昨日、米原市で開かれるいつもの彫刻教室からの帰り道、ふと思い立って「伊吹山文化資料館」に向かいました。
国道365号線に出ている看板が前から気になっていました。
よくある郷土資料館だったら15分間くらいでざっと見回れるかな、と思ったのですが、そんなことはありませんでした。
まず、意外なことに、建物前の駐車場は自動車が5-6台駐まっていて満車状態。
実は建物横奥にも広い駐車場があったのですが、そのときは気が付きませんでした。
どうしようかな、と思案していると建物から女性(学芸員さん)が出てきて、今いる場所に駐めてください、と言われました。
混んでてすみません、と謝られました。
白線は引かれてないスペースですが、まあ他のクルマの迷惑にはならないでしょう。
玄関に入ると、またビックリ。
床にびっしりと脱いだ靴が並んでいます。
学芸員さんに訊くと、毎月開かれている郷土史講座の受講生なのだとか。
なんと勉強熱心な土地柄なのでしょう!
展示室は1階に2室、2階にも2室あります。
2階には講座室もあります。
展示室1のテーマは「伊吹山にいだかれたくらし」。
ここは昔の農機具などが並ぶ普通の郷土資料館の印象と大差ありません。
展示室2は「伊吹山の恵みとなりわい」。
石臼作りや養蚕、もぐさなどの薬草採取などかつての地場産業の様子がわかりました。
関ヶ原町から北陸に向かう街道を「北国海道」として展示していましたが、「北国街道」とは違うようです。
展示室3は「伊吹山の自然と文化」。
知人が滋賀県に猛禽類の写真を撮りに行きます。
伊吹山周辺にはイヌワシがいて、そのビデオも見られます。
また、化石の宝庫です。
展示室4は「掘り起こされた伊吹の歴史」。
考古学的な展示です。
1階の廊下に大きな写真パネルが何枚も掲示されていました。
ここからずっと北の琵琶湖の源流にあたる地域から7集落が集団離村したそうです。
昭和44年、LPガスや灯油の普及により炭焼きが成り立たなくなり3集落が消滅しました。
平成7年にはダム計画で4集落が立ち退きになりました。
その後、ダム計画は立ち消えになりました。
この7集落の在りし日の暮らし、産業、文化、自然、そして住まいの移転などを収めた写真展です。
実は建物の外で展示は始まり、横奥の駐車場フェンスをずっと使い、さらに建物1階廊下に連なる展示でした。
屋外には、移設された古墳があり、石室が見られます。
この資料館は廃校(たぶん小学校)を利用したものだそうです。
となりに伊吹山麓青少年総合体育館、そのとなりに米原市立伊吹山中学校があります。
米原市は数多い施設の統廃合を進めているようですが、ここは残してもらいたいものです。
学芸員さんはとっても親切です。
帰ろうとしていたら、渡していない資料があると追いかけてきてくれました。
私の母校の小学校の校歌に「伊吹の峰を仰いで学ぶ」という一節があります。
私たちにとって伊吹山はふるさとの景色の重要なパーツです。
ただ、ありがたいというわけではなく、「伊吹おろし」のように迷惑なところもあります。
しかし、滋賀県側の山麓に住む人々にとって伊吹山は特別な存在であり、はるかに親しみのある山だということがよくわかりました。
国道365号線に出ている看板が前から気になっていました。
よくある郷土資料館だったら15分間くらいでざっと見回れるかな、と思ったのですが、そんなことはありませんでした。
まず、意外なことに、建物前の駐車場は自動車が5-6台駐まっていて満車状態。
実は建物横奥にも広い駐車場があったのですが、そのときは気が付きませんでした。
どうしようかな、と思案していると建物から女性(学芸員さん)が出てきて、今いる場所に駐めてください、と言われました。
混んでてすみません、と謝られました。
白線は引かれてないスペースですが、まあ他のクルマの迷惑にはならないでしょう。
玄関に入ると、またビックリ。
床にびっしりと脱いだ靴が並んでいます。
学芸員さんに訊くと、毎月開かれている郷土史講座の受講生なのだとか。
なんと勉強熱心な土地柄なのでしょう!
展示室は1階に2室、2階にも2室あります。
2階には講座室もあります。
展示室1のテーマは「伊吹山にいだかれたくらし」。
ここは昔の農機具などが並ぶ普通の郷土資料館の印象と大差ありません。
展示室2は「伊吹山の恵みとなりわい」。
石臼作りや養蚕、もぐさなどの薬草採取などかつての地場産業の様子がわかりました。
関ヶ原町から北陸に向かう街道を「北国海道」として展示していましたが、「北国街道」とは違うようです。
展示室3は「伊吹山の自然と文化」。
知人が滋賀県に猛禽類の写真を撮りに行きます。
伊吹山周辺にはイヌワシがいて、そのビデオも見られます。
また、化石の宝庫です。
展示室4は「掘り起こされた伊吹の歴史」。
考古学的な展示です。
1階の廊下に大きな写真パネルが何枚も掲示されていました。
ここからずっと北の琵琶湖の源流にあたる地域から7集落が集団離村したそうです。
昭和44年、LPガスや灯油の普及により炭焼きが成り立たなくなり3集落が消滅しました。
平成7年にはダム計画で4集落が立ち退きになりました。
その後、ダム計画は立ち消えになりました。
この7集落の在りし日の暮らし、産業、文化、自然、そして住まいの移転などを収めた写真展です。
実は建物の外で展示は始まり、横奥の駐車場フェンスをずっと使い、さらに建物1階廊下に連なる展示でした。
屋外には、移設された古墳があり、石室が見られます。
この資料館は廃校(たぶん小学校)を利用したものだそうです。
となりに伊吹山麓青少年総合体育館、そのとなりに米原市立伊吹山中学校があります。
米原市は数多い施設の統廃合を進めているようですが、ここは残してもらいたいものです。
学芸員さんはとっても親切です。
帰ろうとしていたら、渡していない資料があると追いかけてきてくれました。
私の母校の小学校の校歌に「伊吹の峰を仰いで学ぶ」という一節があります。
私たちにとって伊吹山はふるさとの景色の重要なパーツです。
ただ、ありがたいというわけではなく、「伊吹おろし」のように迷惑なところもあります。
しかし、滋賀県側の山麓に住む人々にとって伊吹山は特別な存在であり、はるかに親しみのある山だということがよくわかりました。