やっち@十月祭とビール好きの部屋

町田の小さな麦酒屋さんの奮闘記と、訪れた仲間たちのブログです

3年経ちました

2014-03-11 18:30:00 | 日記
あの日から今日で3年…

あの日のようにろうそくで営業しています。


あの日の前夜は、偶然金曜日に休みをとっていた連れと飲んでいた。
6時までの店で閉店まで飲み、居酒屋いくどんでまた飲み、店を出たのが11時過ぎ、酔った勢いで中本でラーメン食べて、家についたのは昼過ぎ。
記憶も定かではないが、揺れで目が覚めた。
一度目は朦朧としていたが、二度目の揺れはさすがに恐怖だった。
タンスが動いて、鉄筋のビルがミシミシいった。
“死ぬのかもしれない”
日頃、いつ死んでも構わないと思っている私だが、さすがに死ぬ瞬間は怖いのだと思った。
電気、ガスは止まっていた、店が心配で家の外に出ると、エレベーターが止まっていた。
階段を使おうと非常階段へ回ると、非常電灯で辛うじて段が見えた。しかし意外にランプ切れている所もあり、携帯電話のライトで照らしながら降りたっけ。

表に出ると、信号も止まっていた。

何の情報もないまま、カオスの町田の街を歩いた。
昨夜のランチキ騒ぎと今日の地獄。
まだ夢の中にいるのかとシュールな感覚のなかにいた。

店はひどいことになっていた。

グラスは割れ、大事に取っておいた酒も割れて、その中に頂いた大切なものが落ちてぐちゃぐちゃになっていた。
捨てるしかなくなった大切なものたち。
“がれき”とは呼びたくないものたち。
仕方なく捨てた。
床を拭いて、何とか歩ける場所を作った。

暗くなって、ろうそくを点けた。
路面店なので、歩きやすいように道にもろうそくで照らした。

お客さんがちらほら見えたけど、どちらかと言えば、携帯の充電やトイレ使いに来ていた。
儲からないのはともかく、誰かがいてくれるのは頼もしかった。

そんな夜だった。

それからも計画停電、電気や水が止まる日が続いた。
お客さんは激減した。

町田の水がどーのと、風評被害があり、あちこちのブルワリーから“仕込み水送ろうか?”“何か物資送ろうか?”言われた。
たくさんの方が助けてくれた。


大事なものたくさんなくした。
だけど、大事なものが見えてきた。

私にとってこの日は“当たり前のことに感謝する日”
住むところがあって、電気やガスが使えて、水が出て、風呂に入れて、ご飯が食べられて。
愛する人たちがそばにいる。

亡くなった方々への追悼の気持ちは、残された私たちが精一杯生きること。

負けそうになる時に私を支えるその思い。

WE BELIEVE IN OUR STRONG RELATIONS
PRAY FOR JAPAN

安らかにお眠りください。


続・優しい人

2014-03-11 18:26:46 | 日記
何を見たのかなぁ…

口数も少ない、本が好きな女性

帰られる際に

“なかなか来れないけど頑張ってください”

っておっしゃった。

深読みしないで素直にありがとう!

みんなそれぞれ悩みはあるよね
そんな感じそんな感じ

出口を探しているだけだよ。

頑張るよ!