いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

<珍しい野菜> 鞍掛豆

2024-08-28 09:03:37 | 珍しい野菜

 「鞍掛豆」

 鞍掛豆は青大豆の一種で、普通の大豆とは違い平たい形をしています。青大豆の皮の中心部に黒い色の皮が特徴で、馬の背に鞍を掛けたような模様からその名がついたそうです。二色の模様から「パンダ豆」と呼んでいる地域もあるようです。鞍掛豆を作付しているのは信州が有名です。

 ほかの青大豆と同じくひたし豆に使われていて、風味が海苔に似ているということから「海苔豆」と呼ぶ人もいるそうです。

*https://shop.suzuya-rice.com/?mode=grp&gid=495125 より

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< 郷土料理 > 埼玉 煮ぼうとう/ひもかわ

2024-08-28 08:47:02 | 郷土料理

 「煮ぼうとう/ひもかわ」

 主な伝承地域 深谷市、入間郡、比企郡、秩父地域

 主な使用食材 うどん

 歴史・由来・関連行事
 稲作の裏作として小麦が多く生産されていた埼玉県では、さまざまな地域で多種多様なうどんが生まれている。深谷市を中心に食べられている「煮ぼうとう」もそのひとつで、入間郡や比企郡では「ひもかわ」や「打ち入れ」、秩父地域では「おっきりこみ」とそれぞれ呼ばれ、食されてきた。いずれも季節の野菜を入れて煮た汁に、幅広の麺をゆでずに入れ、汁にとろみをつけることが特徴で、山梨県のカボチャを入れた味噌仕立ての「ほうとう」とは異なるものだ。かつてはいろり端や鍋を家族で囲み、夕食に食べられていたケの日の郷土料理で、現在も冬に体を温める食事として家庭で作られている。また、深谷市では、地元出身で明治から昭和にかけて活躍した実業家の渋沢栄一氏も愛した料理として知られており、深谷市内の学校給食で提供されるほか、毎年、11月11日の渋沢氏の命日には、地元の公民館では「にぼうと会」が催されている。

 食習の機会や時季
 どの地域でも、主に家庭で作られる日常食で、温かくとろみのついた煮込み料理であることから、基本的には秋から冬にかけて食されてきた。また、深谷市では地元の偉人・渋沢栄一氏とゆかりある料理として知られ、その功績を知り、遺徳をたたえるために11月11日の渋沢氏の命日に食べることがある。

 飲食方法
 小麦粉に水と塩を加えて練り、寝かせてからめん棒で薄く延ばし、平たく太いうどんを作る。ダイコンやニンジン、白菜、サトイモなど地場の旬の野菜を切ってから油で軽く炒める。だし汁、または水を加えて野菜がやわらかくなるまで煮たらうどんを加え、醤油ベースで味をつける。深谷では名産の深谷ねぎをたっぷりと入れる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 家庭で一般的に作られるほか、学校給食で提供される。深谷市や秩父地域の多くの飲食店でも味わえる。煮ぼうとう麺の製造販売が行われており、お土産としても親しまれている。また、地域の有志で結成された「武州煮ぼうとう研究会」がある。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/33_7_saitama.html より

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<B級ご当地グルメ> 神奈川 サンマーメン

2024-08-28 08:42:59 | B級ご当地グルメ

 「サンマーメン」

 サンマーメン(サンマ―麺、生馬麺、生碼麺)は、モヤシなどの野菜や豚肉といった具材を炒めてとろみをつけたあんかけをのせる、神奈川県横浜市発祥のご当地ラーメンである。あんをかけるのは、細麺の醤油ラーメンもしくは塩ラーメンである。

 第二次世界大戦前、横浜中華街の聘珍樓で御品書にあったほか(後述)、「かながわサンマー麺の会」によると中華料理店の賄い料理として、とろみを付けた肉そばが食べられていた[1]。戦後の1947年~1948年(昭和22年~23年)頃から、横浜港の労働者など来店客向けに、廉価で一般的なラーメンより食べ応えがあり、冬は冷めにくい麺料理として提供されるようになった。広東料理にルーツがあるとされる。漢字表記「生碼麺」の由来は、新鮮でシャキシャキした食感を表す「生」(広東語発音はサン)と、上にのせるという意味の「馬」(広東語発音はマー)を組み合わせとされる。生きた馬が跳ね回るような勢いで具材を炒めるからという説もある。「生碼麺」と書く店もあるのは、横浜が港町であるため、埠頭の中国語表記「碼頭」からとったとの見方もある。

