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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

郵便局の必要性が薄れたのに

2023-05-12 23:32:12 | 日本でニャー2023
車検終了。
夕方、代車に乗って車を受け取る。重量税が想定より1600円安く、車検場までの高速代も30円安いとの事で返金された。几帳面な会社だ。ありがとう。全部で5万円ちょい。

ところで、代車に借りた車はトヨタのパッソだった。確かに軽自動車よりはちょっとパワーがあって重厚感もあったから乗り心地も多少良い感じだった。けれど、軽自動車からアップグレードするほどの事もない気がした。車体の幅がちょっと広くなった分プラスチックの内張が張り出していたり、ガラスが手前に傾斜して狭い感じがする。これなら軽自動車で十分と考える人が多いわけだと思った。



身体の方は、けっこう良くなってきて寝た姿勢から楽に起き上がれるようになったが、右背筋の中程の筋肉痛がまだある。早く治って欲しい。と、もう頭の傷の事は忘れている。


郵政公社の社長が郵便局を整理して少なくするとのニュースが出ていた。
郵便局、民営化して銀行、郵便、保険の3社に分かれているが、実態は1つの会社で、それが郵便局の中で営業している。こうなったのは民営化が決まった後に内閣が変わってここぞとばかりにやいのやいの言って半分元に戻してしまったからだった。

そうしているうちに時代はどんどん変わり、銀行に窓口も建物も要らなくなり、保険だって同じで、高齢者は郵便局まで歩いても運転しても行けないようになってきた。だから、全く別の仕事を1つの郵便局でやっているという違和感と必要性との両面の問題を放っておいて解決しないならば、郵便局どころか日本郵政という会社自体の存在意義が危ういように感じられる。

郵便局という営業形態にこだわる理由は何なのだろう?

人のスケール、地球のスケール、宇宙のスケール

2023-05-11 20:20:25 | 日本でニャー2023
午前中に頭の抜糸完了。すぐにできた。次は22日に肋骨の経過観察で再レントゲン。

それより、折れていない方の背中の筋肉痛が改善はしてきたが痛い。腕の重みをかけているとだんだん痛くなる。でもどうにかなるだろう、そのうち。


午後からは車検の為に車を置いてきた。代車をもらったにので明日の夕方頃に再交換に行く。別に問題は無いだろう。


死んだ活断層の母の共済の戻しがゆうちょ銀行に入ったのでとりあえず本人口座へ転送した。

また、固定資産税の納税通知書も来た。これも本人口座から自動引落なので放っておく。そのうち口座を換えなければならないが。


今朝、4時頃に猫たちがご飯を食べたいと起こしに来た、ちょうどその時に千葉の地震の警報が鳴った。近いので警報が来た時には既に揺れ始めていたが、津波の心配は無いとの事で安心した。スマホには警報受信アプリを入れておくべきだ。

地震と言えば、活断層の母、結局人生で一度も大きな地震災害に遭わずに死んでしまった。ラッキーなのか、それとも単に地球の脈動のサイクルスケールが人間の人生の時間に比べて長いのか? こうしてスケールがまちまちなものが一緒くたにここにあって、人はそれをどうにか理解しようとしているが、なかなか難しい。地球のそれは数百年、数千年、数万年の単位だが。宇宙だとさらに長くて冗談かよ思うほど。脳みそに中に入りきれないじゃないか。不思議だ。

Povoの使い道を思いつかない

2023-05-10 21:04:08 | 日本でニャー2023
死んだ母のスマホOppo A55sのAeonモバイル契約を解除してPovoのsimを入れた。とりあえず180日間は無料低速で使えるから。でも、イマイチ使い道が思いつかない。監視カメラを買ってログだけ送ってくるようにしようかとも考えるが、うーん??都合の良いカメラが無いようだし・・・

そう言えば、Oppoの唯一の欠点はカメラで広角が効かない事。画面は大きいし、バッテリーも持つし、特に悪いことは無いのね広角の効かないカメラが困る。逆に言うとSharpが他と違うのか?どうなんだろう?


