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デジカメ競馬日記(重賞プレイバック)

私が撮影した競馬のレース写真を紹介しながら、過去のレースを振り返ります。たまに予想も。

有馬記念メモリアル(グラスワンダー引退式に参加)

2006年12月23日 23時52分00秒 | 中山競馬場

2000年12月24日 中山競馬場
グラスワンダー号の引退式に参加
(写真提供=2001年、JRAより)Copyright © 2001 JRA

明日は有馬記念。2000年有馬記念(テイエムオペラオー)当日に行なわれた「グラスンワンダーの引退式」に10名のファン代表の1人として参加させていただいた、という貴重な体験を、過去の記録を紐解きながら披露します。

・ファン参加企画に応募
グラスンワンダーの引退式にファンが参加できる(抽選で10名)という企画を、1週間前の競馬場内で見つけ、すぐさま応募用紙に必要事項を記入し、グラスンワンダーへのメッセージを付け加え投函。投函した応募箱の中には、今考えても「まず当たりそうにない!」という厚さの膨大な応募があり、万が一当たれば儲けもの、まず当たらないだろう、という軽い感覚でした。

・しかしまさかの当選!
募集当日に締め切られ、10名の当選者がターフビジョンに映し出され、名前が発表された時に私の名前が!一瞬目を疑い「立ったまま腰が抜けた」状態でその場で固まってしまったのを覚えています。有馬記念連覇、宝塚記念と春秋グランプリ制覇、というファンの多い馬だけに、嬉しい半面、抽選に外れてしまった多くの方々にも申し訳ない、という気持ちも感じながら当日を迎えました。

・緊張の当日
有馬記念当日、集合時刻の11時20分、中山競馬場内の関係者席(ウィナーズサークルの真上の階)に通され、係りの方から簡単に進行の説明を受け、開始を待つ。私は早く着いたおかげで、関係者に花束を渡す、という大役も。参加のファンには的場騎手の女性ファンもいたので「騎手に渡す役」は譲りましたが・・・。午前中のレースが終わって、グラスワンダーがパドックに登場すると、係りの方に誘導されて、ウィナーズサークルへ降りていきました。

・花束贈呈役
グラスワンダーがパドックを通って馬場に出てくると、場内から大きな歓声と拍手。袖で見ていた私も緊張で手に汗。最初に厩舎関係者の皆さんがウィナーズサークルに集まり、競走生活をターフビジョンで振り返りました。そして花束贈呈。私は厩務員さんに渡す役で、渡すときに「長い間本当にお疲れさまでした」と一言添えました。毎日勝利のプレッシャーを感じながら馬の世話をしていた厩務員さんのこと、引退し無事牧場へ送り出せてホッとしていることでしょう。

・そして芝コースへ
馬主さんのあいさつも終わり、記念撮影のため、いよいよ芝コースへ。芝生は意外と柔らかく、けっこうクッションが効いていた。この年の宝塚記念で骨折してしまっているので、走る姿は見られなかったものの、まだピカピカの栗毛の馬体を間近で見られて幸せ。ズラリと並んだ報道関係のカメラマンから一斉のシャッター音に混ざって「ありがとう!」「お疲れさま!」というスタンドのファンの声援がはっきり馬場まで届いていました。

・サインもらっちゃいました!
撮影が終了し、ウィナーズサークルへ戻る時、的場騎手に駆け寄り、私が撮影した写真(朝日杯)にサインをお願いしたところ、突然の出来事にも快く引き受けてくださいました!サイン中に関係者の皆さんも私たちを覗き込み「おお、良く撮れているなぁ。」と誉めていただきました。隊列を乱してまで、さすがに馬には直接触りに行くことはできませんでしたが、ポケットに忍ばせていった写真に、しっかりサインをいただくことができたのは大変満足でした。

サインをいただいた写真=朝日杯3歳Sメモリアル(グラスワンダー)2005年12月08日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/0f658948fce240414fa7d2a0390769b4


当日的場騎手が乗ったナリタトップロードを応援馬券で買いましたが、いいところがなく残念でした。

・関係者の皆さん、そしてJRAありがとう!
年が明けて1週間くらいして、自宅にJRAから1通の封書が届き、この写真が同封されていました。自分が参加していた引退式、当の自分が1枚も写真を撮れなかったことを後悔していましたが、JRAから思わぬ贈り物でした。当時も24日イヴの有馬記念、引退式参加というお金では決して買えない、最高のクリスマスプレゼントでした。関係者の皆さん、そしてグラスワンダーには本当にありがとうと言いたいです!