 概要
 具材のうちモヤシは欠かせないとされ、初期は白菜、豚肉や季節の食材だったが、やがて彩りや栄養価を考えて店ごとに多様になっていった。ニンジン、タマネギ、青物(ニラやホウレンソウなど)、キクラゲ、キャベツ、蒲鉾なども使われ、皿うどんのあんかけによく似ている。あんを米飯にかけた「サンマ―丼」を提供する店もある。

 21世紀にかけて横浜市周辺から関東他都県にも広がり、神奈川県中華料理業生活衛生同業組合加盟店のうち、神奈川県東・中部の横浜市、川崎市、横須賀市などにある24店(2024年5月時点)が普及団体「かながわサンマ―麺の会」を組織している。神奈川県内でも小田急小田原線沿線より北側(川崎市多摩区・麻生区、相模原市、厚木市など)や西湘地域(小田原市など)ではあまり食べられておらず、かながわサンマー麺の会加盟店が存在しない市区も多い。

 中学生時代の桑田佳祐(サザンオールスターズ)は同級生の家族が経営していた中華料理店「知味斉」のサンマーメンを好んで食べていた。桑田が『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ系列)で同店のサンマーメンを紹介したことが他県でも知名度が高まるきっかけになった。また、2009年(平成21年)には全国中華料理生活衛生同業組合連合会コンテストの麺類部門で最優秀賞に選ばれた。

 歴史
 生碼麺(サンマー麺)の由来については、1930年(昭和5年)に聘珍樓の当時の料理長が考案した麺料理で、それを裏付けるように昭和初期の聘珍樓の御品書には既に「生碼麺」の掲載がある。

 2022年3月には、「サンマーメン」として文化庁「100年フード」(令和3年度「未来の100年フード部門」)に認定された。

 発祥・元祖とされる店
 聘珍樓(横浜中華街)
 玉泉亭(伊勢佐木町)
 関連商品
 横浜あんかけラーメン 生碼麺:マルハニチロ食品(あけぼのブランド)の冷凍食品。
 ニュータッチ 凄麺 横浜発祥サンマー麺:ヤマダイのノンフライカップ麺。2002年の商品化当初は「横浜とろみもやしそば」として販売。2010年に「かながわサンマー麺の会」よりお墨付きを得て同名称で販売。2023年のリニューアルから「100年フード」マークを付けた。
 野菜あんかけ醤油ラーメン サンマー麺:ファミリーマートの電子レンジ調理麺。「かながわサンマー麺の会」監修のもと、2024年4月より関東の一部店舗で販売。

*Wikipedia より

*聘珍楼の生碼麺(サンマーメン) 

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うまいッ! NHK 「甘い!プリプリ!ボタンエビ〜北海道・噴火湾〜」

2024-08-28 08:30:38 | うまいッ!NHK

 「甘い!プリプリ!ボタンエビ〜北海道・噴火湾〜」 2020年11月2日

 今回の主役は、水揚げ量ナンバー1の北海道・ボタンエビ。卵を抱えて大ぶりな秋が旬!甘さの秘密は荒れる海での漁師のこだわりにあった!より美味しくなる簡単レシピも紹介

 ボタンエビ(トヤマエビ)は、北海道南部・噴火湾から年間255トン水揚げされる。その甘さの秘密は、鮮度にこだわる漁師の技にあった。できるだけ傷つけないため、網でなくカゴを使う。カゴを上げる時も細心の注意を払いながらも3人のチームワークで極力短時間で行う。さらに、セリの直前まで船のいけすで保管し、鮮度を保つ徹底ぶり!地元漁師の食べ方、家庭でよりおいしく楽しめるレシピもご紹介!

