オーソレ、何それ?

私、o_sole_mioが好きな歴史、旬の話題、
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適当に書きつづります。

戦国の賢弟たち(その1)

2006-03-07 00:13:59 | 戦国時代
今年の大河ドラマの主人公は山内一豊の妻千代ですが、千代に助けられた一豊は土佐一国の太守の座につくのですが、一豊の弟康豊も一豊を支えた人物の一人でした。

戦国時代は兄弟親子が相争うことも珍しくなく、織田信長や毛利元就など家中をまとめるために弟を討たなければならなかった戦国武将もいました。その逆に兄にまさるとも劣らない力量をもった弟が兄をよく補佐して国取り、天下取りに貢献したという例も少なくありません。こういった賢弟たちを少し紹介していきたいと思います。

賢弟の代表格はなんといっても豊臣秀吉の弟秀長でしょう。秀長は秀吉と違い地道に百姓をしていましたが、信長の下に仕えていた秀吉が家来が必要となったため、秀吉に呼び寄せられたと言われています。その後秀長は秀吉に付き従い、秀吉の出世に連れて累進していきます。そして秀吉が天下統一を果たしたとき、大和一国を領有し、その官職から「大和大納言」と呼ばれるようになります。

秀長は温厚篤実な人柄で秀吉のみならず周囲からの信頼が篤く、また城攻めなど知略にも優れていたと言われていますが、秀長の個人の功績として目だったものは特にありませんでした。これは自分の功績は兄の功績の一部にしてアピールしなかったためと言われています。

しかし、秀長が豊臣家にとってかけがえのない存在だったことは以下の2点で示すことができると思います。

(1)秀吉に面会した大友宗麟が家中に書き送った書状にある「内々の儀は宗易(千利休のことです)、公の儀は宰相存じ候」で、「宰相」とは秀長を指しており秀長の家中の地位を伺わせる。
(2)秀長は秀吉に先立ち51才で亡くなるが、秀長死去の後、秀吉は千利休を切腹させ、朝鮮へ出兵し、更には一旦跡継ぎに指名した秀次を切腹させるだけでなく妻妾子供を処刑するなど、常軌を逸した行動に取り出したこと。

秀長のように生きているときになにをやったかではなく、死した後に起きたことからその存在の大きさを示した人物も珍しいと思います。

「賢弟」をダイジェストで紹介しようと思ったこの企画ですが、さすがに「大物」秀長だけあって一人で終わってしまいました。できれば次回に続けたいと思います。

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2 コメント

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秀吉の変わりように驚きです。 (littlebluebell)
2006-03-07 22:47:53
引越しお疲れ様でした。大阪は梅田や京橋など、懐かしい名前の響きです!北の方というと、サッカーチームのガンバ大阪のホームグランドがあったと思います!速いインターネット羨ましいです。我が家のは今だにダイアルアップです・・アパートが取り付け作業に厳しくて(苦笑)



「賢弟」では、秀長が亡くなったとたんに、秀吉は方向定まらぬといった感じですね。。しかしながら、千利休が切腹でこの世を去っていた事、恥ずかしながら知りませんでした。。



o_sole_mioさん、私の主人のブログへのコメントありがとうございます(^^)彼も歴史関係について火が付いた感じでした!これからもよろしくお願いします。



P.S タイムマシンにお願いのCM見させていただきました!耳に残る歌でちょっと頭から離れませんでした(笑)あの歌聞いた事もあるような、ないような。良い歌です!今のロックより純粋な感じがします!
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秀吉の冴えていた時期 (o_sole_mio)
2006-03-07 23:31:41
ガンバのホームグランドは近いですが、以前にもっと近いところに住んでいたことがあります。



秀吉ですが、最も冴えていたのは備中高松城水攻め→中国大返し→山崎の合戦→清洲会議→賎が岳の合戦の頃です。晩年は閨閥の弊害など禍根を残したように思えます。身の回りのことだけに身内の秀長が先立ったことが大きかったと思います。



僭越ながらご主人のブログにもコメントさせていただきました。いつかご主人とも歴史についてお話(英語がんばります)できたらと思います。
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