った肉や魚のような味付けの料理や野菜料理が多くある。

そこで食べていたらアパートのミニマートのおばちゃんも食べに来た。彼女はペナンから出てきてもう30年もここにいると言う。今月は中国暦でも通りに幽霊が徘徊する月だからマレーばかりでなく中華系も大人しくしているのだそうだ。

静かな朝なのだ。

ラマダン・ギフト

2010-08-09 22:34:08 | まさか、マレーシア!
11日からラマダンが始まる。

ショッピングセンターやスーパーマーケットはラマダン準備のための商品が多く取り揃えられる。お祈りのための服なども多いが、特に多いのは食べ物だ。

デーツ(乾燥ナツメ椰子の実)は世界中から集められる。値段も数リンギットから数十リンギットと大きく差がある。よく見ると色が赤っぽかったり黒っぽかったりするが、味がどう違うのだかはわからない。どれもかなり甘いのは確かだ。それにさらにチョコレート・コーティングしたものもある。

直径15cmほどの透明プラスチックに一口大のチョコレートやクッキーがきちんと並べて入っているお菓子セットも必需品のようだ。これもどのスーパーにもいろいろな種類が山と積まれている。日が出ている間は何も食べられないから日の出前と日の入り後に効率よくカロリーを摂るためだろう。そのお菓子の中で美味しいと思ったのはスージーと言うクッキー。これは去年のこの時期にKLのホテルで食べさせてもらったのだけれど、味がちょっとミルキーな"ちんすこう"のようなお菓子だ。日本にもありそうで無い。

今年は近所の子供4人がいるマレー系の家に気持ち程度の、チョコレートと飲み物のギフトを送った。たまに食事に招待してもらっていたけれどもお返しする機会もなかったからだ。

それはそうと、ラマダンになると何がどう変わるのか変わらないのかこれからちょっと楽しみでもある。去年はなんだかんだ言ってもホテル暮らしだったから普通の生活の中でどうなるのかを間近に見る事がなかったわけで、それは今年が始めてなのだ。

DVDを交換してもらう

2010-08-08 23:59:00 | まさか、マレーシア!
前回買ったDVDが最初の部分しか再生できなかった。

それはコタ・ラヤのバス停の近くの店で買ったものだ。お昼をたまにはKL中華街で食べることにしてついでに取り替えて貰おうと持って言った。気持ちよく交換に応じてくれた。ありがとう。安いものなのに。

KL中華街で食事と言っても回るテーブルがある豪華な中華料理を食べたかったわけではなくて、観光客が通る表通りから隠れた市場も兼ねた裏通りの食堂街でなのだ。以前に旅行でKLに来た時に中華街に数日づつ宿泊していた。長距離バス乗り場が近かったからで、特に中華街が良いと思ったわけではなかった。

ただ、マレーシアの中華料理と言うのは他の中華料理とはちょっと違うものがある。中国のいろいろな地方の料理をマレーシアでアレンジして生まれたのかと思うが日本人には食べやすいのでたまには良いのかなあと思って試してみる。

おでんのように見えるのは豆腐料理 Yong Tau Foo (ヨン・タウ・フー)で、キャサリンさんがたくさんある中から選んでみた。左はお米の粉の麺。



22時43分現在、123対189。あれから何もコメントを入れていないがこれまでのコメントで迂闊にも「私もそう思う」を多く集めてしまった。

「私もそう思う」を集めて自分が正しい人になってしまってはいけない。自分が正しい人になってしまう事が逆に多くの正しくない人を作り出してしまう。正しい事を言うのは簡単で、小学校で「廊下を走っちゃいけないよ」って走ってしまった同級生に言うようなものだ。そうすると彼は自分が良くない事をしているのをその指摘によって自覚し、それ以後正しくない人としての道を歩まねばならなくなる。正しさの主張は世界を二分する。正しさは相手を正しくない世界へ陥れる。それは避けなければならないのだ。ならば自らが正しくない方に居たほうがずっとマシじゃないだろうか。そうしたら皆が正しい人でいられるのだから。