*https://www.nhk.jp/p/umai/ts/P7R4N8K39M/episode/te/V8KW33ZNVL/ より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「ボタンエビ」

 ボタンエビ(標準和名)(牡丹海老、牡丹蝦、学名 Pandalus nipponensis Yokoya, 1933、英 Botan shrimp)は、軟甲綱十脚目タラバエビ科(鱈場海老科)に分類されるエビの一種である。

 市場や回転寿司などでは、この近縁種の一部も「ボタンエビ」と呼ばれて流通している。本種はその中で、特に「本牡丹海老」(ほんぼたんえび)や「本牡丹」と呼ばれている。

 発見
 海洋生物学者であった東京帝国大学農学部の横屋猷(よこや ゆう)博士(1891 - 1969)は、1933年の農学部紀要の中で日本周辺の大陸棚に生息している多数の十脚目甲殻類を報告した。本種 Pandalus nipponensis Yokoya, 1933もそのひとつである。タラバエビ属はPandalus Leach, 1814の和名であり、種小名のnipponensis は「日本産の」という意味である。

 形態
 体長は13cmから20cmを超える大型のものもいる。体色は濃いオレンジ色である。鮮度が落ちると、次第に黄色っぽくなる。額角(がっかく)の中央部付近と背部の赤味が濃い。殻から内臓が透き通って見える。

 第1 - 5腹節の側面に各2個の赤い不定形の斑紋(はんもん)がある。この斑紋が牡丹の花びらを散らしたように見えることが名前の由来であるという説と、体色が全体に赤く牡丹色が連想されたことが由来であるという説が見られる。

 額角は頭胸甲(とうきょうこう)の1-1.5倍と長い。頭胸甲の背面の隆起はトヤマエビと比べると低い。

 分布
 日本海には分布せず、太平洋側の宮城県沖以南にだけ分布する日本固有種で、大陸斜面の水深300-500mに生息する。

 かつては福島県の小名浜沖、東京湾、高知県の土佐湾などでも獲れたが沖合底曳網漁の衰退により、現在では千葉県の銚子沖や静岡県の駿河湾、三重県の尾鷲沖などで少し獲れるだけになってしまった。市場には「牡丹海老」の名で複数種の赤いエビが出回っている。 10月から5月にかけて、底引き網漁で捕獲される。ボタンエビは傷みやすいので、生きたまま持ち帰るためには鮮度を保ついろいろな工夫が必要となる。

 生活史
 卵は青緑色でプチプチして美味。その大きさは3.4 × 2.3mmでタラバエビ属では最大である。卵が大型であり、幼生は短縮発生するので、分散力は弱いと考えられる。一度に500-1200個程度を産卵し、メスが約1年に渡って抱卵する。

 幼生の成長は「卵黄依存型」で、研究環境で6段階が確認されていて、幼生段階が1から4期、後期幼生段階が5ないし6期である。飼育下では、口器の発達した第2期にアルテミア (Artemia nauplii)を食べ始める。

 雌雄同体。雄性先熟、すなわち若い個体は繁殖期がやってきた時にまずオスとして繁殖に参加するが、成長するとメスに性転換する。このため、体長13cm前後を超える大型の個体はすべてメスとなる。

 利用
 海老の中でも漁獲量が少なく、とても高価なので、料亭や高級寿司店以外であまり見かけられない。刺身や寿司で食べられている。

 さらに、しゃぶしゃぶや味噌汁、塩焼き、天ぷらやフライにもなり、殻まで食されることがある。漁期と同じ秋から春が旬。

 生の身は弾力があるがとろけるようで甘い。

 味噌(海老味噌)はメスよりオスが多くもっている。好む人は頭をすすって食べたりする。味噌は実際には、肝臓や膵臓の機能をもつ中腸腺である。

 子持ちボタンエビも販売されている。

  広義のボタンエビ
 本項の本牡丹、いわば狭義のボタンエビは、瑞々(みずみず)しさや弾力は申し分ない種である。

 これに対して、近縁のエビでも、一般的な名称として内容を的確に示す場合は「ボタンエビ」と称すことが消費者庁によって許されている。

 トヤマエビ
 標準和名がトヤマエビ (富山海老)(Pandalus hypsinotus Brandt, 1851)(英、Coonstripe Shrimp)という近縁のエビも牡丹海老として売られている。むしろ牡丹海老といえばトヤマエビのほうが圧倒的に多く流通している。

