やっち@十月祭とビール好きの部屋

町田の小さな麦酒屋さんの奮闘記と、訪れた仲間たちのブログです

若さのパワー

2011-06-17 00:14:18 | 日記
去る日記をごらんの皆さんはすでにご存知。

店を手伝ってくれる21歳の若い女の子ゆりちゃん。

画像は手描きのリーフレット。
それ持ってきたついでにさっきまでお店にいました。

サービングしたり、私のビール指導(fex:スタイル)しました。
その間も目をキラキラさせ、一生懸命メモとって・・・

可愛いねえ~(*^^*)


老犬のそばに子犬を置くと若返るそうな。


人間もそうなんだろうか?


何年もかかって、苦労して、無理して、みんなとあんなに一生懸命創り上げた私の店。

震災の影響、自粛ムード、自身の体調、etc・・・
最近正直どうでも良かった。

頑張ってどうする?

もう先は長くない私の人生。
体力もかなり落ちた。食欲も全くない。


先の見通しも、子供も居ない私の余生。

閉めて実家に帰ろうかって思った。



でもさ、でもさ

この子がうちに通ってくるようになって、すごく・・・

何ていうか可愛い・・・

守ってやんなきゃって・・・

ちゃんとしなきゃって・・・

もうちょっと頑張れる気がした(;;)。


以前よく通ってたMんMん、Mきーの時も同じように思っていた。
でも彼女らの事情でそうそう会うこともない。


親族で最年長だった私は1歳で弟が出来た。
両親に甘えた記憶は全くない。母乳から粉ミルクになったのも早かったと聞いた。
寂しかったけど、両親の寝床にはいつも弟がいた。
人形を抱きしめ、天井の木目におびえながら独りで寝ていた。

女の子の性なのか?そんな欲求不満の中、弟たちをいじめるということは不思議となかった。(末っ子はいじめられたと言うがね)

成長して悟った。可愛がられない胸の空いた穴は、可愛がることで埋まるものなのだと知った。

二人の弟たちを母のように可愛がったし面倒を見た。
学期初めには弟の雑巾を縫ったし、翌日の準備の手伝いもした。
小4ですでに家の夕飯を作っていた。

上はさすがに近すぎるけれど、末の弟は実際私を母のようだったと言う。


そんな弟も当然成長し、私の手を離れた。

守るものがなくなって、
大学で家を出て、
そこから私は壊れ始めた・・・。

ずっとしっかり者だと自他共に認識していた。

しかし・・・

酒を飲むと自分の裏の姿が出るのを知った。
抑えていた幼児性、愛情不足が顕著に出た。
男女かまわずに情けないほど甘えん坊だった。

それが怖かった時期もあるけれど、発散しないと壊れそうだった。
悩んで病院にも通ったっけ・・・。


何でも独りで出来るんだけれど、独りじゃ出来ないんだよね。


何だそれ?(;^^)


誰のために頑張ってんの?
意地張ってんの?


きっと両親かな?
親が生きてるうちは”自慢の娘”になりたかったのね。
全然駄目だけど。
ずーっと心配ばかりかけてる。

全然褒めてくれないの。
無理して造って、壊れて怒られる・・・

いつも”しっかりしなさい”って、”心配で泣いてる”って言われてる。
だから何も言えない、相談できない、一番近いようで最終関門。


何か空しくてさ・・・。
(ヤバイ涙でた)
親は愛してるし有難いけど、例えようもないくらいプレッシャー。


ま、そういうわけでどこまで面倒を見れるか?
分からないけど、若い彼女を応援したいって思うの。

だからいろいろあっても負けずに店も3年はやらないとねってさ。


皆さん、ダメダメ店主ですし女としてもダメダメですがよろしくお願いします。

厳しいこと言わないで・・・
のんびりさせて・・・


追記:Aいちゃん(伏せ文字じゃないな)に”町田家にイケメンがいるよ”って言われて言ってみた。
小柄な可愛い男の子がいたよ。あの子かな?
元気もらったわ~ははは