当ブログ内関連リンク

京王杯スプリングカップメモリアル(グラスワンダー)2005年05月12日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/5543556e8a6b01b2c017fe30efed4c9f

有馬記念メモリアル(サクラローレル)2005年12月23日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/6603854f93f714de1741845025cef9fe


有馬記念メモリアル(マヤノトップガン)

2006年12月22日 00時09分38秒 | 中山競馬場
田原騎手騎乗の菊花賞馬、マヤノトップガンがあっと驚く逃げ切り勝ち。
武豊騎手騎乗のナリタブライアンは4着も復活の兆しをみせていました。

1995年12月24日 中山競馬場
第40回 有馬記念(G1)芝2500m 良 12頭
1着10マヤノトップガン 牡4(55田原)2:33.6 6人気
2着2タイキブリザード 牡5(57坂本)2馬身 5人気
3着1サクラチトセオー 牡6(56小島太)1/2馬身 4人気
4着8ナリタブライアン 牡5(57武豊)3/4馬身 2人気
5着7ヒシアマゾン 牝5(55中舘)3馬身 1人気
単勝1,300 馬4,770

前年の有馬記念を勝って4冠馬のナリタブラインが春に股関節炎を発症し無念の休養。復帰した秋2戦(天皇賞、ジャパンカップ)では着外で本来の走りが見られず。武豊騎手2度目の騎乗、叩き3走目の追い切りで復調ムードとあって、復活に注目が集まっていました。

菊花賞を制した田原成貴騎手のマヤノトップガンが先手を奪い、そのまま逃げ切り勝ち。この年の田原騎手は桜花賞のワンダーパヒュームなど、G1レースでの勝負強さが目立っていました。インタビューでも絶口調で「メリークリスマス!」と余裕のリップサービスをしていたのを思い出しました。

春のダービーの頃には条件馬だったマヤノトップガンが、秋のトライアルで連続2着し、菊花賞、有馬記念と連続でG1レースを制し、95年の年度代表馬にまで昇りつめ、競馬用語の「夏の上がり馬」という言葉をこの馬のことで覚えた記憶があります。

「シアトリカルの弟」というタイキブリザードはこの年、安田記念3着、宝塚記念も2着と血統馬どおり実力のあるところを示しましたが、「相手なりに走る」というステイゴールドのように勝ち星に恵まれず、主な勝ち鞍「谷川岳ステークス」という状態が長く続きました。

秋の天皇賞を豪快な追い込みで制し、この有馬記念が引退レースだったサクラチトセオーも届かず3着まで。トニービン産駒の追い込み馬には、コースや展開が向きませんでした。

注目のナリタブライアンは、写真の4コーナーではいい手応えで先行集団に取りついた(手前一番右のシャドーロール装着馬)ので、「いよいよ復活か?」と思われ、場内のボルテージも上がりましたが、本来の伸びが見られず4着まで。

しかし、年明けの阪神大賞典では、後々まで語り継がれるマヤノトップガンとの壮絶なマッチレースで見事な復活を成し遂げました。種牡馬になってからわずか3世代の仔たちを残したのみで急逝してしまったのは残念でした。

マヤノトップガンは春の天皇賞を今までの戦法を一転して、後方からの追い込みで勝った世界レコードは今でも鮮烈。産駒は先週の阪神カップで2着したプリサイスマシーンなどがいますが、それほど活躍馬が出ていないのは残念です。

マヤノトップガン 牡 1992年 3月24日生 栗毛 坂口正大厩舎
父:ブライアンズタイム
母:アルプミープリーズ(母父:ブラッシンググルーム)
21戦8勝
主な勝ち鞍:菊花賞(95年=G1)、有馬記念(95年=G1)、宝塚記念(96年=G1)、天皇賞・春(97年=G1)、阪神大賞典(97年=G2)

<撮影メモ>
初の有馬記念観戦、通常の3倍は入っているという混雑を痛感。今年と同じく、この年も24日のクリスマスイブでした。通路も館内も歩くスペースもなく、結局比較的空いていた4コーナー寄りの芝スタンド付近でレースを迎えました。

復活が期待されていたナリタブライアンは危険な人気馬と判断し秋3戦無印。競馬歴初年度から馬券に対してはシビアでした。

実績で劣ると思われた4歳馬マヤノトップガンが逃げ切りとあって、当時としては波乱の決着。昨年ほど荒れていない馬場、ディープインパクトがすんなり有終の美となるのか?