だからここに書いている事も全部正しくは無いです。

もし読んでみて「...うーんそうかも知れないな。」と言うことがあったとしても、感情としては「そんなのできるわけないじゃん。」「そんなの現実的じゃないよね。」と片付けてしまえば良くて、そうすれば今の生活もやり方も全て正しいものだと肯定できる。それで良いのじゃないかと思う。(何てわかりにくいんだ..。)

パンダにお呼ばれ

2010-08-07 19:37:05 | まさか、マレーシア!
先日アイロンが壊れて新しいのを買ったが、旧アイロンが壊れたのは電源線の断線が原因だとわかったのでこれを修理しようと思った。旧アイロンは電源線をぐるぐる巻いて仕舞うようになっているトラベル・アイロンだったために断線し易いのだ。断線なら上手くいけばドライバ1本で直せると思ってネジを外して開けてみた。残念ながら半田付けが必要だと判明。そして半田ごては持ってきていない。

バイク屋さんの裏にテレビなど家電を修理してくれる店があるのでそこへもって行き半田作業を頼んだ。10分で済むかと思ったら丁寧で20分ほどかかった。熱収縮チューブまで付けてくれて料金はたった5リンギット(150円)。コンビニの1時間の時給で済んだ。その店には修理依頼のテレビが山のように積まれている。マレーシアでは買うより直す方が良いようだ。

しかしテレビって言うのはどこまで壊れたのを直せるものなんだろう? 日本人的には想像がつかないなあ。その前に、テレビって言うのはいったい、壊れるものなのか? まさか、巷に云う"ソ○ータイマー"を巻き戻すだけだったりして。


修理屋さんで待っているとバイク屋さんのおばさんが人を連れてその前を通っていった。どうやら近所のパンダ(中華食堂)に入っていったようだった。

修理を終えてパンダの前を通るとバイク屋さんのおばさんが店の中から歩いてきて食べていけと言う。こう言う場合のおばさんはマレーシアでも強力なのだ。もちろん100%断る事はミッション・インポッシブルだ。

おばさんのいた奥のテーブルには若い男と女が座っている。おばさんに連れられてそのテーブルに付くと姪とその恋人だと告げられた。KLから久しぶりに2人しておばさんに会いに来たそうで、恥ずかしがりやらしい恋人は終始あまり喋らなかったけれど皆に気を使ってなかなか紳士のようだった。姪はおばさんに似て社交的らしく料理の名前やらいろいろ教えてくれながら楽しく食事ができた。ただ、おばさんと違うのは英語が話せる事で、中国語で囃し立てられるのに英語が混じった感じになる。

彼女はまだ20代だろうけれど将来30年後にはきっとこうなるんだろうなあと想像できる。ただ不思議と彼の将来が心配にはならなかったが。(まあ良いじゃないか。)


さすがに彼らはチャイニーズで、このパンダの美味しいものを良く知っている。パンダには時々行くけれども、メニューに写真が無いから今回食べさせてもらったような料理があることさへ知らなかった。やはり地元の人には聞くものだ。


ところでマレーシアらしく壁の無いあの普通の食堂にパンダなどと言うファンシーショップのような名前を付けるなんて、変わったセンスだなあ。そう言えば、マレーシア人って自国でパンダを見たことあるのだっけ?

猛スピードと新記録

2010-08-06 20:26:57 | まさか、マレーシア!
昨日は仕事の都合で帰ったのが夜中の1時頃。

仕事場から帰ろうと思って事務所へ向かったが事務所の出入り口の鍵がかかっていて入れない。守衛さんに頼んで開けてもらおうとしたがその事務所の鍵は持っていなかった。仕方ない、免許証はカバンの中だけれど免許不携帯で帰ろうと思った。けれど、すぐにそれが間違いだったとわかった。スクーターの鍵もカバンの中だった。

これはタクシーしかないとあきらめて守衛さんにタクシーを呼んでもらおうと思ったら近くだから自分がバイクに乗せて送ってやると言ってくれた。すなおにありがとうと乗せていただくことにした。夜中のタクシーは待ち時間が相当長くなるが、バイクだと10分で済む。

