虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

御霊(みたま)はどこへいく?

2005-11-01 10:30:44 | 宗教


靖国の問題で周辺アジア諸国とギクシャクしているが、当の祭られた御霊の側からすると、おかしなことになる。

私もまだよく分からないのだが、人間が輪廻転生するとするならば、日本風な考えである御霊なるものは存在しないし、御霊があるとしても果たして靖国神社に鎮座しているかどうか分からない。

元々、御霊を祭るという行為は、生きている人間の側の発想であり、死者の霊の祟りを恐れる-それだけではないが-が故に行うことが多い。

神、日本風に言えば御霊が生きている人間を守るだけでなく、祟るという発想は極めて日本風ではあるが、ユダヤ教などの歴史からいえば神の罰が下るに似ているとも考えられる。

考えてみると、日本の神道には天国(極楽浄土)も地獄もないように思う。黄泉の国は古事記などに少し顔をだす程度だから。

もし、大半の御霊が輪廻転生するとしたならば、靖国神社は単なる戦争記念碑的存在に過ぎないし、御霊なるものがこの世でウロウロしてるとするならば皆がみな靖国神社にいるとは考えられない。

何故なら、靖国で会おうと誓って戦死した人もいるし、戦争を憎んで死んだ人もいるからである。後者は靖国へいくはずはない。

祭るという行為は生きている人間の側の勝手な行為であり、必ずしも死者の魂が祭られることを望んでいるとは限らないからである。

と言っても、私も死者の魂がどのようになるのかは不確かであるので、判断のしようがない。

ま、霊=魂の視点から言えば、存在そのものが人間であると思っているので、あの世でも多少は選択の自由度があるのではないかと考えているが・・・。

果たして、この点はどうなのであろうか?