いよいよ明日は抜糸だ。その後に車検へ。

バカにされても自由に

2023-05-09 21:33:43 | 日本でニャー2023
医者に許可を得てやっと頭を洗えるようになったので昼間からシャワーをかけて盛大に洗った。3回ほど繰り返し洗った。これで頭皮に血液の痕跡は無くなったはずだ。いよいよ明後日は抜糸。

抜糸が午前中に終わったら午後からは車を車検に出しに行く。そして代車を1泊借りるという予定。




Twitterを見ていたら、海外移住について「言葉ができないとマトモに扱われないし、どうせ日本人村に移住だろう」というような事を書いている人がいた。

なんて不自由な考え方なのだろうと感じる。

言葉ができないとマトモに扱われないと言っても、(ずっと前にも書いた事があったと思うが) こんにちはと現地語のこんにちはの意味の言葉に直したところでそれが現地の人どうしの挨拶として適切かどうかはわからないわけで、どんな相手に対してそれを言うか言わないか、言うにしてもどんな仕草をするかというような事も実際にあるわけで、それをバカにされないように日本で習ってから行くって事が現実に可能だろうか? 当たり前だが、無理に決まっている。

そうすると永久に海外移住など無理という事になる。そもそも誰かからマトモに扱われなければならないのかというところも問題だ。何を優先するかというのがまずあって、もしその国の風景が好きだとか、音楽が好きでも良いけれど、誰に何を言われようと現地で景色を見て暮らしたいとか、夜な夜なバーで演奏される音楽を毎日聴くとかができるならば多少扱われ方がおかしくても良しとするとか、わからないフリをするのもアリだろう。それにできない事を克服するのに現地の日本人村に入るのだってアリじゃないだろうか?

困難だからといって何もしないとか、通勤に便利なだけのつまらない場所にローンで縛られて死ぬまでいるのと、バカにされても好きな場所にいるのとどっちが良いかだ。好きにすれば良いのだ。

骨折だった

2023-05-08 22:18:42 | 日本でニャー2023
今日、紹介状を持って病院に行ったところ、頭はもう抜糸待ちでOKだったが肋骨が折れている事がわかった。


でも、自分で感じている問題はそこじゃなくて右側の筋肉痛の方だ。肋骨は少し痛いがそれほどでもない。別に放っておいて勝手に治るだろう程度。筋肉痛の方は、腕の重さを肩で受けていると痛くてたまらないようになる。そっちの方が余程問題が大きい。が、これもじき治るだろうとの事で貼り薬を処方してもらった。





上半身が痛い(追加)

2023-05-07 23:59:59 | 日本でニャー2023
痛かった上半身が4日目になってやっと回復の兆し。どうしても筋肉には最低4日間は必要なようだ。明日は朝から近くの病院(紹介状をもらった)へ行くが、さらにマシな状態になっている事を祈る。


昨日、空家の事について書いたが、関連してちょっと追加。
皆知っての通り、日本政府の財政は逼迫している。そして高齢化が進んでいて医療等の福祉の経費は増大の一途を辿っている。さらに、行政の仕組みは一般人が税金や保険料を支払うに対して行政はそのお金を使ってサービスするというふうに二分されている。この仕組みだと税収+保険料等の収入=(または>)サービスコスト+イニシャルコストでないと成立しない。普通に足し算引き算の問題。

お金の問題と同時に出てきているのが、サービスをするのは誰かという問題。これは行政に関わる公務員がいて、追加で税金が注入されるサービス業者がする。サービス業者には利用者負担分も追加されて入る仕組みになっている。ともあれ、税金や保険料から来るお金が入るところだけがそれを行っている。

つまりは、この社会の中では「払う人=使う人」と「サービスする人」にパキッと別れていると言える。

そうである以上、払う人がサービスをちゃんと受けようと思えば払う額面を多くするしかない。(飛行機買わずにサービスに回せというのも無いではないが) でも、現実的にはこれまでの政治家がめちゃくちゃやってきてこうなってしまったものを巻き戻す事はできないという事は言える。無銭飲食した人に払えないなら胃の中から皿に戻せと言えないのと同じだ。