 トヤマエビは富山湾、日本海、北海道、ロシアのオホーツク海などで漁獲される。多くの地方名がある(トヤマエビ#地方名)。北海道噴火湾での地方名が「ボタンエビ」である。韓国では島根県竹島で漁獲されるエビを「独島エビ」と勝手に称するが、トヤマエビあるいは他の2種の海老と言われている。ニュース映像で紹介されたのはトヤマエビであった。

 トヤマエビは、尾や脚に褐色の縞模様があり、頭胸甲の正中隆起がボタンエビよりも高く発達し、はっきりした白い斑紋が散在するのが目立つ。オレンジ色っぽいボタンエビに比べてトヤマエビは赤味が濃く、鮮度が落ちてもボタンエビより赤味が残る。

 トヤマエビは一般的にはボタンエビより価格は安い。それでも20cm前後の体長が立派で身に弾力があり、ボタンエビと同様の美味しさで人気がある。

 スポットエビ
 カナダやアラスカから冷凍で輸入されるスポットエビ (Pandalus platyceros Brandt, 1851)(アメリカボタンエビ、英 Spot shrimp)も「牡丹海老」と称され、高級ネタとして回転寿司や通信販売で出回っている。カナダボタン、スポットプローンともいう(※ スポット「ブ」ラウンではない。英 prawn は海老のこと。)。

 頭胸部に白い縦縞があって見分けやすい。第二および第五腹節に白いスポット状斑紋があることが名前の由来である。ほとんどが冷凍物ではあるが、最大25cmと身が大きく、太って立派なので高値で安定している。

 テラオボタンエビ
 三陸南部、相模湾、紀伊半島など太平洋岸に生息するテラオボタンエビ(寺尾牡丹海老、寺尾牡丹蝦)(Pandalus teraoi Kubo, 1937)(白牡丹;はくぼたん)も「牡丹海老」と称され、かつては福島産が少量のみ流通していた。額角から頭胸甲の背縁に櫛状の長い棘が並ぶのが特徴的である。

 刺身、塩焼き、味噌汁で食され、弾力は超プリプリ、旨みは一級という。

 その他
 以上のほかにも「牡丹海老」と呼ばれた、または現在も呼ばれることのある近縁種あるいはクルマエビ類のエビはいくつかある。

*Wikipedia より

 噴火湾より、春の生ボタンエビ

 今回は道南・噴火湾産の「生ボタンエビ」をご紹介します。噴火湾のエビ漁はいまシーズンまっ盛り。三月初旬にエビ漁解禁となり、四月頃までが旬です。冷凍ものも多く出回るボタンエビは一年中食べられるイメージですが、解凍したエビと生のエビではまったく甘みが違います。まろりとした濃厚な甘みは甘エビよりも上質。口のなかでじゅわ〜と甘みが広がり、とろける感触がたまりません。身にコクがあるのでわさび醤油なしでも十分すぎるおいしさです。また頭が好きなツウな方も多いですね。頭のみそはちゅるっとそのまま吸い込むと甘苦くクセになる味わい。頭の殻はカリカリの塩焼きにするとお酒のアテにぴったりです。新鮮なボタン海老は調理次第で余すところなくお使いいただけますよ。

 国産の生ボタンエビといえば、料亭や懐石などで使われる高級食材というイメージがありますよね。希少さゆえに都内での相場は高く”仕入れてみたいけど高いなぁ…“と仕入れづらさの声もよくお聞きします。魚ポチは噴火湾の産地から直接仕入れていますので、都内で仕入れるより大変お得。一尾20gほどのサイズ感なので使いやすいですよ。お得に仕入れてお客様に満足していただきましょう!「【函館】ボタンエビ」で魚ポチをチェックしてみてくださいね。

*https://fish.uopochi.jp/seasonal_fish/botan-ebi/ より

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<料理用語-和食> さしこ

2024-08-28 08:11:25 | 料理用語

 「さしこ」

 腹当部が厚く作られた板前用前かけ。

 一般の前かけは腹部を折り返して紐で結ぶようになっているが、これは板のように厚い刺し子(綴り縫、綴れ刺)が付いており、腹をガードできるような造作になっている。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/91_H/026.html より