今年の惑星馬はダイワメジャーか、メイショウサムソンか、スイープトウショウか・・・。体調次第で中山競馬場に行く予定です。

ひいらぎ賞メモリアル(スピードワールド)

2006年12月16日 14時03分07秒 | 中山競馬場
デビュー戦圧勝で「怪物」と言われたスピードワールドの2勝目。
今思えば早熟でしたが、安田記念3着までの強さは本物でした。

1996年12月15日 中山競馬場 7R
ひいらぎ賞(3歳500万)芝1600m 良 15頭
1着3スピードワールド 牡3(54的場)1:36.2 1人気
2着5ダッシュゴージャス 牝3(53岡部)2馬身 6人気
3着14バリッドベニー 牡3(54江田照)1/2馬身 10人気
4着15トキオリアリティー 牝3(53蛯名正)2馬身1/2 7人気
5着11サニーブライアン 牡3(54大西)アタマ 3人気
単勝150 馬連1,500

新馬戦から上がり33秒9の豪脚をみせ、3歳(現2歳)馬離れしたウッドマン産駒の白い馬体の外国産馬、スピードワールド。府中3歳ステークスでは人気で5着に敗れ、折り返しの500万(ひいらぎ賞)に出走。

道中は終始後方からのレースでしたが、500万条件の1勝馬相手では力が違ったか?上がり36秒0とはいえ、他馬を0秒9も上回るひとマクリで、楽々500万を通過。

500万ながら、タイムは前週のG1朝日杯3歳ステークス(マイネルマックス)を0秒1上回り、朝日杯以上の評価をされたことも。この後、正月の京成杯(当時は1600m)も出遅れながら圧勝し「芦毛の凄いバケモノ馬が現れた!」と誰もが楽しみに思っていました。

京成杯に続く3月のクロッカスステークス(中山芝1600m)も単勝1.1倍で勝って3連勝。5月のNHKマイルカップの最有力候補でしたが、骨折(ネンザだったかな?)が判明し、春は休養を余儀なくされました。

6月の安田記念には間に合って、鞍上には田原騎手を迎えて注目されました。現表記の3歳馬ながら、タイキブリザード、ジェニュインなど骨っぽい古馬相手に小差3着は立派で、能力を発揮して話題になりました。

秋の毎日王冠は的場騎手に手綱が戻り、バブルガムフェローの3着、続くマイルチャンピオンシップでは武豊騎手を迎えたとあって1人気に推されましたが、同期の外国産馬タイキシャトルを前に12着大敗でした。

結局勝利はクロッカスステークスが最後で、古馬になってからは「怪物」と呼ばれたオーラもすっかりあせて以降16戦未勝利。競馬を勉強していくなかで「ウッドマン産駒早熟説」を決定づけるものでした。

それにしても京成杯、安田記念あたりまでの強さは本物でした。競走生活でピークと思われる朝日杯3歳ステークス、NHKマイルカップのG1レースには不出走だったので、今振り返ると、能力がありながらレースで結果が出せなかった「不運の名馬」みたいなものを感じました。

スピードワールド 牡 1994年 5月 7日生 芦毛 小西一男厩舎
父:ウッドマン
母:グレイタブ(母父:ズールートム)
21戦4勝
主な勝ち鞍:京成杯(G3)、クロッカスステークス(オープン)、ひいらぎ賞(500万)

中山金杯メモリアル(クラフトワーク)登録抹消=号外

2006年10月13日 00時43分51秒 | 中山競馬場
毎日王冠14着のクラフトワークが10月12日付けで登録抹消し、乗馬に転向。
重賞を3連勝した時は「G1も狙える」勢いでしたが、ケガには勝てず・・・。

2005年 1月 5日 中山競馬場 第11R
第54回 中山金杯(G3)芝2000m 良 15頭
1着…12クラフトワーク 牡5(57横山典)1:59.0 1人気
2着○9マイネヌーヴェル 牝5(53ボニヤ)1馬身 6人気
3着△8キーボランチ 牡6(53小野)クビ 8人気
単勝270 馬連1,780 3連8,930 3単36,320

