大倉草紙

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【茨城】 鹿島神宮

2009年01月10日 20時00分00秒 | 旅 - 茨城県
1月6日(火)
当日の行程:(車)→ 【鹿島神宮】【香取神宮】

茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮は、常陸国一の宮。
全国に約600ある鹿島神宮の総本宮。

鹿島神宮の神使は鹿。
参道には、こんな像もある。



大鳥居
茨城県の特産の御影石でできているのだそうだ。


楼門(重要文化財)
寛永11年(1605)水戸藩初代藩主徳川頼房(光圀の父)が奉納したもの。
阿蘇、宮崎の楼門とともに、日本三大楼門に数えられるのだという。


拝殿(重要文化財)


仮殿(重要文化財)
元和4年(1618)建立。

本殿や仮殿がある敷地から、奥のほうへ木立に囲まれた道が続いている。


鹿園
鹿島神宮の御祭神武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)のところへ天照大御神の命令を伝えに来たのが、鹿の神霊とされる天迦久神(あのかぐのかみ)であったことから、鹿島神宮の神使は鹿になったらしい。
藤原氏が鹿島の大神の御分霊を迎えて春日神社を創建したときには、御分霊を神鹿へ乗せ、多くの鹿を連れて1年がかりで奈良へ行ったといわれる。
東京江戸川区の鹿骨をはじめ、東海道を三重の名張まで、その鹿の足跡が残っているという。


奥宮(重要文化財)
慶長10年(1605)、徳川家康により奉建される。
元和5年(1619)、二代将軍秀忠によって現在の本宮社殿が奉建されるにあたり、現在地に移された。


要石
地震を起こす大鯰の頭を押さえているといわれる。
石の上に光っている1円玉と比べたら分かるように、思いのほか小さい。
が、掘るにしたがって大きくなり、極まるところ知らずなのだそうだ。
小林一茶は鹿島神宮を詣でた際に、次のような句を残している。
「大地震(おおなゑ)にびくともせぬや松の花」
また、要石の近くには、芭蕉の句碑もある。

「枯枝に鴉(からす)のとまりけり穐(あき)の暮」
この句は鹿島神宮で詠んだものではないが、状況が似ているので建てられたのだろうという説明があった。


御手洗(みたらし)池
古来、禊の斎場であった池。
1日に432リットルもの水が湧き出るのだという。
池に入っているのが大人でも子どもでも、その水位が乳を越えないという伝説から、鹿島神宮の七不思議のひとつに数えられている。


鹿島神宮の御朱印

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