それで、最近の議論としては、払う人とサービスする人をきっぱり分けないでやるしかないのではないかというところ。身近な例で言うと、役所の公務員はサービスを受ける人に比べると人数は圧倒的に少ないし、一人暮らしで家から出られなくなって困っている人に対してさえ未だに申請主義を貫いていて施策をその部屋の中まで浸透させる事は到底無理だ。なので、そろそろ誰のものときちんと言えなくもない場所ややり方やサービスというのを設定して皆で無理ないようにやるように変えていくという事だ。今もあるけれど、近所の共同ドブ掃除みたいなのを拡張していく感じだと考える。

でも、そういうのが嫌で昔の人は(今の高齢者にあたる)田舎を捨てて都会へ出てきたのだが・・・

空家をどうするか

2023-05-06 22:22:21 | 日本でニャー2023
能登半島の地震で被災された方々にお見舞いを申し上げます。たくさんの方が助かるように願っています。

ニュースでは日本海側で地震があった後では太平洋側でも起きる可能性が高いとの事。今懸念されているのは東南海だとの事だが、そうなると富士山の噴火も視野に入るのだろうか? そのたりは今後、専門家が何か言ってくれると思うのでそちらにお任せして待とう。そう言えば阿蘇山もそろそろ危ないとも言われていた。逃げ場が無いし、他人事でもない。どうにかうちの猫たちを生き延びさせたいと考える。


活断層の家について、まだ弟がどうするかわからないが・・・
それとは別にこんな記事があったのでここにあげておく。


こういうの(↑写真の記事)はもう少し進めてやっていったらどうなんだろう?、と思う。今はコミュニティカフェがあり、高齢者向けサロンが開催されていたりもしていろいろあるが、もし空家をそんな事に活躍してもらえるなら維持費+αで差し出しても良いかもしれないな、と。


(少し遠いところから)
国での法整備があって、各自治体は高齢者対策を求められている。その中身で目立つのは、公助だけではもう無理で共助、互助を拡張していかないといけないという点。(与党からすれば自助の拡張で、野党からすればちょっと社会主義寄り、金銭的には税金足りないが組み合わさって合意点になった感じ)


でも互助だの共助だの言っても生産に携わる年齢層をそこに引っ張り出す事はできないわけでどこも四苦八苦、苦し紛れに計画を書いていると感じる。そうして出てくるのがまだ動けて仕事の無い65以上。そういう人たちを公的な場所提供で集めて何かするという手法。でもそうなるとアクティブな人と経済的余裕のある人ばかり集まるからそれに落差を感じる人は寄って来ない。


そう考えると、お茶を好きなだけ飲める、何もしなくて良い、たまに誰かと話す、声をかけられない、映画じゃないけどDVDか何かで懐かしい動画ちょっと観るだけ、安く送迎してもらえる的なボーッとした場所があって、そこに高齢者に限らず子供でも誰でも出入できるようだったら・・・と考える。


今、活断層の家を片付けているけれど、誰か何かやらないかな?


ポジティブになれない模範的日本人

2023-05-06 01:34:12 | 日本でニャー2023
上半身の痛みは依然としてあり、特に背中中央の背骨の横あたりの筋肉が痛い。それに立って腕を前に持ち上げた時に胸の内側あたりにあるらしき筋肉も痛みを感じる。ホカロンと緩いストレッチで回復を促そうとしているところ。こればかりは仕方ない。そうそう、頭の傷は全然痛くないし、針数が多い割には見た目がきれいではある。


身体が動かし難いのでキャサリンさんに余計に動いてもらっている。ありがとう。特に大変なのは猫が3時とか4時に起きる事だが。

前にちょっと書いたと思うが、近所の方が心の健康状態に問題を抱えてしまってから約半月ほど経った。その家の他の方々も心でないところに問題を抱えていて全体として困難に陥っていまっているようだ。家族の他の方は遠方にいてなかなかケアや手続きが難しいのかと思われ、いろいろ懸念はしている。家族が申請しなくてもケアに繋がる公共サービスはあると知ったが、GW中ということもあって動き難いだろう。来週にはどうにか少しでも良い方向へ行く事を願っている。