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<難読漢字-鳥類> 葦切

2024-08-28 08:07:24 | 難読漢字

 「葦切 よしきり」

 スズメ目ヨシキリ科ヨシキリ属の一群の鳥。日本ではオオヨシキリとコヨシキリが夏にみられ、葦原でギョギョシと鳴く。行々子ぎょうぎょうし。よしわらすずめ。《季 夏》

*コトバンク より

 「葦」の茎を切り裂いて中の虫を食べることが名前の由来。

*https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/tisui/kds/pamphlet/ikimono/pdf/ctll1r0000009fm2koyoshikiri.pdf より

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<異名-スポーツ選手> 阿波の金太郎

2024-08-28 08:01:45 | 異名

 「阿波の金太郎 水野雄仁」

 水野 雄仁(みずの かつひと、1965年9月3日 - )は、徳島県阿南市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、野球解説者(所属事務所:有限会社オフィスウィン)。

 1965年9月、阿南市宝田町の餡屋の息子として生まれる。1972年7月、阿南市立宝田小学校1年時に、少年野球チーム・宝田ダックスに入部。1976年、小学5年時から投手になる。阿南市立阿南第一中学校卒業。

 徳島県立池田高等学校時代は、1982年・1983年夏の全国高等学校野球選手権大会、1983年春の選抜高等学校野球大会と3季連続で甲子園大会に出場。1982年夏・1983年春における史上4校目の「夏春連覇」、1983年夏のベスト4進出の中心選手として活躍した。1983年春・夏はエース・4番として出場、その風貌も相まって、「阿波の金太郎」とも呼ばれていた。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 虎の子渡し など

2024-08-28 07:49:19 | 慣用句・諺

 「虎の子渡し」

 《虎が子を3匹生むと、その中には必ず彪 (ひょう) が1匹いて他の2匹を食おうとするので、川を渡る際に子を彪と2匹だけにしないよう子の運び方に苦慮するという「癸辛雑識」続集・下にみえる故事から》生計のやりくりに苦しむことのたとえ。

 

 「虎の髭を拈る-とらのひげをひねる」

 きわめて危険な行いをすることのたとえ。虎の髭を数える。

 

 「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」

 虎は死後その皮を永く残して珍重され、人は死後その偉業によって名が語り継がれる。

 

 「虎は千里往って千里還る」

 虎は一日に千里の遠くへ行ってまた戻ってくる。勢いの盛んなことのたとえ。虎は一日千里行く。

 

 「虎を画きて狗に類す-とらをえがきていぬにるいす」

 《「後漢書」馬援伝から》勇猛な虎を描こうとして、犬のようなものになってしまう。力量のない者が、すぐれた人のまねをして、かえって軽薄になることのたとえ。また、目標が大きすぎて失敗することのたとえ。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 栃木 大平酒造

2024-08-28 07:41:57 | 日本酒

 「大平酒造」

 大平山の麓にたたずむ酒蔵です。
 越後杜氏の伝統ある技法を継承し、手作りで丁寧な酒造りを行っています。全量を本格木槽で搾っているので季節限定のおり酒や搾りたて生酒ができます。また独自の風味と旨味の長期貯蔵酒(秘蔵古酒)もあります。ぜひ一度蔵元にお立ち寄りください。

 大平酒造 栃木市大平町下皆川747

*https://www.tochinavi.net/spot/home/?id=7853 より

 代表銘柄

「黒龍・特撰本醸造辛口」

大平酒造はもう結構前から自醸はしておらず、茨城県水戸市の酒類メーカー・明利酒類から酒を買っています。

*https://tanjo0711.livedoor.blog/archives/53414744.html より

えっ!製造してないって?

