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倹約は心を正す <77> H15.2.10

2010年09月02日 | じんたん 2002


 昔の人の言葉って心に染みますね。最近の首相のように言葉が軽くなくて、重みがあります。


倹約は心を正す

 森先生は、「物を粗末にしないということは、物を大事にするだけではなく、自分の心をひきしめることになるのです」と、よく言われました。

 日常のことで、いちばん大事なことは何かという問いに対して、梅岩は、「われ一事を肝要として勤むるは、倹約にすぎることはない」と、答えております。

 そこで梅岩の言葉を少し引用すると、

○倹約とは、物の肝要を守ることなり。
○わが倹約するは、世に貪りたき思いをやめんがためなり。
○倹約というのは、世俗の説とは異なり、わがために物ごとをおしがるにあらず。世界 のために三ついる物を、二つですむようにするという。
○倹約をいうは、他の儀にあらず。生まれながらの正直にかえしたきためなり。
○予がいう倹約とは、ただ衣服財器のことのみにあらず。すべて私曲なく心を正すよう に教えたき志なり。

 これでおわかりいただけるように、梅岩の「倹約」は、もちろん吝嗇(りんしょく)(けちんぼ)ではなく、また単なる貯蓄志向型だけでなく、

 ①利己心を抑制し、貪欲の念を去ることを基本とし、②それをもって世の中の役立ちに供することであり、③仁慈の実践を成就すること、
であるのです。

しつけの三ヵ条
 ①朝のあいさつをする……「畏敬」の心
 ②呼ばれたらハイの返事……「感応」の心
 ③履物をそろえる……「責任」の心

 人間として、この地球上に共に生きつつ、畏敬し感応しその責任を果す……というのが、人間の「生」の基本構造であるわけですから、「畏敬」・「感応」・「責任」は、いわば「生」の三大原理であるわけです。

 この三大原理の最も基本的な方法論として、①あいさつ、②返事、③後始末の三ヵ条が、森信三先生によって提唱されて、すでに久しいのですが、今こそ改めて、この三ヵ条の奥に秘められた、「生」の構造原理に思いをいたす必要があります。親たり教師たり、リーダーたる者は、心してこの原理の自覚と方法の種まきに心しなければならぬと思われてなりません。

 そこで、「しつけ」のあり方について注意すべき重要なことは、

「他を変えようと思えば、自分を変えるよりほかにない」

ということです。

 親たり教師たりリーダーたるもの、すなわち先覚者や自覚者が、まず先に行うより他にないということです。かつて井戸水が渇れたとき、呼び水として誘い水を流し込んだように、自覚者が先に「あいさつ」をしつづけるよりほかはありません。「しつけ」とは自覚者が先に「しつづける」ことです。気ながに、粘りづよくあせらず、継続しつづけるよりほかにないのです。

 かつて、超凡破格の教育者と注目された今はなき徳永康起先生の言葉に、

「あいさつひとつに、命をかけるぐらいでなければ、教育の底は浅い」

と言われました。徳永先生が登校時、また校内で生徒に自ら先にあいさつをしつづけたことは、著名な話です。

「日常凡事に心を尽くす 石田梅岩に学ぶ」寺田一清著、致知出版社より


  「教科書を教えるのではなく、教科書で教えるのだ」と、今でも言われているのだろうか。知識を教えることが主では今の高校は成り立たない。高校教育とは何?


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