全く別の話
ここずっと、ポジティブvsネガティブという言葉が言われるが、どうもそれは表面的な事だけでないかと考えるようになった。物事をポジティブに捉える方が良い。ネガティブに捉えていてはダメと言ってもできない人には永遠にできない可能性もあるのではないだろうか?捉え方一つだよってのが通じない気がするのだ。

というのは、その下の層でその人がアクティブに生きているか、それとも単に外からの刺激を受け取って反応するだけのパッシブな生き方を是としているかによるように思われるからだ。

この前も書いたけれど、模範的な日本人の生きるスタイルは「正しい消費者」に違いなく、つまりは受け取るというやり方が良い事になっている。自分からは物音一つ立てないで静かに岩にくっついているフジツボであって、そこに流れてきたプランクトンを一所懸命ペロペロと舐め取っているスタイルだ。そうしていれば誰にも迷惑をかける事はないし、全体としての社会経済に好影響を与えられる。仕事においては与えられた仕事をこなし、それをはみ出た事はしない。

どう見ても何もしないで死んでいくパッシブさ、それが日本スタイルだ。つまり、経済的に消費者だし、情報から見ても消費者だ。仕事で役に立たなけりゃ年金もらってただ生きてテレビ観ているというのが模範だろう。そんな生き方をしている模範生がどうしてポジティブなんかになれるのか? それをポジティブに捉えて楽しかったと思って死んでいけという事か? そうだろう。

逆に個人の自由を行使してアクティブにしていればそこには多かれ少なかれ代償はある。かなり安全な投資信託だって最初は資金を投資しなくてはならないわけで、それを超えて自分自身で何かしようとすればお金も時間も投入する必要がある。つまり、アクティブであれば最初は必ず多少なりともマイナスから始めないといけない。そうしたちょっとしたネガティブに見えるものをポジティブに捉えられないのならそれは捉え方の問題ではなくて生き方の問題だ。

まとまり無く今日は終わり。

住所変更のお知らせを絵葉書で

2023-05-04 14:34:06 | 日本でニャー2023
キャサリンさんが、今住んでいる場所が嫌だと言い、もっと歳を取る事を考えると便利な都市部へ移るのが良いと言う。便利という意味は多くの物が買えたり遊ばせてくれる施設に行き易いだったり、そして今回のようなケースで病院に近いような事だ。

一般にはそうした意見はもっともだろう。けれどこれまでにそうした都市部に住んだ経験から言えばそれはただそれだけの事だ。小さなコンクリートの箱の中で自分がそうしたいと思った時だけ外に出て何か必要なものや施設やアクテビティにアクセスする。窓は建家という物の要件として設置されているが閉め切っていて機能は無いに等しい。ドアも壁もたまに来るセールスか不審者から遮断する為のみに設置されている。大きな声や悲鳴が聞こえてもどの部屋からかは分からず知らなかった振りをするしかない。つまりその中でただ誰かの為に何かをせっせと消費する虫のような存在になるしかない。

そして最終的には、役所が家族を探して連絡するとキャサリンさんの天敵であって姉のアグリッピナや私の弟のピョートルに、「あいつら、どうせこんなものだよね、好き勝手な生き方していれば」みたいに言われるのがオチだ。まあ、当たり前だろう。なぜなら日本でのまともな生き方というのはいろいろな事に我慢して閉じた家に住んで、そして何よりディズニーランドに行きたければ行けるお金がある程度の、要は正しい消費者であり続けるというだけの意味だからだ。

その意味において自分たちの目標にすべきは何かとちゃんと考えないといけないだろう。今から10年後、たぶんうちの猫たちは寿命を迎えた後になるはずだが、スペインかポルトガルが気候穏やかで明るい漁村あたりからあの人たちに「住所変更のお知らせ」絵葉書を送る事だ。



昨日の怪我で上半身がギスギスとして痛い。逆さに落ちたせいか、どうも下半身の質量が上半身の骨と骨の間を攻めたようだ。少しストレッチすると良いようだがカーテンレールでは役不足だ。仕方ない。