守衛さんは仲間にヘルメットと、何とバイクまで借りている。自分ので送ってくれるのじゃなくて、他人のを借りてまで送ってくれるとは何とありがたいと言うか、びっくりさせられると言うか、いったいどうなっているのだと思ったがそれはそれでまあ良いことにした。この世にはわからない事がたくさんあるものなのだ。

バイクはヤマハの135cc水冷エンジンの載った、所謂(いわゆる)尖がったカブタイプのバイクだった。見るからに真新しい。加速がすごい。自分のスズキ君よりほんの少しだけエンジンが大きくなっただけとは思えないほどにパワフルだ。体感的には3倍。

守衛さんは他人のバイクであるにも関わらず、直線でフルに加速をする。エンジンの力強さが身体に伝わってくる。とてもクラッチの無いバイクには思えない。ただ、守衛さんはカーブはそれほどでも無い。やはり他人のバイクを壊すリスクを避けたいのだろうか。

そこで少し気付く。エンジンが強い割りにフレームはそれほどでも無さそうだ。カーブで車体が軟らかく感じられるのだ。フレームが三角形に組まれていないせいなんだろう、やはりカブはカブだったってわけだ。いやいや逆だ、カブが時速100キロ以上で平気な顔して走る方がおかしいのだ。だからこれはこれで良いのだろう、などと思考が行ったり来たりする。


おかげで多少の恐怖を感じながらも無事に帰り着く。
ただ、そのおかげで今朝はタクシーで出勤することになってしまった。藤田まことはもう亡くなっているのだなあなどと考えながら仕事場に到着した。12リンギットで済んだ。これは新記録かもしれない。(安くて)

日本の強み

2010-08-03 23:35:28 | まさか、マレーシア!
技術開発と改善活動の間にどんな関係があるかと言うと、これは工業生産のことを知っている日本人なら簡単にわかると思う。知らない人から見れば、技術開発と言うと工業生産においては上流にあって改善活動は生産現場での方法だと言うだろうけれど、実際にはその差はあいまいだ。なぜなら目的が似たものだからだ。

例えば、設計や開発部門の仕事が何を作り出しているかと言うと、それはもちろん製品の性能や機能だけれども同時に生産するときに発生するコストに関するものも多く含まれる。設計によって生産現場で発生するコストの7割は決まってしまうと言うのは常識だ。逆に生産現場の改善活動がどれだけ多く、次の新製品に影響を与えているかと言う事もあるので、両方見てみるとボーダーは無いのだと感じられる。

以前にも書いたけれども、自動車は新車が時々出て質も性能も良いにも関わらず値段はほとんど以前のモデルと変わらないのは天才的なひらめきがそこにあるからではなくて、日々の改善活動がちょっとづつ積み重なった結果がそこに大きく影響していると言うのは工業生産の歴史が証明している。


こう言う事は普通に教育を受けて社会に出た日本人なら常識だと思う。が、これが常識なのはもしかしたら日本だけなのかも知れない。

例えば、マレーシアの人は大学でどんな勉強をしているか知らないが、そうは思っていないらしい。マレーシアの人もさすがに日本を手本にしようとして発展してきた時代があったせいかトヨタ方式やその他の工業生産などについては知識としてよく知っている。

ただ、技術開発は技術開発、現場の改善は現場の改善と個々の方法論としてしか理解していない節がある。節があると言うより多分間違いなくそう思っている。技術開発部門の人はかなりの確立で現場には立ち入らないし、現場の人は現場でがんばって問題をどうにかするしかないと思っていて彼らにとってはその場限りの改善に過ぎない。

だからその改善活動が長期的に見て技術開発と同じように新しい何かを生み出すなどとは思いもよらないらしい。つまり日本的に見れば方法論としてそれらを簡単に理解しているに過ぎないように見えるのだ。


