奥田中バスケ部

OKUDA JR BASKETBALL CLUB

びっくりボールになろう!

2008-08-30 07:31:49 | スタッフルーム
 中身しっかり詰まったびっくりボールは、強く床にたたきつければ、大きく跳ね上がる。中身の中空のボールは、壊れてしまったり、大きくは、はねない。小さくても、芯が詰まっていれば、反動で大きく飛び出すことができる。
 昨日の山下春香君の言葉です。
 ちいさな゛びっくりボール゛は、今朝早く、富山空港から羽田に向かいました。

挑戦する心を学ぶ

2008-08-29 08:32:07 | スタッフルーム
 昨日よりアメリカ(ヘイスティング大学 全米10位)で活躍している、山下春香君(樟蔭東短大~荏原製作所~)が、指導に来てくれています。
 身長150センチの小さな体で、女の子がひとりアメリカの大学でプレーしようと、だれが考えるだろうか。
 ましてや、「今度はヨーロッパリーグです。」といってのける彼女に、太陽のように熱く燃えるエネルギーを感じ、怖いものさえ感じます。
 とにかく、すごいの一言です。高校生、後援会の皆様も、ぜひ、本日の夜間練習での、彼女のプレーを見てください。(とにかくすごい!!)

T井君の得たもの

2008-08-27 08:22:40 | スタッフルーム
 「筋肉痛が、2,3日続きました。」
 「精神的には楽だけど、肉体的に相当きつかったです。」
 「みんなから、たくましくなったと言われました。」
 自慢げに話してたT井君が、給料を取りに来ました。予想を上回るお金を手にしたせいか、はしゃぎまわっているので、一言。
 [おまえが、体をかけて稼いだ大切なお金だ。死に金にするな、できれば貯金しとけ。」
 「このお金で授業料払います。」
 うそでも泣けるようなこといって帰っていったT井君でした。
 
 

働き一両、考え五両

2008-08-25 08:24:47 | スタッフルーム
 先日、焼肉店であったH川キャプテンから、O上が、九州から帰ってきたということで、大工のT島の4人で、酒を酌み交わすことになりました。
 途中、沖縄の高校に行ったN田(中学校の面影がまったくありませんでした。)
や、後輩のBBキャプテンも顔を見せてくれました。
 「O上、変わらないなぁ。」
 「コーチもお元気そうで。」
 「年間いくらもらってる。」
 「****万円くらいです。」
「なぁ、なぁ、なに。」
 全国でもトップの成績で、昨年は、ドイツ車を購入したそうです。
 中学校時代の生意気は、天下一品で、新任の野球部のK原先生には、目の敵にされ、言い争いは絶えず、何回も仲裁に入りました。
 また、53人入部した1年生を徹底した「かわいがり」で10人以下にしてしまったのも、彼です。
 バスケの試合では、ひじ、ひざを使ったり、みさかいのないプレーをして、鉄拳を交えてよく、叱られていました。
 「すべて、コーチの指示です。」
と言われてしまいましたが、どこかで、この子を頼もしく思っていたのは、確かなようです。
 思い出話は、何時間あっても、つきませんでしたが、自分が東京で、無我夢中になって働いていたころ、先輩から薦められた、城山三郎著「働き一両、考え五両」という本の紹介と、是川銀蔵の話をして、またの再会を誓いました。

思い出の宮野山合宿

2008-08-23 07:43:39 | スタッフルーム
 新チームが、地区大会を勝ちあがり県新人戦の出場を決めたころ、当時の桜井中学校の大蔵先生の配慮で、宮野山で合宿をすることになりました。
 夕食は、保護者の皆さんの準備で、大盛りのカツカレーをいただくことになりました。
 「絶対残すな!」
 この一言で、全員必死になって、しゃべることなく、もくもくと、食べていました。
 突然の女子部員の悲鳴。「T山がたいへん」と男子部員。 
 T山君がなんと食べたものすべてもどしてしまったのです。
 そんな、異臭と女子の悲鳴の中、一昨日の銀色の髪のS籐君と、O内君が、バケツをもってきて、素手で嘔吐物を集め、一瞬のうちに何も無かったかのように、きれいにしてくれました。
 「こいつらすごい」の一言です。
 そのあと、ふたたび 「絶対残すな!」
 悲壮感漂う顔ながら、残さず食べたみんなは、りっぱ。
 「自分も、もどしそうでたいへんだったんですよ。」
 「あれから、カレーはちょっと?」
 そう思い出を語ってくれた、S籐キャプテン。
 そういえば、双子の女子のS籐も、あれからカツカレーが、食べれなくなったと言ってたなぁ。

