はがきのおくりもの

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人よりも空、語よりも黙(もく) <63> H14.12.16

2010年08月17日 | じんたん 2002


 人よりも空って、わかる気がしますね。子どもの頃、空を見るのが好きでした。白い雲が流れていく空が好きでしたね。ず~っとみていて飽きませんでした。それってどうしてですかねぇ~。


人よりも空、語よりも黙(もく)


 むかし「全国子ども電話相談室」で、小学生がこんな相談をした。
「先生、人間はどうせ死ぬんでしょ?」
 無着成恭先生は明快にこたえた。
「そうです」
 小学生は、罪のない淡々とした口調でつづけた。
「どうせ死ぬのに、なぜ勉強しなくちゃならないんですか?」
「あの、それはね、そのね……」

 無着先生は束の間絶句した。しかしさすがに気をとり直して、死ぬには死ぬが、それは君が想像しているよりずっとずっと先の話だ、それまでは人間はいやでも生きていなくちゃならない、勉強はそのときのために必要なんだよ、いや、そもそも勉強でもしていなきゃそんな長い時間退屈でしょうがないんだよ、というふうなことを例の「訥々とした雄弁」で説明した。私は無着先生の答えぶりにも好意を持ったが、小学生の質問のほうがよりさわやかにほほえましく思えた。しかし一瞬後、それは私が幼い頃にたしかに思い、しかるにそのままに放置して幾十年かが過ぎた疑問だったと思いあたったとき、ひそかに慄然とした。

 ラ・ロシュフーコーはいった。
「たいていの人間は、死なないわけにはゆかないので死ぬだけのことである」
 山田風太郎はこういいかえた。
「たいていの人間は、死ぬわけにはゆかないので生きているだけである」
 あまり真実に触れすぎると、たいていは人に恐れられ嫌われるものだが、山田風太郎の場合は奇妙だ。恐れられつつ、むしろ愛される。

「死言ではないが、あのナポレオンでさえこういっている。
〝余が死んだら人は何というかね?何もいわないさ、ただ、ふんというだけだ〟」
 他人にとって他人の死なんて、所詮そんなものなのでしょう。

 これも死の床の言葉ではありませんが、ラフカディオ・ハーンの死の一週間前の言葉が好き、というか、胸に沁みます。

<(明治)三十七年九月十九日の午後三時頃、私が書斎に参りますと、(ハーンが)胸に手を当てて静かにあちこち歩いていますから「あなた、お悪いのですか」と尋ねますと「私、新しい病気を得ました」と申しました。(……)「この痛みも、もう大きいの、参りますならば、多分私、死にましょう。そのあとで、私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。三銭あるいは四銭くらいのです。私の骨を入れるのために。そして田舎の淋しい小寺に埋めて下さい。悲しむ、私喜ぶないです。あなた、子供とカルタして遊んで下さい。如何に私それを喜ぶ。私死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、はあ、あれは先程なくなりました。それでよいです」>(『思い出の記』小泉節子)

「どうせ死ぬときにはそれどころではなかろうから、いまのうちに最後の言葉を用意しておきたいと思うんだが……」
 結局、これはという死言はなかった。
「いや、これは傑作、とうなったのがひとつあった」
 なんでしょう。
「〝コレデオシマイ〟
  勝海舟の最後の言葉」
 ……


「死の言葉ではなく、大患から生還したときの漱石の文章なんだが、眠りにつくときにありがたい文章がある」
『思い出す事など』ですか。
「うん。漱石のいちばん静かな文章で、たとえばこんな部分」

<空が空の底に沈み切った様に澄んだ。高い日が蒼い所を目の届くかぎり照らした。余はその射(い)返しの大地の洽(あま)ねき内にしんとして独り温(ぬく)もった。そうして目の前に群がる無数の赤蜻蛉を見た。そうして日記に書いた。
 人よりも空、語よりも黙。……肩に来て人懐かしや赤蜻蛉(あかとんぼ)>(『思い出す事など』夏目漱石)

「戦中派天才老人・山田風太郎」関川夏央著、ちくま文庫より


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