7月の函館記念1着以来のクラフトワークが休み明けでもハンデ57キロ。休み明けでもハンデ戦に出走可能でしたが、ハンデが厳しく人気先行とみて馬券では軽視していたらアッサリ快勝。この後、アメリカJCCも連勝で重賞3連勝と実力をみせつけられました。

順調に使えればG1でも好勝負する勢い&器でしたが、アメリカJCCの後は股関節炎で1年の休養。今年になっての3走=中山記念、エプソムカップ、毎日王冠はそれぞれ休み明けで往年の走りが見られなかったのは残念。

毎日王冠を叩かれ、富士ステークスあたりで狙ってみようと思っていただけに残念です。12日付けで登録抹消、ノーザンホースパークで乗馬になることが決まったそうです。

クラフトワーク 牡 2000年 4月 2日生 黒鹿毛 後藤由之厩舎
父:ペンタイア
母:ワーキングガール(母父:パドスール)
19戦6勝
主な勝ち鞍:アメリカJCC(G2)、中山金杯(G3)、函館記念(G3)

<撮影メモ>
本来中央競馬は毎週土日が定番ですが、新年の中央競馬開催の初日は、曜日に関係なく「1月5日」と決まっていて、暮れの有馬記念の余韻が残る競馬ファンにも「新年の運だめし」と人気のあるレースで、競馬場は平日でも多くのファンで賑わいます。

私も前年に続いてお休みをいただいて競馬場、というダメな社会人の典型(?)でした。「ズル休みをした社会人には馬券が当たらない」という天罰が下るかと思いきや、京都の10Rで202倍の3連複万馬券を的中!

前年の金杯当日も600倍の3連複を当てており、思いもよらぬお年玉を2年連続でいただいた、という金杯当日の思い出があります。

2004年は通年買い続けて年間プラス収支、という調子の良さでしたが、ブログを始めた2005年以降は、馬券もサッパリでいい報告ができないのが残念です。

スプリンターズステークスメモリアル(ブラックホーク)

2006年09月29日 00時11分22秒 | 中山競馬場

横山典騎手の進言でブラックホークが初の1200mに挑戦し見事克服!
期待馬が長期休養を挟んで、脚部不安も乗り越えて悲願のG1タイトルでした。

1999年12月19日 中山競馬場
第33回 スプリンターズステークス(G1)芝1200m 良 16頭
1着10ブラックホーク 牡6(57横山典)1:08.2 2人気
2着5アグネスワールド 牡5(57武豊)クビ 1人気
3着13キングヘイロー 牡5(57福永)1馬身1/2 4人気
単勝380 馬連630

長期休養明け、日本レコード決着の関屋記念2着で復帰後はマイル中心に使われてきたブラックホーク。マイルCS3着に敗れた後、横山典騎手の進言で初めてのスプリント戦(1200m)に挑戦。

先に抜け出したマイネルラヴ(4着)、アグネスワールドを一歩ずつ追い詰め、ゴール前で計ったようにキッチリ差し切り。とても初の1200mとは思えないレースぶりで初G1、横山典騎手の進言もズバリ、その後もスプリント路線を賑わす存在になりました。

ブラックホーク 牡 1994年 5月14日生 鹿毛 国枝栄厩舎
父:ヌレイエフ
母:シルバーレーン(母父:シルヴァーホーク)
28戦9勝
主な勝ち鞍:安田記念(G1)、スプリンターズS(G1)、スワンS(G2)、阪急杯(G3)、ダービー卿C.T.(G3)

当ブログ内関連リンク

ダービー卿チャレンジトロフィーメモリアル(ブラックホーク)
2006年 3月30日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/846b801b2dab18fedc38c77e51775b78

スプリンターズSメモリアル(マイネルラヴ)
2005年 9月29日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/1a2fe3838818386cfc850950d0daed08

スプリンターズSメモリアル(フラワーパーク)
2005年 9月29日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/946fe6000638cfbcc0567d753e4ce40f

スプリンターズSメモリアル(ダイタクヤマト)←江田照騎手サイン入り!
2005年 9月29日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/0fc5beee3dd327f05d356b5e578a4464

スプリンターズSメモリアル(タイキシャトル)
2005年 9月29日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/8c828dbdc554ebe0b055774182dc73dd

安田記念メモリアル(ブラックホーク)
2005年 6月 6日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/7d5097707195e24c1fe82c7e69696bb9


セントライト記念メモリアル(ローゼンカバリー)

