ご存知のように東京がフランクフルトの今の天気のようにからっ晴れになったり、どしゃぶりになったり、とサポーター的にも気分が落ち着かない展開が続いている。まあ、この事実も僕がドイツに行って来ようと決断した一つの理由でもある。
タイトルにも書いたとおり、色々なところでまさに「転機」が来ているんだと僕は思う。それについて、いくつかテーマを決めて書こうと思う。今回は表題のとおり。僕にとってのプリミティヴな問題で、また僕の仲間もしくはサポーターにとってもナーバスな問題にもなるので、あくまでも僕自身の意見・考えということで許してほしいということをあらかじめ断っておきたい。
ノスタルジック東京という言葉があるのかどうかさえよくわからないが、まあニュアンスは伝わると思う。僕の中では「西が丘でまだまだ下手くそだけど、選手はがむしゃらにボールをおっかけ、また僕らも声を荒げて必死に応援した」がベースにあって、J1へのステージにあがり、強敵(古参のJ1チーム)に挑んでいくという時期のチームだと勝手に思っている。それとの決別と書くわけだから非常にシリアスな問題。
ずばり言うと、「ノスタルジック東京へ回帰したい!!戻りたい!!」というのが今の僕の本音。もう東京の試合を何百試合みたのだろうか?はっきりいうと、既にどれがどれなのかが判別できなくなっている自分がいる。それでも、どれが一番いいかと挙げれば、迷わず2000年4月5日ジュビロ戦(国立)をあげる。確か水曜日の雨の試合。当時のシュビロは本当に強かった。圧倒的に押されまくる中で、まさに気合だけでふんばり逆転勝ちを収めるわけだが、後半終了の10分前くらいだったろうか、ふと見るとメインスタンドにいる奴までスタンディングで東京を応援している。だれかが主導しているわけではない。まさにそれぞれの意思で自然発生的にそうしている。僕はバックスタンドにいるわけだが、もちろん総立ち。G裏は当然。選手の思い・スタンドにいる僕らの思いが多分東京とはあんまり縁のなかった人まで波及し、まさにジュビロの選手に強烈なプレシャーをかけている。すべてが一体となった勝利。本当に気持ちがよかったし、心に刻まれる試合となっている。
が、よく考えてみればもう6年も前の話。それ以降の試合で、これがベストだと何で思えないのか?その要因を考えてみた。
①選手のレベルが格段にUPしたこと。変な話に聞こえるが、相手チームの方が圧倒的に強いと思える方が応援しがいがあるし、勝った時の味が格別。東京が強くなればなるほど、心に残る試合が減っていくという恐ろしい矛盾を抱えているように思う。
②観客数の増加。これもまたまた変な話に聞こえるが、何と言うか一体感という意味においては増えれば増えるほど薄れていくのではと感じる。また、観戦歴の差からくる色々な軋轢みたいなものも目立ちだすような。
③マンネリ感。連続で全試合とかを何年も見ていると、おのずと選手の能力とか動きとかがインプットされ、何と言うか新鮮味がない。スタジアム行く前から今日はこの選手がたぶん出てきて、こういう戦い方or動きをし、結果はこうなるというのがまるで預言者みたいな感じでわかってしまう時がある。あまりにもその精度が高くなりすぎると、見ている意味は?みたいな話になってしまう。
他にもあるように思うが、だいたいそんなところ。はっきり言って、すべて仕方がないことというか喜ぶべきことで、解決ということを言うのは非常におこがましい。だけど、だけど、だけど、!!!!!そんな心境。その度にノスタルジックな思いがつのる。ああっあの時は良かったと。
でも、よく考えれば東京は7年しかたっていないわけ。チームとしては着実に進歩していると客観的にみてもそう言えるはず。その中で、進歩していないものが一つだけあるのではというのが僕の中での一つの答え。それはサポーター。まあちょっと言い過ぎなような気もするので、僕自身ということにしておこう。選手のステップアップはまあ何となくわかるし、フロントもまた同様。では、サポーターは?正直よくわからない。だが、僕は絶対にサポーターも進化というかステップアップするんだと思う。選手、フロントとかが成長するように。
今の僕は何も知らない赤ちゃんを過ぎて、幼稚園or小学生くらいなんだと思う。で、そこでストップしている。いつしか選手・フロントは成長する中、自分の思考がストップしているせいで理解が出来なくなり、つまらなくなって見るのを止めてしまう。僕は東京が好きだ。だから、そんな自分は絶対に許せない。マインドを変えないといけないんだろうし、何かがあるはず。そんなことを考えているうちに、海外へ出なきゃいけないんだろうな。と思うようになった。
