宝篋山(ほうきょうざん)の極楽寺コース山際に耕作しています。棚田の再生を2011年に始めてから耕作放棄地を毎年再生して枚数と面積を広げてきた
相変わらず用水は間に合わないで苦労の日々。耕作放棄地になった最大の理由と想像する土地改良事業の重要性を常々感じるが、未整備地区は何故、全員の賛同を得られないのかと本当に思う。
段々田んぼで30年以上前の風景は確実に再現されているスタート時は約4000m2(10枚の田んぼ)だったが、翌年約3000m2(3枚)増やし、翌年また約3000m2(5枚)また、3枚と増やし現在は大小合わせて20枚以上。
すっかり田んぼに戻ったが、費やした労力と費用を考えると複雑な気持ちになります
地権者の農地への執着心と考え方で将来の農業は大きく変わると思います