救急搬送されて助かった経緯と感謝

2023-05-03 23:59:59 | 日本でニャー2023
怪我をしてしまった。


階段の上の窓を掃除していて下に落ちた。頭から下に落ちる場面を自分で見ていてまずいなと思ったら、次の瞬間脚立とともにがたがたと階段の途中に落ちて行って頭をぶつけた。身体は脚立の上に頭を下にしてあって、頭に手を当てると皮がベロンと剥けているのがわかって押さえていた。救急車を呼んでくれと妻に叫んで呼んでもらった。身体が動かしにくかったが手で頭を押さえて横になっていた。外で近所の人が頭を上にした方が良いと言ってくれたので立ち上がって救急車を待った。

救急車は路地を出た通りに来るはずと思い妻が通りに出たのでそのまま待った。救急車が来るとほんの20メートルほどだが歩いて救急車まで行った。救急車に乗せられる前に救急隊員の方が傷を見てくれて出血が酷いので頭を押さえて止血してくれた。そのまま救急車に乗ると救急隊員の一人が現場の確認に行った。一緒に妻も家に戻り、この時はそれを知らなかったが猫に多めにフードを置き、着替えを持ち、床の血を拭き取って(猫のため)一緒に救急車に乗った。



走り出すと一番近いところにある総合病院に連絡して脳外科で受け入れできるかを聞いたがダメで、最終的に30分程度行ったところに決まったと言った。途中はGWでもあり、渋滞したそうだが車のみなさんに避けてもらって通る事が出来たそうだった。血圧が落ち、脈拍も45程度まで落ちてきたために救急車から医師に連絡を取って指示を得たところ、血圧優先との事で足を上げて頭部に血液が行くようにしてくれた。本人の意識はそれでも薄れていなかったので全ての経過はよくわかった。



病院に到着すると処置室に運ばれてお湯による傷口の洗浄と局部麻酔が行われた。洗浄しながら出血部位の確認をしてくれた。脈動性の出血が認められるという事で動脈が切れている事がわかったそうで、その部位を探した。探しながら動脈の支脈の出血を結束(縫い合わせ)して、少し探すのが困難だったようだが結局4カ所の処置をし、出血が無くなったと判明すると頭皮を縫合してくれた。傷の長さにして15センチメートルほど、針数にして10針だった。それから念の為に破傷風の予防注射をして頭にガーゼを当てて終了となった。


お腹が空いたので病院の売店で買ったパンを3個食べ、横須賀中央駅まで歩いて電車に乗って帰った。

救急隊員の皆さん、病院のスタッフの皆さん、近所の皆さんに大変感謝すると同時に、ここが日本であった、そしてこの医学の発達した時代に生きていて本当にラッキーだと感じました。

まずは、救急車ですが、これが公共サービスになっていてお金の心配をせずに乗れます。そして救急車に乗っている救急隊員の方々の働きも公共サービスで休暇シーズンでも稼働してくれていて、高額な追加料金が発生する事もありません。働きは迅速で熟練度が高く、運び込む病院の選定も患者がしなくても適切な病気を選んでくれます。病院に到着した時に血をダラダラ流しながらロビーで支払い能力を確認されて認められるまで待つ事も必要無いですし、CTに追加料金が発生するけれど良いかを確認されもしません。

日本にいるとこうした事が当たり前だと考えてしまいますが、例えば江戸時代に同じような事になっていたら、例えば他の国だったら、これだけの事で簡単に死んでしまうでしょう。全く当たり前じゃないのだと考えます。ありがたい事です。

家に帰ると

2023-05-01 22:59:02 | 日本でニャー2023
活断層の家から自分の家に帰った。

聞いてはいたが、お隣さんの状態はちょっと悪化していたようだ。以前よりさらに言動がおかしくなった。

お隣さんの家は3人暮らしだが、これで3人ともに別々の問題を抱えてしまったようだ。こうなると通常行われる家族による公的支援要請ができない可能性が高い。今の制度では、もし本人が支援の申請をしなければ、またはできなければ、少なくとも家族の誰かが申請人になる必要がある。外見上支援が必要であったとしても、家族の誰かが申請に行かないと何も始まらない。だからお隣さんのような場合、それ以外のケースでは独居していて、しかも責任能力が疑わしい場合などでは周囲が知っていても支援の手が差し伸べられない。