100年を超える年月が経過しているヨーロッパのクラブ。そのクラブをそれこそ半強制的に赤ん坊の頃からサポーターをやっている(やらされている)ような人もいるんだろうし、一体サポーターとはどういう奴なんだ。というのが率直に知りたい。難しいのはそもそも、そういう人々がスタジアムにいるのかさえ分からない。凄い凄くないとか言うのはまあ変な話だと思うが、何となく今までの自分は、「ホーム・アウェイを問わず常にスタジアムに駆けつけ、声をからさんばかりに応援する」みたいな人をまあ凄いなと思うし、現に自分がそうしてきたんだけれども、そうではないのかもしれない。今はそれが出来るけど、例えば50年後の自分は?とか考えるとものすごく微妙。スタジアムに行けなくなったらサポーターは卒業なのか?そうじゃないでしょ。例えば、こっちでいうところの小さな行きつけのKneipeでStammtischに腰掛けちびりちびりとビールを飲みながら、店のテレビで静かに観戦しているおじいちゃんこそ僕の求めるサポーターなのかもしれない。
だから、ノスタルジック東京はひとまず置いといて、新しい(新しくないかも?)何かを掴んで、東京に帰りたい。そんな奴が増えれば、また東京は強くなる。僕はそう信じてる。
タイトルにも書いたとおり、色々なところでまさに「転機」が来ているんだと僕は思う。それについて、いくつかテーマを決めて書こうと思う。今回は表題のとおり。僕にとってのプリミティヴな問題で、また僕の仲間もしくはサポーターにとってもナーバスな問題にもなるので、あくまでも僕自身の意見・考えということで許してほしいということをあらかじめ断っておきたい。
ノスタルジック東京という言葉があるのかどうかさえよくわからないが、まあニュアンスは伝わると思う。僕の中では「西が丘でまだまだ下手くそだけど、選手はがむしゃらにボールをおっかけ、また僕らも声を荒げて必死に応援した」がベースにあって、J1へのステージにあがり、強敵(古参のJ1チーム)に挑んでいくという時期のチームだと勝手に思っている。それとの決別と書くわけだから非常にシリアスな問題。
ずばり言うと、「ノスタルジック東京へ回帰したい!!戻りたい!!」というのが今の僕の本音。もう東京の試合を何百試合みたのだろうか?はっきりいうと、既にどれがどれなのかが判別できなくなっている自分がいる。それでも、どれが一番いいかと挙げれば、迷わず2000年4月5日ジュビロ戦(国立)をあげる。確か水曜日の雨の試合。当時のシュビロは本当に強かった。圧倒的に押されまくる中で、まさに気合だけでふんばり逆転勝ちを収めるわけだが、後半終了の10分前くらいだったろうか、ふと見るとメインスタンドにいる奴までスタンディングで東京を応援している。だれかが主導しているわけではない。まさにそれぞれの意思で自然発生的にそうしている。僕はバックスタンドにいるわけだが、もちろん総立ち。G裏は当然。選手の思い・スタンドにいる僕らの思いが多分東京とはあんまり縁のなかった人まで波及し、まさにジュビロの選手に強烈なプレシャーをかけている。すべてが一体となった勝利。本当に気持ちがよかったし、心に刻まれる試合となっている。
が、よく考えてみればもう6年も前の話。それ以降の試合で、これがベストだと何で思えないのか?その要因を考えてみた。
①選手のレベルが格段にUPしたこと。変な話に聞こえるが、相手チームの方が圧倒的に強いと思える方が応援しがいがあるし、勝った時の味が格別。東京が強くなればなるほど、心に残る試合が減っていくという恐ろしい矛盾を抱えているように思う。
②観客数の増加。これもまたまた変な話に聞こえるが、何と言うか一体感という意味においては増えれば増えるほど薄れていくのではと感じる。また、観戦歴の差からくる色々な軋轢みたいなものも目立ちだすような。
③マンネリ感。連続で全試合とかを何年も見ていると、おのずと選手の能力とか動きとかがインプットされ、何と言うか新鮮味がない。スタジアム行く前から今日はこの選手がたぶん出てきて、こういう戦い方or動きをし、結果はこうなるというのがまるで預言者みたいな感じでわかってしまう時がある。あまりにもその精度が高くなりすぎると、見ている意味は?みたいな話になってしまう。
他にもあるように思うが、だいたいそんなところ。はっきり言って、すべて仕方がないことというか喜ぶべきことで、解決ということを言うのは非常におこがましい。だけど、だけど、だけど、!!!!!そんな心境。その度にノスタルジックな思いがつのる。ああっあの時は良かったと。
