はがきのおくりもの

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明治維新の大きな失敗 <82> H15.3.10

2010年09月15日 | じんたん 2002


 安岡正篤氏の本を35冊も持っているらしいのですが、奥井は全部読んだんでしょうかねぇ。読んだとしても覚えてないでしょうねぇ。
 なんて言ったら、本は覚えるために読むんじゃないって言うんです。ま、確かに覚えるために読むってことはあまりしないけれど…。どんな気持ちで安岡正篤氏の本を読んでいるんでしょうか。


明治維新の大きな失敗

 ただこの明治維新の時にも見落としてはならぬことは、深刻な過ち、余弊・害毒を発生したことであります。その過ちが潜伏性疾患となって、今日再発しておる。
 それは何かと申しますと、何分三世紀近くもレジャー・バカンスでやって来たのが、急に大きな衝撃を受けたのでありますから、それこそ近代西洋文明というものに非常な驚きを感じた。

 驚きは同時に恐れであった。恐れはやがて、偉いものだ、という尊敬・畏敬の念に変わる。そうすると今度は、それに伴う卑屈・卑下、日本はなっておらぬではないか、という自己軽蔑になって参ります。

 それに人間の心理というものは複雑で、まして民族心理・群集心理・大衆心理というものはより複雑でありますから、そういう畏怖や卑屈に対して、なあに今にみろ、必ず日本は追いつき追い越してやるぞ、というような自負心や、なあに負けるものかという自尊心、反感、こういう複雑な心理が発生したのであります。一面に於ては、驚き、恐れ、尊敬、自己軽蔑をやりながら、一面に於て反撥し、軽蔑し、これと競争してゆこうとする。今日の流行語で申しますと、Inferiority Complex(劣者の複雑心理)というものが発生した。

 これは非常に微妙で厄介な問題でありまして、その後ずっと維新の副産物として日本につきまとって参りました。

 しかしまだ明治時代には、長い歴史的伝統的な自覚やら自負心があったので、大事には到らなかった。明治の先覚者には、なるほど西洋の物質文明・機械文明というものは偉いものだ。しかし精神・道徳・信仰に到っては断じて彼等に譲るものではない。われわれはあくまでも民族の歴史的伝統的精神・道徳の上に立って、西洋の知識・技術を取り入れれば良いのだ、とこういう自覚も態度も抱負もありました。

 それが大正になるとすっかりゆるんで、このInferiority Complexに基づく妙な欧化主義、つまり欧米崇拝といったようなものが少し病的になって参りました。そしてそれに対する反動で、昭和になりますと、ヒステリックな、或はエキセントリックな国粋思想・愛国思想というようなものが強調され、それがご承知のように、民族の予想、或は民族の信念に反した大敗北となって、今度は戦後です。これはもう全くひどい病的心理になって、又々発生して参りました。それが今日も尚はたらいておるのであります。これを反省しなければなりませぬ。


 然し本当は、小学校を本位に順々に築き上げてゆくべきでありまして、ここに日本教育の、人造りの大きな失敗がある。当時の事情から言うと、無理からぬ点もあるわけでありますが、これは今日も流行のインスタント主義の一つの過ちであります。

 国造りのためのあわただしい人造りであるから、目的達成のためにはなるべくインスタントになるべくスピーディにやる必要がある。だから落ちついた人造りではない。学校教育の主眼が、はやく国家の必要とする知識や技術に応じることの出来る人間をつくる、ということにあるのですから人間にとってもっとも大事な、人間として当たり前の、信仰とか道徳、人格というような面の教育はどうしてもおろそかになる。

  「日本の伝統精神」安岡正篤著、PHP文庫より


 学校の本当の役目は何だろう。明治維新の前に戻って考えねばならない。


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