2006年09月15日 00時31分39秒 | 中山競馬場

台風17号で中山競馬は開催中止、月曜日(祝日)の代替開催。
サマーサスピションの弟、ローゼンカバリーが初重賞。

1996年 9月23日 中山競馬場
第50回 セントライト記念(G2)芝2200m 重 9頭
1着4ローゼンカバリー 牡4(56柴田善)2:20.1 2人気
2着1サクラケイザンオー 牡4(56横山典)3馬身 3人気
3着7マウンテンストーン 牡4(56高橋明)ハナ 6人気
単勝340 馬連940

日曜の台風接近で中山競馬は開催中止。翌日の代替開催は祝日のため競馬場観戦。天候は回復したものの、芝の一般レースもダートに変更するなど、雨の影響が残っていました。

皐月賞馬イシノサンデーがここから始動で1人気。ここと京都新聞杯を敗れた後は菊花賞へは向かわず、大井のスーパーダートダービーへとコマを進めました。

青葉賞4着でダービーの出走権を逃がしたローゼンカバリーが中山の900万条件を勝って仕切り直し。時計のかかる馬場も味方したか、先行押し切りの危なげない内容で初重賞勝利。菊花賞でも穴人気になりましたが11着大敗。ダンスインザダーク、ロイヤルタッチ、フサイチコンコルドなどの別路線組には歯が立ちませんでした。

この後、古馬になってからアメリカJCC、日経賞、目黒記念とG2を3勝。G1では天皇賞3着が最高で、G2コレクターとして渋い活躍をしました。

ローゼンカバリー 牡 1993年 6月 1日生 黒鹿毛 鈴木康弘厩舎
父:サンデーサイレンス
母:ダイナフェアリー(母父:ノーザンテースト)
33戦7勝
主な勝ち鞍:目黒記念(G2)、日経賞(G2)、アメリカJCC(G2)、セントライト記念(G2)

<当ブログ内関連リンク>

目黒記念メモリアル(ローゼンカバリー)2006年 5月25日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/e0d14030c7eb493e009c9ddfdfefcdc3

セントライト記念メモリアル(コスモバルク)2005年 9月15日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/30cd7be7c5eb24a90b7edcaacc11324c


紫苑(しおん)ステークスメモリアル(レディパステル)

2006年09月08日 21時54分23秒 | 中山競馬場

秋競馬開幕初日を飾る秋華賞トライアル、紫苑(しおん)ステークス。
オークス馬レディパステルが夏の休養を挟んで順調なスタートを切りました。

2001年 9月 8日 中山競馬場
第11R 紫苑S(OP=秋華賞トライアル)芝1800m 良 9頭
1着6レディパステル 牝3(54蛯名)1:47.3 1人気
2着3ドリームカムカム 牝3(54後藤)クビ 5人気
3着2アドマイヤハッピー 牝3(54江田照)2馬身1/2 4人気
単勝180 馬連670

秋競馬開幕を飾る秋華賞トライアルの紫苑Sにオークス馬レディパステルが登場。もう1つのトライアル、関西のローズSに比べてメンバーが手薄なだけに、ここは単勝1.8倍の断然人気で確勝ムード。デザーモ騎手に変わって、春のミモザ賞でも手綱を取った蛯名騎手とのコンビがこのレースからスタートしました。

少頭数で直線の追い比べでしたが、レースの上がりを0秒5上回る34秒5の末脚で快勝。ライバル、テイエムオーシャンの対抗格として注目されましたが、秋華賞ではテイエムオーシャンに完敗、ローズバドに続いて3着が精一杯でした。

紫苑S2着にはクビ差でドリームカムカム。夏の新潟を連勝して力をつけた勢いでオープンでも好走、秋華賞でも穴人気になりました。キャリア3戦ながら3着のアドマイヤハッピーも血統的に注目されましたが、秋華賞ではさすがに力不足で11着大敗。

レディパステルは秋華賞の後、テイエムオーシャンと共に古馬牝馬のNo.1決定戦、エリザベス女王杯にも挑戦。最後はトゥザヴィクトリー、ローズバドの強襲に遭いましたが、内からいい伸び脚をみせ、タイム差なしの4着は立派!以降5歳まで牝馬のトップクラスとして、強い相手にも好走を続けました。

レディパステル 牝 1998年 4月26日生 黒鹿毛 田中清隆厩舎
父:トニービン
母:ピンクタートル(母父:ブラッシンググルーム)
21戦6勝
主な勝ち鞍:オークス(G1)、府中牝馬S(G3)、中山牝馬S(G3)

<撮影メモ>
先週掲載した札幌遠征(トウカイポイント)の翌週、秋競馬の開幕、中山競馬場にも土日参戦しました。2000~2001年は場内FMにハマった影響?もあって、毎週のように競馬場に通っていました。

明日は久々に中山競馬場で紫苑S撮影の予定です。
そして来週、中京競馬場(9月17日=ローズS)観戦が決まりました!

