奥井です。
私家版卯高物語「少なくとも三兎を追え」はいかがでしたでしょうか。構想3年、執筆を始めてから1年3か月が経ってしまいました。
ようやく初稿を書き上げることができました。
何とか最後まで書き上げることができましたのは、あきらめず、あきて放り出さず、ずっとおつき合い下さいました皆様のお陰です。感謝申し上げます。
この3月に卯の花高校を退職し、のんびりとした日々を過ごして . . . 本文を読む
教育という営みは、社会の最後尾から後を追って走る営みであり、社会の先頭に立って見えない希望をつかもうと走る営みでもある。前者の営みだけを行うならば、次の社会に対応できず、後者の営みだけを行うならば、今の社会に対応できない。
現在、グローバル化社会に対応すべく、学校教育に様々な要求が持ち込まれている。最後尾を行く者として必死に対応していかねばならない。リーダーシップ教育やシティズンシップ教 . . . 本文を読む
校長の道楽に、皆に公表するような目的や目標は馴染まないが、秘めた意図のようなものはあった。それは、温かな眼差しで学校を包もうというものであった。
温かな眼差しは、学校という場を正のエネルギーで満たし、たゆまぬ進化を促す。学校に集う人々の心に前向きのエネルギーを注入する。そんな環境を整える責任が校長にはあると考えた。
という言い訳を考えながら道楽を楽しんだ。常に少しの無理をしながらの道 . . . 本文を読む
様々な「扉叩き人」が校長室を訪れた。
演奏会や発表会のパンフレットの巻頭言を頼みに来る「扉叩き人」がいた。ある部活動で頼んだということが知れると、次第に「扉叩き人」が増えていった。
生徒会の「扉叩き人」は、体育祭や文化祭、壮行会などのあいさつを頼みに訪れた。たいていは前日までにやってくるものだが、当日の朝という猛者たちもいて飽きない。彼らの予定はあくまで予定に過ぎないので、常に臨機応 . . . 本文を読む
平成二十三年十一月三十日、三年生四人が真剣な面持ちで扉を叩いた。盗難対策についての校長見解を聞きたいという。
この頃、盗難が増えていた。この二年前に盗難が多発した状況に似ている。彼らは当時の被害者であった。卯高が大好きだから何とかしたい、と扉を叩いた。
二年前の事件とは、外部の者が合宿所をねぐらに盗難を繰り返した事件である。犯人は捕まったが、再び彼が活動を開始したのではと彼らは疑った . . . 本文を読む
平成二十三年十月十四日の放課後、ちょうど吹奏楽部三年生のハガキ表彰式を終えた後であった。文実整備パートの二年生が校長室の扉を叩いた。まっすぐに見つめる眼と穏やかな口調に、じっくりと話を聴こうと決めた。
文化祭の清掃活動に取り組んだ彼は、授業公開のためにトイレの掃除状況を自主的に点検したは、四階西トイレを除いて清掃が十分でないので、何とかしたいという。この日の朝会で教務主任が全教員へ丁寧な . . . 本文を読む
平成二十四年三月十三日、卒業式の三日前に元祖「扉叩き人」が校長室の扉を叩いた。六度目の扉叩きであった。最後の扉叩きは、大学受験結果と進路の報告であった。
彼が初めて校長室の扉を叩いたのは、一年次の秋である。私が卯高校長一年目のことである。二学期始業式で話した「冒険心や好奇心を発揮して、世界へ挑戦せよ」との言葉に感激し、報告に来たという。高校生対象の打楽器コンクールで知事賞を受賞したが、第 . . . 本文を読む
三つ目の道楽「扉叩き人」は、向こうからやってくるものを楽しむ道楽である。
自分から進んで校長室を訪れる生徒は少ない。そこで、ハガキ表彰式を校長室で行い、生徒に校長室を体験させることにしていた。校長室に入ることは社会体験でもある。
少数ではあるが、自ら進んで校長室の扉を叩く生徒たちがいた。勇気ある若者たちである。私は密かに彼らを「扉叩き人」と呼んで、彼らの出現を心待ちにしていたものであ . . . 本文を読む
「朝の習慣」を続けていると、生徒に「なぜやっているのか」と聞かれることがある。卯高四年間では一度だけ質問された。
答えは「習慣だから」「決めたことだから」と言うことに決めていた。習慣に理由はない。しかし、始めたときには理由があった。
朝の習慣を始めたのは、教頭一年目の秋のこと。夏が過ぎ、少し余裕ができてきて、私にできることは何かと考えることができるようになった頃、森信三先生の「荒れた . . . 本文を読む
二つ目の道楽「朝の習慣」は、三部構成となっている。卯高での「朝の習慣」を紹介しよう。
毎朝七時十分頃、学校に到着し、決済を済ませた後、七時二十分頃から雑巾を片手に校舎内を回るのが、第一部である。高校では下足箱に扉がついているので、下足箱の扉閉めを皮切りに、全クラスの教卓拭き、廊下のゴミ拾いを行う。ゴミはほとんどないので、十五分ほどで回りきる。途中で、太陽に「今日も一日、丸く豊かに、明るく . . . 本文を読む
ハガキ送付を続けてきて、様々な思いの連鎖に立ち会うことができた。
人は他人の思いのすべてを知ることはできない。自分の思いさえよくわかりはしない。だから、込めた思いは伝わらない。しかし、何かを受け止め、心に刻んでくれる。それが思いの連鎖というものかもしれない。
恋人同士であっても、親友同士であっても、親子であっても、夫婦であっても、互いの思いは伝わらず、永遠にすれ違う。だからこそ、相手 . . . 本文を読む
様々なハガキ表彰状や励ましのハガキを贈ってきた。
部活動を引退した生徒たちや成績優良者、生徒会役員、実行委員などにはハガキ表彰式を行った上でハガキを送り、欠点をとった者や励ましが必要な者へは励ましのハガキを送付した。
たとえば、引退したボート部員にこんなハガキ表彰状を贈ったことがある。
ボート部員として大いに苦しみ楽しみながら、自分に負けることなく活 . . . 本文を読む
だいこん高校時代のことである。就職した女子生徒が二人、美人になって、遊びに来た。そのとき、こんな会話をしたことを覚えている。
「あたし、校長先生からもらったハガキ、全部取ってあるよ。」「あたしも。卒業のときもらったハガキ、トイレに貼ってあるんだ。」「もうちょっとマシなところに貼ってくれないかなぁ。」「毎日見てるからさぁ。」「ありがとう。」
生徒たちには、高校時代にいい思い出をいっぱい作 . . . 本文を読む
だいこん高の最初の職員会議で、生徒たちをほめたい、ハガキ表彰状を出したいと述べ、先生方に協力をお願いしたのが、ほめ励ますハガキの始まりであった。反対はなかった。ハガキ表彰状がどういうものなのかがよくわからなかったのだろう。
第一学年団に、入学式の呼名で返事のよい生徒にハガキ表彰状を送ることを伝えたところ、学年団としては協力しないが、ハガキ表彰状は了解するとのことであった。入学式当日、PT . . . 本文を読む
私がほめ励ますハガキを始めようと思ったのは、ハガキ道の伝道師、坂田道信さんの講演を聴いたことが遠因であった。講演を聴いたのは、十数年以上も前のことである。
講演の内容ははっきりとは覚えていないが、次のような内容の話をされたと思う。
坂田さんは、昭和四十六年、森信三さんの講演を聴いて感銘を受けた。講演の最後に森先生が言われた言葉「義務教育を終えた者なら、最低三つのことは実行しなさい。一 . . . 本文を読む