そうした理解しかできないのはきちんと勉強しているからだとも言えるが、それだけでできる事はたかが知れている。日本人にならすぐにわかる事だ。日本の場合はどんな職種であっても給料はそれほど変わらないし、ずっと同じ会社にいることを前提にしているので技術部門の人が簡単に現場での活動をする職種に変わったりすることもある。お互いに協力関係を築くのも簡単であるし、そうならなくとも干渉し合うのも普通だ。

良い言い方をするならば、そこにボーダーはあまり無いと言える。日本人にとってこうした普通の事がマレーシアではとてもやり難い。前述のように分割された役割として理解されているためだ。


こうした事はマニュアルにも本にも書きにくい、ある種の文化のようなものになっているのかと思う。どんなにある国が技術を学んで発展してきてもそうした部分はなかなか理解する事はできないだろうし、マネもできないだろう。いつまで経っても部分的な方法論の積み重ねでしか理解されない事だろう。この事は今後も長期にわたって日本の強みであり続けるのではないだろうか。

日本にいて日本だけで暮らしていると自らの良さもわかり難いだろうけれど、そうした事をちょっとだけ意識しながら働いてみてはどうかと思う。

(実例をあげて書けないのでわかり難いかと思う。お許しください。)

日本は暑いですか?

2010-08-03 21:47:49 | まさか、マレーシア!
最近スズキ君のエンジンの調子がとても良い。

少し前にブレーキのガタツキを直したことは関係ないと思う。1つ変わったと言えばエンジンオイルが8リンギット程度のものから10リンギットの少し高めのものになったことだ。なぜオイルを変えたかと言うと、バイク屋さんに安い方の在庫が無かったからと言う消極的な理由による。

日本でも2サイクルのバイクに乗っていたことがあったがその時はヤマハ純正のオイルが安売りされていたからそれをずっと使っていた。2サイクルの燃やしてしまうオイルなどどれを使ってもそれほど差があるとは思わなかったが、それは誤った認識だったのだろうか? 

日本でイチゴの香りのする安いオイルを原付バイクに入れていた事があったけれども、それとてエンジンの調子に影響を与えていたとは思えないが、まてまて、ここはマレーシアなのだ。いくらシェルの製品だからと言って質の良くないリサイクルオイルで、パッケージにオートバイの絵が描かれていたからと言って芝刈り機用で無かったとは言えない。街にこれだけ芝刈り職人がいるのに芝刈り機用のオイルが売られているのを見た事がないのだからもしかしたらあれは芝刈り機用に売られているのかも知れないのじゃないか。



またまた急に出張で日本へ行くことになった。

今度も関西空港だ。しかし前回と違うのは1泊する必要があることだ。なぜならお客様とミーティングが設定されているのだ。5日の夜便で飛び、6日の朝に関空、その日にミーティングをして1泊、7日の朝便で帰国することになっている。1泊3日の安いパッケージツアーのような行程だ。

日本は暑いんだろうなあ.....。
(熱帯から行くのに暑いんだろうは無いと思うかも知れないけれどね...)



投票所でマレーシアに関する質問と言うのを設定したけれど、結局答えてくれたのは2人だけだった。もうちょっといるかと思ったのに、残念。今からでも遅くはありませんよ。
マレーシアについて知っていることは?(←クリック)

"ああだから、こう"....じゃない!

2010-08-02 21:43:27 | まさか、マレーシア!
エンジニアと聞くと物事を論理的に考える人だと思うかも知れない。

それは多くの場合間違いだと思う。
これまで見た多くのエンジニアと自称する人、エンジニアの職に就いている人を見てきて間違いだと思う。そのほとんどが普通の人がエンジニアと言う職業に就いているだけだ。

今日は仕事を頼んでいるある会社のエンジニアに来てもらってこれからの改善活動についてプレゼンテーションしてもらった。こう言う場合に問題点と改善策について"ああだから、こうだ"などと言われると"そうかも知れない"などと安易に納得してしまい勝ちだ。

しかし、"ああだから、こう"と言うのは論理的に間違ってはいないかも知れないがこれはワナだ。本当は"「どの位」ああだから、「この程度」こうだ。"と言わないといけない。