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<パリ五輪2024> メダリスト 村尾三四郎

2024-08-28 07:34:15 | パリ五輪2024

 「村尾三四郎」 銀-柔道・男子90キロ級/混合団体

*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1896750-------------------- より

 村尾 三四郎(むらお さんしろう、2000年〈平成12年〉8月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州出身の日本の柔道家。階級は90kg級。身長180cm。握力は左右58kg。血液型はB型。組み手は左組み。得意技は内股、大外刈。名前になぞらえて「令和の三四郎」と称される。父親は大学講師・著述家の村尾英俊。

*Wikipedia より

 日本人の父親とアメリカ人の母親の間に生まれる。「三四郎」という名前は「生粋の日本人に育つように」との両親による願いから、「典型的な日本人の名前のイメージ」だった三四郎と名付けられた。ニューヨークで生まれるが、2歳の時に神奈川県の横浜へ移ってきた。5歳の時に茨城県へ引っ越すと、姉の影響で世界チャンピオンの岡田弘隆が指導するつくばユナイテッド柔道クラブで柔道を始めた。なお、姉の他に兄が1人いる。

*Wikipedia より

 柔道 村尾三四郎が銀メダル 男子90キロ級 パリ五輪 2024年8月1日 5時41分 NHK NEWS 

 パリオリンピック柔道男子90キロ級で初出場の村尾三四郎選手が銀メダルを獲得しました。

 村尾選手は初戦の2回戦は開始1分足らずで大外刈りで一本勝ちして、準々決勝では相手が3回目の指導を受けて反則負けとなり、準決勝に進みました。

 準決勝は地元のフランスのマキシメ ゴエル・ヌギャップ ハンボウ選手と対戦し、開始2分10秒に小外刈りで技ありを奪い、その後も攻め続け、開始3分33秒に大内刈りで2つめの技ありを取って合わせ技一本で勝ちました。

 決勝は最大のライバルで東京大会の金メダリスト、ジョージアのラシャ・ベカウリ選手と対戦し、開始1分に谷落としで技ありを奪いました。

 このあとも村尾選手は積極的に技を仕掛けますが、開始2分37秒には逆にすくい投げで技ありを奪われ、さらに延長戦に入る直前に小内刈りで2つめの技ありを取られて、合わせ技一本で敗れ銀メダルでした。

 金メダルはベカウリ選手で銅メダルはヌギャップハンボウ選手とギリシャのセオドロス・ツェリディス選手でした。

 村尾“本当にきつい 悔しさが残る” 
 オリンピック初出場で銀メダルを獲得した村尾選手は、決勝直後のインタビューで「本当に悔しいなという思いです」と話すと、繰り返し後ろを向いて涙を拭う様子を見せました。

 そして「どんな状況になっても勝つ準備はしてきたので、自信を持って戦いましたが、目指していた金メダルを取れずに負けてしまったことは、自分にとって本当にきついもので悔しさが残ります」と話していました。

 また、表彰式のあとのインタビューでは「やはり金メダルを取らないと、積み上げてきたものも成果としては出せないと思うので、そこが心残りです」と話しました。

 そのうえで積極的に技を出しながらも敗れた決勝戦を振り返り「一瞬の状況判断など、ああやっておけば勝てたのかなとか、こうしたらよかったのかなというような後悔が、これから生まれるのかなと思います」と話していました。

 勝ちを引き寄せるため「まずは組み手の部分が大事」 
 村尾選手は海外選手の層が厚いこの階級で、初出場ながら銀メダルを獲得しました。

 村尾選手の持ち味はしっかりと組んで投げる日本らしい柔道です。

 高校3年生だった2018年の国際大会、グランドスラム大阪では3位になるなど若い頃から実績を重ねてきました。

 東京オリンピックの代表争いでは敗れましたが「高みを目指して本当に強くなりたいという一心でやっていたので、そこが落選後も頑張れる1つの理由だった」とその悔しさがパリへの原動力となりました。

 パリ大会に向け、去年の世界選手権では銅メダルを獲得するなど、着実に結果を残してきましたが去年の夏には左ひざをけがするアクシデントに見舞われました。

 それでも「今できる100%を突き詰めてやり抜けた。日頃の練習ではすごいストレスを感じることがあったが、そこを乗り越えてステップアップできた」と思うような稽古が積めない時期も成長につなげたと胸を張っていました。

 さらに、みずからの勝ちを引き寄せるために必要な要素を「いかに早く釣り手と引き手2つを持てるか、そして持っている時間をできるだけ長くすれば自分の勝つ確率が上がる。まずは組み手の部分が大事だ」と分析して初の舞台に臨みました。