思い出の全中Tシャツ

2008-08-22 16:33:38 | スタッフルーム
 新潟では、いよいよ全中が始まるようです。
 全中には、一度も出場したこともなければ、観戦に行ったこともありません。
 ただ、全中に出場したチームからおみあげの品をもらったことだけあります。
 おみあげの中に過去5年と今後開催が決定している開催地が明記された、大切にしていたTシャツがありました。
 そのTシャツを今現在も大切にしてくれているのは、昨日紹介した、金髪のN田君です。
 夏、今ごろの練習試合でのことでした。はじめて配ったユニフォーム。
 たまたま、N田君のユニフォームの背中の番号がとれとれになっていました。
 「N田、母親にそれくらい縫ってもらっとけ。」
 何週間かして、ある子のおかあさんから、N田君の家は、父子家庭で、洗濯や弁当つくり、バスケットに関わることは、すべて自分でやっているらしい。ということを聞かされました。
 秋の新人戦の前日に、N田君にユニフォームやジャージをもってくるようにいいました。
 そのユニフォームやジャージを手にとって見た瞬間、胸が熱くなりました。
 あまりうまいとはいえないけれど、丁寧に縫いこんだ、まちがいなく子供の仕事とわかる縫い方で、番号はもちろん、ほころびもすべて縫ってありました。
 試合が終わり、保護者を交えての祝勝会の時、本人そして、みんなの前で、知らなかったとはいえ、自分の心無い言動を詫びました。
 そして、お詫びと、今までの努力を称えて、全中Tシャツを送りました。
 「今でも大切な宝物です。」と言ってくれたN田君。 ありがとう。
 

地域に開かれた学校

2008-08-21 08:09:14 | スタッフルーム
 昨日、金、銀の髪色をした卒業生達が昼間練習にきました。
 その場に遭遇された顧問の勝原先生は、たいへん困惑されてたみたいです。
 あの人達だれ?と子供達に聞いたところ、驚くことなく「S籐先輩達です。」と、子供達が答えたのでちょっと安心しました。とのことでした。
 金の髪は、元富山工業高校のキャプテンのN田君。銀の髪は、元奥中のキャプテンのS藤君。ヒゲを生やした彼は、岐阜の大学にいっていて、教員をめざしているT崎君。色の黒い彼は、彼らの1学年下の湘南ボーイのK田君。
 4名の紹介を、先生に詳しくしました。
 ついつい排除されがちな卒業生達が気軽に立ち寄れるこんな学校が、自分の青春時代にあったら、楽しかったろうなと思いつつ、ひょっとしてこれってものすごくすばらしいことではないかと思えてもきました。
 ふざけることなく、昔と変わらないフットワークに挑戦して、(すぐ休憩してしまいました)その後代わる代わる中学生の中に入って練習の相手をしてくれました。
 この代のエピソートは、何時間あっても、語りつくせない話題の豊富な代なので、おいおいまた紹介していきます。
 この4名は印象に残る試合ベスト5に入る、延長逆転まさかの北信越出場(長野茅野)を演じた代の3名+北信越1回戦(石川星陵)残り12秒まさかの逆転負けを演じた1人です。