そう言う人はだいたいにして頭で考えているだけで簡単な結論に飛びついているだけだ。実際にその問題のためにどれだけ手を動かしてデータを取ってそれを処理して考えての繰り返しをしているかと言うと、"ああだから、こう"の人はほとんどの場合、していない。

"ああだから、こう"の人は「あれこれ(てきとうに)やってみたらこれだけ良くなりました。」だから自分の考えたやり方は正しかったと説明する。その時絶対に失敗した話は出て来ない。失敗した事がデータとして価値がないと思っているし自分の考えがまずかったとも思いたくないからだ。

その結果は"これです。"と言って最初と後の比較で良くなった状態を見せる。その間に関連性がどれだけあるのか、あれ(1)とあれ(2)とあれ(3)をやってみた中身はどれがどれだけ効いているのか、そしてその結果の中に誤差はどれだけ含まれるのかも提示できない。あれ(1)が1%であれ(2)が0.5%、あれ(3)は3%で誤差が12%だったとしても"ああだから、こう"の人は良かったと言う。笑い話にもならない。


こうした傾向はマレーシア特有ってわけじゃない。経験上もちろん日本でも全く同じだ。と言ってもすぐにどうにかなるわけでは無いので、仕方なく一番簡単なやり方をそれとなく教えてみる事にしている。

それはこんな簡単なやり方だ。

"ああだから、こう"の人は最初の状態と後の状態の2つだけをメモしているのでそれをX軸とY軸で描いた簡易グラフの上に2つの点として描く。目盛なんか要らない。フリーハンドで十分だ。その2つの点を直線や曲線かで結んでみる。両方描いてみても良い。点と点はその線の終点ではなく、そこからもさらに右と左に線を少しつなげる。それを見ると2つの点の間がどうなっているかを自動的に人間は思い描く。次にその点の先はどうなっているだろうかと、これも自動的に想像する。

自動的に想像し始めたらしめたものだ。そこから後どんなデータが必要かは簡単に想像が付くものなのだ。

エンジニアにはだまされないようにしよう。"ああだから、こうだ"とわかった風に結論付けるのはその人が論理的に思考しているからではなく、エモーショナルに理解し易い簡単な結論に飛びついているだけなのだから。そこには何の証拠も在りはしない。

あの人に食べさせたい....けれど

2010-08-01 20:06:16 | まさか、マレーシア!
インド系のある人に言わせると、マレーシアで食べられるインド料理は水っぽいのだそうだ。

彼は仕事でインドのチェンナイなどに行くこともあるが、仕事があちらで上手く行くかどうかは別として、料理はチェンナイの方がずっと美味いと言う。マレーシアで美味いインド料理はあるかと聞いたところ、マスジッド・インディアに1軒あるとの事でそれを紹介して欲しいと言っておいたらけっこう長い時間かかったが店の名刺を持ってきてくれた。

そこに今日、やっと行ってみた。

店の名前は"Sangeetha(サンギータ)"と言って、インドのチェンナイが本拠地のレストランだ。チェンナイでは有名で店舗数も多い。外国にもいくつかの店舗を持っている。ドバイ、アブダビ、ロンドン....そしてKLには2店舗あってどちらもマスジッド・インディアの近く。今日行ったのはパレス・ホテルの建物に入っている方だがホテルのレストランではなくてホテルのビルが雑居になってその1階に入っている。見た目も綺麗だけれど味も確かにこれまで食べてきたインド料理より2段か3段は上だった。ベジタリアンなのにとてもコクがある。値段は安いインド食堂の2倍ほど。写真のセットと飲み物で1人あたり10リンギット+αしかしない。

美味いと言いながら、不親切にもひとつひとつ説明する事もなくいつものように記事を終えてしまう。写真だけで我慢してもらうしか無い。

こうして美味いものを食べながら何時も、あの人に食べさせたいなあと思う。どんな感想を言うだろうと考えるけれども、きっとそんなチャンスは永久に廻ってこないだろうなあとも思う。そんな事思うのすら余計なお世話だろうし、そして残念ながらその予測は現実のものになるのだろう。