近くの陶芸クラブの釜が今日までセールをやっているというのでこれを買ってきた。
これは実用性も芸術性も度外視して選んだので誤解を受けると思うが、もっと多くの人が良いと感じるであろう陶磁器が多くあった。先日の市の文化祭はじめいくつかのイベントで見る限りこの街の手工芸のレベルはとても高い。農業と漁業でやってきた端っこの街とはとても思えない。不思議だ。
あの活断層の町で文化祭をやっていたらちょっと見に行って比べてみよう。想像ではこれほどではないはずだ。
タレントさんが風呂で亡くなった。(ご冥福をお祈りします)
そしてヒートショックという言葉が飛んでいる。これは本当かどうかわからないので断言はできない。(有名タレントさんが住む家が寒いって?)
今日はその話題じゃない。ヒートショックで思い出した昔のお話。
ずっと以前に風呂給湯器の設計をやっていた時のこと。どういうわけか最高級クラスの自動風呂釜給湯器をやっていた。それも特に風呂の機構設計の方を。そのあたりの機構を考える時、水道関係の法律をクリアすること、それから大手ガス会社(つまり東京ガス)の仕様を満足することが最も大事。それも大変ではあるのだが、それ以上にいろいろ面白いことも考える。
誰にも要求なんかされないのにね。
面白がって、という表現が今考えると正しいかもしれない。ある時、風呂に入ろうとして「あちっ!」と。それで、いくら風呂を炊くのがボタン1つ、もしくはタイマー動作で自動ったってこれじゃ不愉快だし、入れなくてカランから水入れて掻き回してから入るよな、と思った。そこで、設定温度より最初ちょっと低くしておいて人が入ったところでゆっくり炊き上げるってのを考えた。テストしたりいろいろやって実用新案になったり製品にもなった。
めでたし・・・じゃ、全然ない、実際のところ。
どうしてかって言うとだ、ガス器具売る側からするとそんなの何の価値もないし、むしろ余計なものなのだ。だって東京ガスなんかは自分の考えた仕様が今現在の最先端なわけで、それに従って全ての器具メーカーに作らせる。昔のNTTが携帯電話の仕様を決めて宣伝してメーカーがそれにただ従っていたのと同じこと。つまりメーカーの特色も何も不用なわけ。LPGエリアだと街のガス工事屋が売るので彼らは仕入れを安くして利益率の高いのを売りたいから器具メーカーを戦わせる。だから新しい機能が入ってもお客さんに説明するのが面倒と思っていて要は値段だけでOKと考えている。唯一あるのは配管する時に間違え難いとか間違えても簡単に直せるだけが重要なのだ。
ってわけで、いくら快適で安全な風呂なんて作っても自分たちの自己満足でしかなかったという話。今でもそのあたりは変わらないだろうな。自動車だったら買う人に直接アピールすることができるが、給湯器なんかだとCMで十分にアピールできるほどお金かけられないわけだし、そもそも誰もそんなの望んではいない。家買う時、どんなどこのメーカーの給湯器が付いているから良い悪いなんて誰も言わないよね。
みなさん、風呂入る時には注意してね。