はがきのおくりもの

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人間、あったかいのが一番だ <79> H15.2.17

2010年09月08日 | じんたん 2002

 ホント、人間、あったかいのが一番です。でも、なかなかあったかくできないのも人間です。不思議です。


人間、あったかいのが一番だ

 日常生活の中で、自らを鍛えあげていかないと、麻雀は強くならない。日頃、けじめのとれていないことをしていたり、トラブルや困難から逃げまわっていたりして、自分の快楽に溺れているようでは、麻雀には強くなれない。自分の強さ、弱さが仕事や麻雀にも染み出てくるというわけです。


「楽しいから参加している」

 そんなくらいのことならば、たいしたことは起きてこない。

 楽しみというのは、参加するだけではなくて、自分で他人のために作ってあげなければいけない。ですが、ただ参加する者より参加しない者のほうが、もっと悪い。一番いいのが、楽しみを作る人なんです。

 「愛」の場合もそうです。「愛」はなおさら、作らないと、育まないといけない。「愛」があるから参加する、ではだめなのです。


 人生という山を登ることの楽しみというものを、わからなければなりません。そうかといって、ただ登る苦しみがあるわけではないのです。山は登れば快感があるのです。登ったあといい気持ちになるからこそ、また山に登りたくなるんだと思う。

 すぐ解けるようなクイズやゲームがつまらないのと同じで、解くプロセスが大変であれば、そのクイズが解けたときの喜びは大きいものなのです。

 ただ、山に登るのは大変なんだよ、と人に教えるのではなく、山に登ったあとの気持ちというものを、見せてあげて、教えてあげなければならない。そこには、いいものがあるんだよ、気持ちいいことがあるよ、いい空気が吸えるよ、と教えてあげないと、誰も山を登ろうとはしない。

 雀鬼会の麻雀は、根本的には、あったかさというものを優先しているのであって、大変だ、苦しいんだ、ということが優先されているのではない。高見に上げて、登る喜び、感動というのも教えていかないといけない。


 失敗や間違いを犯して、心を閉ざすというのは、意気地なしです。間違いや失敗をしでかすことは、決して恥ずかしいことではない。だからこそ、人間なのです。ただ次からは、失敗の数を減らすか、間違いが起きる期間を少しでも延ばすことです。

 ですから、雀鬼会では、もっともっと心を開け、行動を惜しむな、と教えているわけです。そうしていかないと、いつまでたっても、本当の自分というものに気づかない。心を閉ざして、言い訳したり、嘘をついたり、誰かのせいにしてると、いつになっても本当の自分に気がつかない。

 人間は精神と肉体でできているので、心は閉じずに素直に聞き、勇気をもって行なう。この二つで積極性が湧いてきて、ものごとがすすめられるわけです。積極性を重ねることが「継続力」となり、それが信頼の獲得へとつながる。

 その先でもしかしたら愛とか幸せといった青い鳥を見つけられるかもしれない。先にそれを求めるのではなく、やるべきことをやってこそ、幸せに近づけるのです。
素直だからこそ、コミュニケーションが成立する。
勇気は、やる気につながる。


 自分を裏切らなければ、他人をも裏切らないものなのです。自分勝手ということではなく、本当の意味で、自分を大切にしている人は、他人のことも大切にするんです。


 心の洗浄を怠った知識人たちが、表に出てきて世の中を左右しています。当然のことですが、世の中いい方向に行くわけがありません。人に影響を与える立場にある人であれば、なおさら心を洗浄して、先へ進んで行かなくてはならないのです。

   「雀鬼流。」桜井章一著、三五館より


 桜井章一氏に関する本では、「「狂」の時代を回避せよ 雀鬼流の行動哲学」桜井章一著、「「雀鬼流」学校改革 心が技術に勝った」林田明大著を以前に読んだ。「雀鬼流。」を読み終えて、「雀鬼と陽明 桜井章一に学ぶ心の鍛え方」林田明大著を読み始めた。

 最近、「大学」をちょっとかじり、「講孟箚記」をかすり、「陽明学」のまわりをウロウロしている。四書五経など、遠い存在だったが、日本人と生まれたからには少しばかり内容を知って死を迎えたいものだと思うようになった。中身のないまま、一生を終わるのは寂しい。「知行合一」を身体で知ってみたいもの。


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