眠いので明日に続く


ヤマザキ春のパンまつりステッカーを他人にあげるとして

2023-04-27 17:52:54 | 日本でニャー2023
ヤマザキ春のパンまつりのステッカーが中途半端に溜まった。もともとあまり買わないし、安いパンばかりなので4月末までにお皿はもらえないだろうと考えていたらその通りになった。


それで、この中途半端ステッカーをどうするかだけれど、捨ててしまうという有力な選択肢はあるが、誰かがあと1点足りないとか、3点足りないなどと言うのであれば差し上げても良いなと考えた。そこで、近所のスーパーの袋詰めする台の上にでも置いておけば誰かが持って行くだろうと思ってそうキャサリンさんに言った。どうしてかというと、同じ事をマレーシアでは皆やっていたし、自分たちもやっていたからだ。マレーシアのAEONでステッカーを集めると包丁が貰えるみたいなのがいつでもあって、普通は要りませんと言うのに間違ってもらった場合は次の人の為に置いて帰っていた。また、マレーシアでは前の人がポイントカードを持っていないと後ろに並んでいるこちらに「あなたにポイントあげる」とレジで言ってくれる事も多い。それと同じ事をヤマザキのステッカーでもと思った。

が、驚く事に、キャサリンさんは「そんなことするなら近所でなくて遠くで」のような事を言う。そしてただ「そんなこと」じゃなくて「そんな変なこと」と言う。マレーシアでは普通にやっていた事が日本では変な事になるらしい。

どうも、言葉が完全にはわからないとか、外国人で勝手がよくはわからないという言い訳的な感覚はsnsに匿名で書き込みするのと似た感じになっているように思われる。まあ、仕事だったりすればそうもいかないが、日常の事であればそうなのかと思う。ふーん、なるほどというわけ。

そう言えば、街を歩いていて知らない人に挨拶する時、遠くから来た観光客には気軽にできるけれど、近所の人かもしれない場所だったりすると逆に匿名性が薄れるからか自然に警戒して躊躇するとような感覚は確かにある。別にどうって事ないのだけれど。

自分に生産性が無いと劣等感?

2023-04-26 20:34:49 | 日本でニャー2023
母関係資金用に作った口座のキャッシュカードが届いた。昼間いなくて再配達の票があった。いつ来るかわからなかったから仕方ないが、再配達依頼が18時〜20時しか選べなかったから申し訳ないが配達の人の残業時間に再配達してもらう事になった。もうちょっとどうにかならないのか?と思う。しかも今日は雨だ。


そして先日の母の保険金の件で保険会社は支払いを受けた者の個人番号を政府のために収集しないといけないとかで郵便が来た。こっちとしては構わないのだが、やはり紙提出だった。あの紙は番号を確認した後で政府に提出する為に転記される。ソフトコピーなのかそれとも相手も紙かは不明だが、こちらが紙である以上転記は必要のはずだ。そして送った紙はどう処分されるのだろう?一定期間どこかのフォルダに入れられるのか?しかし、人がそれをする以上どう見ても抜け穴が多いと思われる。これってセキュリティ上成立しているシステムなのか?



ちょっと前にTwitterでポテトサラダが話題になった事がある。
ある人が調理済みポテトサラダを買うというのを言った時に、Twitter有名人が主婦なんかどうせ暇で生産性が無いのだから自分で作れというような事を発言したという話題だ。つまり、主婦は稼いでないから時間あたりの価値が低いので買わないで作れという話だった。ずいぶんな言い方だなと思っていた。

今日、ある若い人(多分女性)が、「自分は稼いでいない、子供を育てていない、生産性が無い」という事で「劣等感」を感じると書いていた。これを読んで悲しくなった。

生産したり稼いだりしていない事で劣等感とは・・・あまりにも悲しい考え方じゃないだろうか。多くの若者は世の中の役に立ちたいという事を思っているとどこかのアンケートにあったけれども、それは本心なのだろうか? この劣等感の裏返しではないのだろうか? どちらにしても、稼いでいなくても成功していなくても、役に立っていなくても、その人自身に特有の価値があると思えないとしたら、この国は人に対してどんな教育をしているんだ!って事ではないだろうか?

皆さんそう思いませんか? その人が楽しい人生お送れるならそれだけで良いのではありませんか?