<当ブログ内関連リンク>
オークスメモリアル(レディパステル)2005年 5月19日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/9f5791303e4848febb189cb23c3ce3e3


皐月賞メモリアル(セイウンスカイ)

2006年04月13日 00時09分45秒 | 中山競馬場

セイウンスカイがテン乗りの横山典騎手を背にグリーンベルトをスイスイ逃げ切り。
しかしこのレースをきっかけに武豊騎手が仮柵廃止を提案し、ルールを変えました。

1998年 4月19日 中山競馬場
第58回 皐月賞(G1)芝2000m 良 18頭
1着○セイウンスカイ 牡4(57横山典)2:01.3 2人気
2着▲12キングヘイロー 牡4(57福永)1/2馬身 3人気
3着◎18スペシャルウィーク 牡4(57武豊)1馬身 1人気
単540 馬1,710 的中

きさらぎ賞、弥生賞連勝とクラシックの王道ステップを歩んできたサンデーサイレンス産駒、スペシャルウィークが単勝1.8倍の断然人気。2人気はあと一歩だった弥生賞をステップに徳吉騎手→横山典騎手と鞍上強化してきたセイウンスカイ。弥生賞3着で米の超良血馬キングヘイローが3人気と弥生賞組が上位人気を占めました。

別路線では毎度「関西の秘密兵器」と呼ばれるレース、阪神の「すみれS」を勝って臨むエモシオンが4人気。道悪で波乱だったスプリングS組では勝ったクリールサイクロンがフロック視されてか7人気と低評価でした。

ゲート入りで手こずったセイウンスカイが2番手から4角先頭。弥生賞ほどセーフティリードはなかったものの、内側の仮柵を外した馬場のいい「グリーンベルト」を最大限に活かして押し切り勝ち。会心のガッツポーズが印象的。このレースから横山典騎手とのコンビがスタートしました。

弥生賞では後方からの位置取りが災いしたキングヘイローが課題を克服して、好スタートから先行策で粘り通し2着を確保。18番の大外枠からスタートしたスペシャルウィークは届かず3着でしたが、道中外々を回らされて相当な距離ロスにもかかわらず、差のない位置まで追い上げる、という強い競馬でした。

この皐月賞は芝コース内外の有利不利が明暗を分けた格好。レース後、スペシャルウィークに騎乗した武豊騎手が「不公平な馬場」を主催者側に指摘して、翌年から仮柵の設置(グリーンベルト)が廃止になったのは有名な話。広い東京コースでの日本ダービーでは、念願のダービー初制覇で、馬場に泣いた皐月賞のリベンジを果たしました。

セイウンスカイは以前も紹介しましたが「シェリフズスター」というマイナーな種牡馬の産駒。セイウンスカイが皐月賞を勝った当時、脚光を浴びるハズだったシェリフズスターは「もう廃用になってしまい、現在は行方知らず」という残念な記事もありました。

餌のカイバに当時は珍しかったアミノ酸入り飼料をいち早く取り入れる「アミノ酸パワー」で有名になった馬でした。ダービーでは4着に敗れますが、秋初戦の京都大賞典では絶妙なペース配分での逃げ切り、続く菊花賞でもレコードでの逃げ切りと春秋クラシック2冠を達成しました。

当ブログ内関連リンク

弥生賞メモリアル(スペシャルウィーク)2006年 2月28日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/2e0665ab5053bd54fc1fe3ebea69cf5b

皐月賞メモリアル(ノーリーズン)2005年 4月16日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/3307d02f456623d426f8b9e65b657c3c

皐月賞メモリアル(サニーブライアン)2005年 4月16日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/746af77625961161771730b7be620db4

日経賞メモリアル(セイウンスカイ)2005年 3月25日掲載
http://blog.goo.ne.jp/ochanblue/e/b466347bdc8c50c176d0816a3fae3e99