 パリの畳でも強さ見せる 
 パリの畳では初戦から鍛えてきた組み手で相手を圧倒し、開始44秒で大外刈りを決めて一本勝ち。

 続く準々決勝でも終始攻めて相手の反則負けで、勝ち進みました。

 準決勝は開催国フランスの選手で、地元の大きな声援の中でも冷静に攻め、足技で技ありを重ねて合わせ技一本を奪いました。

 そして、決勝では東京大会の金メダリスト、ジョージアのラシャ・ベカウリ選手との対戦。同じ2000年生まれで、ジュニア時代からしのぎを削ってきた選手でもあります。

 今回の勝負のかぎとなったのは「間合い」でした。

 村尾選手は遠い間合いからしっかりと組み合って投げる一方ベカウリ選手は距離を詰めてのトリッキーな攻めを得意としています。

 村尾選手は事前に想定していたとおり、徹底してベカウリ選手を懐に入れないようにしのぎながら、みずからのペースに持ち込み、試合開始1分、谷落としで技ありを奪いました。

 しかし、攻めのスタイルを巧みに変えながらじわじわと間合いを詰めるオリンピックチャンピオンに徐々にペースを乱され、すくい投げで技ありを取り返されました。

 そして、試合時間終了間際、もつれる展開から小内刈りで再び技ありを奪われて、村尾選手が敗れました。

 男子代表で村尾選手の担当コーチを務める小野卓志コーチは「技の打ち合いになることは想定していた。捨て身を多いし、間合いも急接近にしてくることは想定していたが、今までやってこなかった技で想定外な部分もあった」と悔しさをにじませながら試合を分析していました。

 村尾選手は「練習してきたことは最初は出せたかと思うが、相手の流れに乗ってしまったのかなと思う。投げてやるという思いはあったが、甘えというか勝負への妥協が出てしまった。金メダルを達成できなかった自分に失望している」と厳しく自分に向き合いました。

 それでも、「オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない。必ず金メダルを取りたい」とすでに4年後を見据えて力強く語りました。

*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240801/k10014532021000.html より

 

 現地で聞いたブーイング…柔道・村尾三四郎の誤審疑惑「僕のポイントなかったですか?」永山竜樹の不可解判定との“決定的な差”「審判団は確認していた」 posted2024/08/01 17:53 Number NEWS text by 雨宮圭吾

 畳の上には歓声とブーイングが交錯していた。

 パリオリンピック柔道男子90kg級決勝、日本の村尾三四郎と五輪連覇を狙うジョージアのラシャ・ベカウリの一戦は、残り4秒で映像判定によって決着がついた。金メダルを手にしたのは、村尾ではなくベカウリだった。

 特に最後の1分間には、即座に判断するのが難しい状況が立て続けに起こった。ブーイングはその微妙な判定に対する観客の不満の表れ。戸惑いを残しつつ畳を下りた村尾も、真っ先に小野卓志コーチにこう尋ねた。

 「僕のポイントはなかったですか? 最後のベカウリの技はポイントありましたか?」

 鈴木監督「我々がぐちぐち言うほどではない」
 男子60kg級の永山竜樹とスペインのフランシスコ・ガリゴスとの試合での誤審騒動をきっかけに審判の判定に関する話題が柔道のみならず他競技でも取り沙汰されている。SNS上では“誤審ピック”という言葉も出てきているという。

 そんな中、またしても審判の判定がクローズアップされる展開になった。ただし、事実を追っていけば、勝敗は審判ではなく、両者の力関係によって定まっていったことが分かる。

 だからだろう。永山に対する危険な絞め技に対しては色をなして批判した鈴木桂治監督が、この日は「ポイントがあったでしょう! と我々がぐちぐち言うほどではない」と語った。

 村尾が言う「僕のポイント」は、残り31秒の場面だった。互いに技ありのポイントを持った状況で、村尾の内股にベカウリの身体が一瞬浮く。ベカウリは畳に尻もちをつき、右手で体を支えてなんとか耐えた。もしこれが技ありとなっていれば、合わせ技による一本で村尾の金メダルだった。