でも、よく考えれば東京は7年しかたっていないわけ。チームとしては着実に進歩していると客観的にみてもそう言えるはず。その中で、進歩していないものが一つだけあるのではというのが僕の中での一つの答え。それはサポーター。まあちょっと言い過ぎなような気もするので、僕自身ということにしておこう。選手のステップアップはまあ何となくわかるし、フロントもまた同様。では、サポーターは?正直よくわからない。だが、僕は絶対にサポーターも進化というかステップアップするんだと思う。選手、フロントとかが成長するように。
今の僕は何も知らない赤ちゃんを過ぎて、幼稚園or小学生くらいなんだと思う。で、そこでストップしている。いつしか選手・フロントは成長する中、自分の思考がストップしているせいで理解が出来なくなり、つまらなくなって見るのを止めてしまう。僕は東京が好きだ。だから、そんな自分は絶対に許せない。マインドを変えないといけないんだろうし、何かがあるはず。そんなことを考えているうちに、海外へ出なきゃいけないんだろうな。と思うようになった。
100年を超える年月が経過しているヨーロッパのクラブ。そのクラブをそれこそ半強制的に赤ん坊の頃からサポーターをやっている(やらされている)ような人もいるんだろうし、一体サポーターとはどういう奴なんだ。というのが率直に知りたい。難しいのはそもそも、そういう人々がスタジアムにいるのかさえ分からない。凄い凄くないとか言うのはまあ変な話だと思うが、何となく今までの自分は、「ホーム・アウェイを問わず常にスタジアムに駆けつけ、声をからさんばかりに応援する」みたいな人をまあ凄いなと思うし、現に自分がそうしてきたんだけれども、そうではないのかもしれない。今はそれが出来るけど、例えば50年後の自分は?とか考えるとものすごく微妙。スタジアムに行けなくなったらサポーターは卒業なのか?そうじゃないでしょ。例えば、こっちでいうところの小さな行きつけのKneipeでStammtischに腰掛けちびりちびりとビールを飲みながら、店のテレビで静かに観戦しているおじいちゃんこそ僕の求めるサポーターなのかもしれない。
だから、ノスタルジック東京はひとまず置いといて、新しい(新しくないかも?)何かを掴んで、東京に帰りたい。そんな奴が増えれば、また東京は強くなる。僕はそう信じてる。
※書き込みの場所が分かりかねましたので
こちらに書かせていただきました。
不適切な場合は削除ください。
前略
はじめまして。突然のコメント失礼致します。
東京中日スポーツ『365日FC東京 ゴール裏!』
(http://365fctokyo2.jp/)編集部です。
今年7月にスタートした当サイトですが、
一層のコンテンツ充実を図るため、
9月7日にリニューアルを予定しております。
この機会に、東京サポーターのサイトを紹介するコーナーを
新設したいと考えております。
つきましては、ぜひ貴サイトと相互リンクさせていただけないでしょうか。
当サイトのバナーは、以下のアドレスの「このサイトへのリンクについて」
に置いてありますので、ご自由にお使いください。
http://www.365fctokyo2.jp/others/sitepolicy.html
誠に勝手ではございますが、ご検討の上、お返事を頂ければ幸いです。
宜しくお願い申し上げます。
草々
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東京中日スポーツ(中日新聞社)
「365日FC東京 ゴール裏!」編集部
E-mail/info@365fctokyo2.jp
**********************
すんません。
実際はただの年間チケット保有者でしかないわれわれがもっと主体的にクラブに関わるにはどうしたらいいか、よく考えます。
植田朝日氏に代表されるゴール裏の意見はよくクラブに伝わっているようですが、
バックスタンド辺りでのんびりと見ている人たちの意見を集約してクラブに伝えられないものかと思います。
今までのクラブ主導によってできたペーニャ(これも少々羊頭狗肉の感ありですが)だけでなく、
穏健派(一応僕らのことですよ)の意見交換会のようなものはできないものかとよく考えます。
そうやってクラブの歴史を重ねていくのに関わって生きたいと思うんだけど、
どうかなぁ。
この稿のジュビロ戦は見てないんだけど、
最高のゲームをあげるとすればナビスコ決勝かなあ。
印象に残ったゲームなら負け試合のほうが多いような気がする。
去年のホーム大宮戦とか、2002年のアウェイジュビロ戦とか、
「何故だ!!!」といいたくなるようなゲームのほうが印象深いなあ。
そういういくつもの試練を乗り越えて、
いっぱしの東京サポーターになっていくんだなと思ってます。
タイトルは、2000年開幕・横浜戦@横国のオープニング(?)で唄ったのを覚えている?これに近づいているのが、嫌だね。
上手くないけど、自分の気もちはこんな感じです。