ニュージーランドトロフィーメモリアル(キタサンチャンネル)

2006年04月06日 00時47分08秒 | 中山競馬場
北島三郎氏の持ち馬キタサンチャンネルが逃げ切りG1勝利に期待が膨らむ。
敗れたとはいえ、岩手のネイティヴハートの末脚も光りました。

2001年 4月 7日 中山競馬場
第19回 ニュージーランドトロフィー(G2)芝1600m 良 14頭
1着…3キタサンチャンネル 牡3(56高橋亮)1:35.7 3人気
2着…10[地]ネイティヴハート 牡3(56菅原勲)クビ 1人気
3着…2エアヴァルジャン 牡2(56蛯名)ハナ 2人気
単810 馬840

朝日杯でメジロベイリーの3着以来、年明け初戦となる岩手所属のネイティヴハートが1人気。500万を勝ったばかりのエアヴァルジャンが2人気、アーリントンCであわやの2着だったキタサンチャンネルが3人気。他には朝日杯4着のメイショウドウサンが4人気、クリスタルC3着で後のNHKマイルCでクロフネの2着したグラスエイコウオーが5人気でした。

キタサンチャンネルがマイペースに持ち込み、逃げ切り濃厚か?と思ったゴール前、後方からネイティヴハートが猛然と追い込み、2頭の間に割って3頭接戦でゴール。改めて能力の高さを示しました。

「キタサン」という冠号でお馴染み、北島三郎さんの持ち馬(大野商事)で待望のG1勝利か?とワイドショーでも取り上げられました。しかしNHKマイルカップは3人気に推されますが自分のレースができずに17着と大敗。ダービーにも出走しましたが16着、以後は頭打ちで、ダート路線に活路を求めてオアシスS、阿蘇Sで2着を確保。米子Sが最後の勝利で、障害に転向するも勝ち星はなし、2005年のすばるSを最後に登録を抹消されました。

ネイティヴハートはNHKマイルカップでは柴田善騎手に替わり必勝体制でしたが、追い込み届かず4着。古馬になっても中央の芝に挑戦。テレビ愛知オープンやオーシャンS(当時はオープン特別)を勝つなど、芝適性を示していました。

今年8歳にもなれば、さすがに衰えが隠せないところでしたが、3月の第1回オーシャンSで14人気という低評価を覆す重賞初勝利。展開がハマったとはいえお見事。高松宮記念でも上がり33秒7で5着と掲示板を確保。まだまだ衰えない末脚は今後も注目です。

メジロマックイーン追悼号外

2006年04月06日 00時45分11秒 | 中山競馬場
生粋のステイヤー、メジロマックイーンが3日に心不全のため急死(19歳)。
産駒のワンツーで決まったレースを紹介します。
メジロアサマから続く「父子4代での天皇賞制覇」は絶望的となりました。

1999年12月19日 中山競馬場
第9R 冬至ステークス(4歳上1600万)芝2500m 良 8頭
1着2メジロサンドラ 牝4(54武豊)2:35.9 2人気
2着5メジロアトラス せん5(54吉田豊)2馬身 6人気
3着8シンコウシングラー 牡5(57.5柴田善)3/4馬身 1人気
単290 枠2,530

メジロマックイーンが現役の頃はまだ競馬を始めていませんでしたが、メジロアサマ→メジロティターンと続く親子3代の天皇賞制覇。他にも1位入線も18着降着となった秋の天皇賞。前人未到の春の天皇賞3連覇を目前で阻止されたライスシャワーなど、後々まで語り継がれる名勝負を演じた歴史に残る1頭でしょう。

メジロサンドラは重賞にはあと1歩届きませんでしたが、オープンの大阪-ハンブルクC勝ちがあり、日経新春杯3着や、父内国産限定のカブトヤマ記念3着など、オープンの長距離戦を主体に長く活躍しました。

この時の2着はやはりメジロの勝負服、メジロアトラス。くしくもメジロマックイーン産駒のワンツーフィニッシュでした。

産駒の写真を探してきましたが、他にも代表産駒として、クイーンCを勝ったエイダイクインやフラワーCを勝ったタイムフェアレディなどがいました。牡馬での目立った活躍が少なく、記憶にあるのが、オープンまでいったのがシェイクマイハートくらいか?残された産駒を考えても、天皇賞父子4代制覇は、ほぼ絶望的となりました。