 「片手だけだった」「審判団が確認している」
 鈴木監督は冷静に言った。

 「あのポイントは、今回のオリンピックに関しては取ってないなという印象です。この大会の今日までの流れを見たら、ポイントはないというところで納得はしています」

 2022年12月に改正された国際柔道連盟の試合審判規定には、技ありの基準の一つとしてこう書いてある。

〈「受」が同時に両手、両肘をついた場合、「取」に技有を与えると共に「受」にも指導を与える〉(和訳は全日本柔道連盟審判委員会)

 「片手しかついてないのを映像で審判団がしっかり確認しています。主審の瞬時の判断ではできないことを映像で見ている。両手ついたらポイントなんですよね。ですけど、尻もちをついて片手のみなんですよ。尻もちをついて両手だったらポイントだった。ルール上はそう書いてありますので。非常に惜しかった」

 実際に開始1分の谷落での村尾の技ありは、ベカウリが尻もちに近い状態で落ちているが、このときは両肘がついた。そのため、ポイントだけでなく指導も与えられている。

 なぜ「最後のベカウリの技」は認められた?
 もうひとつ村尾が言った「最後のベカウリの技」はどうか。

 残り4秒、村尾が仕掛けた小外刈りに対し、ベカウリは右足を村尾の膝裏にひっかけるようにし、左足一本でぴょんっと体の向きを入れ替えてカウンターの小内刈りを放った。村尾の身体は横倒しに近い形で畳に落ちた。これに対して主審がビデオ判定のジェスチャー。しばらく確認作業が行われたのち、ベカウリの技あり、合わせ技での一本勝ちが宣告された。

 技ありの判断基準も国際柔道連盟に規定がある。

〈技ありの基準は、肩の軸に対して体側上部が90度かそれ以上後ろ側に倒れている場合、もしくは片方の肩と背部上部が接地した場合とする。

 体側上部は、肩のポジションのみをみること〉

 なかなか難しい物言いだが、垂直よりもうつ伏せになっていればノーポイント、あおむけになっていればポイントと考えることができる。

 今回の村尾の場合は……審判の判断に間違いはなかったように思える。少なくとも、示されている基準との間に齟齬はなかった。

 ついでに言うならば、残り2分でベカウリの外巻込を受けた場面もひやりとする場面だった。

 ただし、<一度動きが止まってから押し込むような技はポイントにならない>というルールもある。主審はノーポイントと判断し、映像による確認も行われた。村尾の体が回ってはいるもののベカウリの投げが中断しているとみなされ、ポイントにはならなかった。

 村尾が語った“敗因”
 「金メダルだけを目指してたので本当に悔しい。自分にがっかりしてます」

 5歳で柔道を始めた時からの夢だったオリンピック金メダルにあと一歩届かなかった。肩を落とした村尾は、残り1分の攻防についてこう振り返った。

 「投げたという手応えはもちろんあったんですけど、あそこはもう余裕がないというか、ほんとギリギリのところでやっていて最後は少し投げ急いだ。勝ち急いだというのが敗因かなと思います。相手の土俵でやらずに、もう少し丁寧にやってもよかった。ただ、丁寧に戦うだけの余裕もなくなっていた」

 しっかり二本組んで投げる正統派の村尾に対して密着パワータイプのベカウリ。離れたい村尾と近づきたいベカウリ、だったはずの構図が最後は崩れてしまっていた。

 「できるだけ自分の間合いにするのが勝負の鍵だとは思っていた。その部分で僕が自分からその掟を破ってしまった。そこを徹底できなかったのが敗因かなと思います」

 技ありを奪うまではそれがうまくできていたが、土壇場で接近戦から村尾の方が仕掛けている時点で最終的には相手のペースにはまっていたということだろう。

 技ありを先行しながらの逆転負けは昨年の世界選手権での対戦と同じ展開。これでベカウリには4連敗となった。

「僕は金メダルを取らないといけないと思っているので、銀メダルでは終われない。4年後にこの借りを返したい」

 世界のトップが集うオリンピックの舞台。その勝者と敗者をわけたものは、まぎれもなく力そのものだった。

*https://number.bunshun.jp/articles/-/862468 より

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