子供達から学ぶ

2008-08-20 08:42:22 | スタッフルーム
 H川キャプテン(兄)君のエピソードの中に、学生服洗濯事件というのががありました。
 S君(現在、カリスマ美容師)が、お母さんに「この制服洗っといて。」と制服を渡したそうです。
 この状況を、S君のお母さんは、見逃しませんでした。
 本人にも問いただし、担任の先生にも、相談をして、何があったのか、何をされたのか、時間をかけて、事の起こりを話すように説得し続けました。
 しかし、S君は、何も話してくれなかったそうです。
 先生方が、根負けしそうになっていたとき。「コーチに話します。」ということになり学校から呼び出しを受けました。
 何があったのか、わからない状況で、学校に駆けつけました。
 話の内容は、H川キャプテンに制服のポケットの中につばをいれられたそうであります。
 速攻で、H川君を連れ出し(親に伝えることなく)、S君の家に向かいました。
一昨日のH川君の言葉です。
 「コーチは、ぼくといっしょに何回も何回もあやまってくれました。」
 「キャプテンとして、命令言葉になったり、口が悪くなることもあるだろう。男だもの、多少の拳で傷つけることもあるだろう。だか、男のプライドに傷つけるようなことだけは絶対するな。としかってくれました。」
 「あの時は、ほんとうにありがとうございました。今でも、あの時の言葉は、忘れません。」
 「へぇそんなこと言っていた。それじゃ、たたかれることは、なかったんだ。」と私。
 [いいえ、相当強くやられました。」
 なにげに言っている言葉が、子供達の心に強く残っていくことと、今自分自身が、このH川君が語ってくれた言葉を重く受け止め、子供達と関わっていかなければとあらためて思い知らせられました。

指導を初めて15年

2008-08-19 08:56:48 | スタッフルーム
昨日、miyuのお母さんの焼肉店に家族で行きました。(長男の誕生日ということで)
偶然、H川(兄)キャプテンと遭遇しました。僕が初めてバスケット指導に関わった時の1年生です。今年28歳になって、今は、某大手銀行で、がんばっているそうであります。
 「コーチには、人生のなんたるかをを教えていただきました。」
 「歴代の生徒の中で、僕ほど鉄拳を浴びたものは、たぶんいないと思います。ぼくが、卒業してからずいぶんやさしくなられました。」
 とあっさり言われてしまいました。(決してそんなことはないと思っていんるだけど。)
 当時は、この奥田中学校も、迫力のある学校のひとつでした。
 放課後の、体育館では、土足でバレーボールでサッカーを楽しむ生徒達が、頻繁に遊びにきていました。(部活の生徒は、壁際で見学。)
 そんな日に限って、きまりにうるさい、バトミントンの先生や、野球の先生は、不在でありました。(見て見ぬふりかな?)
 ある不良のまねをした生徒が、バスケットボールを蹴った瞬間スイッチが入って
体育館が、血だらけになったこともありました。(頭突きで、僕の額がわれました。)
 何日かして、ひどいめにあった子供達が、ニッカポッカをはいたお兄ちゃんをつれて、鉄バットをもってやってきました。
 「先生が、暴力ふるっていいんかい。」そんなようなことを言ってからんできました。
 事情をよく説明したところ、お前達が悪いと、中学生達をひざまつかさせて、「この方にあやまりなさい。」と言ってくれました。
 「後輩を頼むな。」心臓がパクパクさせながらそう言ったのを今でも覚えています。(彼らは、うちの会社の従業員の光三君の弟分だったそうです。)
 この年代のエピソードは、話がつきません。
 今度、同級の大手証券会社にいっているO上君が、九州から帰ってくるらしいので、その時、また、話をしようと、焼肉店をあとにしました。
 娘を見て、「この方は当時、赤ちゃんだったお嬢さんですか?」と、H川君も、時代の流れを感じ取っていたみたいです。
 
 

なりたい自分を探す

2008-08-18 07:57:10 | スタッフルーム
 土、日と、男子は練習試合でした。
 ボタンをおしまくり、切符の自動販売機を壊してしまうもの,回数券を買ってしまうもの、切符の収集箱に切符をいれて、ホームに入ろうとするもの、ボールを忘れるもの、予想はしていましたが、これが、今の奥田の中学生なのかと、おかしくもあり、悲しくもありました。
 親、先生、そして社会にあたたかく育てられた子供達を、どうやってきびしく指導できるのか、悪戦苦闘の2日間でした。
 自分のめざすバスケットを子供達に理解してもらえるよう、また、子供達もこんなバスケットがしたいと思えるよう、2日間、一試合一試合、自分のめざすバスケットを子供達と一緒に追求しようと努力しました。
 まだ、どうなりたいかわからない子供達に、少しは、コーチは、どうしたいのかが、わかってくれたものと信じています。
 今朝は声がでません。